見出し画像

無意識と意識を循環させる

はじめに

この記事で書きたいことは、

アートで頭を使いすぎたら体
体で頭を使いすぎたらアート

もう一歩踏み出したければ体術(フォノグラムの感覚)を磨いてみる

そうすることで、まだ気づいていなかった窓を開き、心地よい風、鮮やかな景色がみられる可能性が広がるのではないだろうか

はじめにとさいごに


最近、パーソナル、グループともに動きの正解を問われることが多かった。

以下、個人的な意見だが参考になればと思い記事にしてみる。

動きの良し悪しではなく、体験で気づいたことや実際に動いてスムーズや緊張の変化を味わうことが大切と伝えた。

そうやって意識を向けることにより常に動きは更新されるからだ。

それは、湧いている意識できていない箇所(無意識)を意識できている場所と循環させ風通しを良くすることだ。身体がしなやかになる。

無意識と意識
陰と陽
虚と実

大切なことは、これらの循環を促すにはどういう状態に自分をおくかだと思う。

どうしても大脳優位な生活をすると自我、他者との比較が勝り良し悪しを判断したがる。

なので、体のことで正解をもとめることを手放すことが困難ならアートを用いて循環させるのもありではないだろうか。

アート(抽象表現)により、湧いている無意識を意識できるように物質化させる。循環させて風通しを良くする。気持ちが穏やかになる。

体も心も深いところを使うことが、大脳の働きをしずめ、意識と無意識を循環させることができると思う。

例えば、僕が作成した以下のコラージュ作品だ。コラージュ作品は絵に抵抗感がある人でも物を貼ったり、置くだけで良いし、色々応用がきくので個人的にはオススメだ。

今回は表現アートのクリエイティブコネクションの絵からのムーブメントも循環させる技術を用いて整え循環させてみた。

直感的に空間を埋める。その後、作品を観ながら体を動かす。

僕の感覚だと一度体の外に意識を出し、物質化させながら整えてから、観察しながら形や線に合わせて体を動かし肉体に戻す感じだ。

さらに抽象度をあげて体術(フォノグラムの感覚)を利用してみた。

紙の上で重いと感じたところに置き軽くなる方に物を回す。

身体に意識を向けて反応を内観する。
作品自体も雰囲気が風通しが良くなり外まで広がる感覚がある。

このように体の動きの変化を観察するように、作品を感じて思ったこと体験したことを味わう。

そうすることで色合いがでてきたり、白黒どちらでもありどちらでもあるどっちも感じれるようになる。

最後に(はじめに)


アートで頭を使いすぎたら体
体で頭を使いすぎたらアート

もう一歩踏み出したければ体術(フォノグラムの感覚)を磨いてみてはいかがだろうか

そうすることで、まだ気づいていなかった窓を開き、心地よい風、鮮やかな景色がみられる可能性が広がるのではないだろうか




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?