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ちゃぶ台返しの、その後は。

 ある日の夕飯時のこと。

    いつもより大きなため息を伴った母の足音がお勉強終了の合図。
 ぼくはちゃぶ台上に広げていた算数の宿題をバタバタと片付けて、代わりに平皿をさっと胸の前に引き寄せます。
    そこにすかさず、母の手になる焼きあがったばかりのお好み焼きがフライパンから手荒く放り込まれました。
 一瞬跳ねあがった皿からお好み焼きが飛び出しそうになったけれど、だいじょうぶ。皿にすっぽり収まるように、皿を持ち上げ、ゆさゆさ。これでよしと。

 台所に戻る母の背中に向けて、父の口撃がまた始まりました。昼間のバトルの続きです。テレビのボクシング・タイトル防衛戦に見入っていた父の肩が一段と大きく揺れています。
 母は背中でいつものように反撃しつつ、次のお好み焼きの生地をフライパンに流し込みます。ジュっという音がいつもより心なしか派手に聞こえました。

 急がねばなりません。

 ぼくはまず自分の皿のお好み焼きの位置をさらに美しく中心にくるように箸でちょんちょんとつついて修正を施します。
 次に、ウスターソースを中心付近に少し垂らしてみます。今日の生地の染み込み具合を確かめるのです。
 焼けた生地の仕上がりによっては、染み込みが弱く周りに流れ出す量が多くなります。これがよくない。
 生地の低い部分だけを一気に滑り降りて、崖から大量に漏れ出す事態になるからです。
 といって、染み込みが強すぎる場合は、生地の焼け具合が弱いということ。
 今日のお好み焼き生地の出来不出来が、かけたソースの状態でわかるのです。
 今日はいくぶん、生地の吸収力は強いようでした。

 ソースをかけ終わると、次に花かつおの大袋に右手を突っ込み、ひと握りつかみ出しました。
 その手を目の高さ、約30cmと決めている高度から、熱気を発する生地に花かつおを少しづつ、ひらひらと慎重に落下させていきます。

 花かつおは、生地の熱気による上昇気流にあおられながら落下していきます。
 一片一片がそれぞれ独自の着地点を見出し、うまく散らばるためのリリースポイントの高度。これが課題でした。
 何度も試すなかでついに会得した高度が、30cmなのでした。

 次々に出来上がってくるお好み焼き。それぞれにぼくの処方を施していきます。

 さて、テレビではどうやら日本人チャンピオンは防衛に失敗したようです。
 恐る恐る父の顔をのぞき込むと、異様なしかめっつら。両眉がくっつきそうです。
 
 いやな予感がしました。

 ゆっくりとちゃぶ台に向き直った父。
 ボクシングに夢中で耳に入っていなかったと思われた母の憎まれ口を父はオウム返しすると、いきなり、すでに家族分のお好み焼きが載せられていたちゃぶ台を勢いよくひっくり返したのでした。

 周到に準備したぼくのお好み焼きたち。
 空中を何回転したのだろう、畳の隅の暗がりに、ほとんど崩れながらも、わずかに表側を上に着地した小さなかけらがありました。

 その小さなかけらはほんの数cmほど。
 それでもその生地上では、生き残った数片の花かつおが、生地の熱気に煽られ、新たに命を得たかのごとくゆらゆらと身を踊らせる、あの妖しくもコミカルなショーを演じているのでした。

 振り返ると、父もその小さなステージをじっと見つめていました。

(了)

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