きくちよKG

編集ライター。コピー/コラム/インタビュー/取材/文芸評etc。自分にしか書けないことを誰にもわかるように書く。ポップなPR調から、アイテムを生活ストーリーで語るシックなコラム風、公式広報文体まで。分子栄養学。ソバキュリ。

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マガジン

  • 【エッセイ】こんなん思ったりも

    自分の中で上っては消えるよくわからないものって誰にもありますよね。取り出せば否応でもその姿形があらわになる。それが自分自身の足場になるやもです。

  • 【仕事】こんなんしてます

    喜ばれて喜ぶ、おめでたいヤツ。でもお仕事がそうなればこんなに幸せなことはありません。

  • 【小説】こんなん書いてみました

    何気ない日常の裂け目を思い切り広げてみます。思い切り度と完成度に相関関係はありません…。

  • 【映画評】こんなん観ましたけど

  • 【書評】こんなんいかが?

    忘れた頃になんども読み返す愛すべき紙の束。カバーについた手指の脂、紙の匂いと手触り。それはともに過ごした時間の記憶。本はもはや生きもの。

最近の記事

  • 固定された記事

小川洋子の創作法「ストーリーより描写」。ストーリーは人間の欲望。描写は神の認識への道だから。世界のヨーコはどこまでも謙虚なのだ。

「私、ストーリーは重視しません」   世界のハルキとヨーコ。  村上春樹さんと小川洋子さん。三島や川端以来、現代の日本文学で今「世界の」と冠することのできるのはこの二人だけ。  その小川洋子さん。  小説を書く作業の上で最も重視しないのは「ストーリー」だといいます。     念のため繰り返すと、「ストーリーは重視しない」。   小説って物語のことなのに?  さすが世界のヨーコ。言うことが常人と違う、と思いながら、じゃ、何を大切にしているかと、彼女の発言を少し追ってみれば

    • 自分のことを話しているとき、その本当の相手は。曲を生み出す作詞家・喜多條忠。

      その日、喜多條忠がつぶやく「神田川」の詞を電話口ではじめて耳にしていた南こうせつは、言葉に合わせてメロディが勝手に頭のなかで流れ出すのを止めることができませんでした。 詩は「うた」とも読む。 もともと節をつけて詠われるもの。 喜多條の詞は歌いたくなる詞。 自身にふさわしい曲を自ら生むような歌詞。 次のタイトルもそんな気がしてくる歌詞です。 ・・ 何処にも行かない   曲/南こうせつ 詞/喜多條忠 1976年 手紙なんか書かない 返事がほしくなるから 涙なんてふかない

      • ここ どっかに行こうと私が言う どこ行こうかとあなたが言う ここもいいなと私が言う ここでもいいねとあなたが言う 言ってるうちに日が暮れて ここがどこかになっていく 谷川俊太郎「ここ」 『詩を贈ろうとすることは』所収

        • 🎵書く阿呆に読む阿呆。同じ阿呆なら... 「文学フリマ」大阪で、シアワセの道を知る。

           数年前、「文学フリマ」なるものをはじめて耳にしたとき、ここにこそは絶対に行くまい、と思ったものでした。  「文学フリマ」は文芸創作愛好家たちが自作を紙の本の体裁にして展示即売するイベント。ジャンルは小説をメインに、詩や短歌などの文芸、またそれに限らず、ホビーや科学などの評論・研究書に至るまでと多岐にわたります。  これって、ああ、なんだか暗いオタクさんたちの暗いイベントなんだ、街の書店や図書館のようにシーンと静か、手作りの自作本を客が無言でパラパラ、それも、客=出展者っ

        • 固定された記事

        小川洋子の創作法「ストーリーより描写」。ストーリーは人間の欲望。描写は神の認識への道だから。世界のヨーコはどこまでも謙虚なのだ。

        • 自分のことを話しているとき、その本当の相手は。曲を生み出す作詞家・喜多條忠。

        • ここ どっかに行こうと私が言う どこ行こうかとあなたが言う ここもいいなと私が言う ここでもいいねとあなたが言う 言ってるうちに日が暮れて ここがどこかになっていく 谷川俊太郎「ここ」 『詩を贈ろうとすることは』所収

        • 🎵書く阿呆に読む阿呆。同じ阿呆なら... 「文学フリマ」大阪で、シアワセの道を知る。

        マガジン

        • 【エッセイ】こんなん思ったりも
          19本
        • 【仕事】こんなんしてます
          5本
        • 【小説】こんなん書いてみました
          1本
        • 【映画評】こんなん観ましたけど
          6本
        • 【書評】こんなんいかが?
          24本

        記事

          禁酒本を読みだしたのは断酒成功してから。 禁煙本も断煙できてから様々手を出した。 文章作法本を読み漁るようになったのは、楽しく書けるようになってからだった。 本の中に未来の自分は見つからない。 できるのは自分が行動したことの答え合わせ。 アウトプットこそインプット、なんだよなあ。

          禁酒本を読みだしたのは断酒成功してから。 禁煙本も断煙できてから様々手を出した。 文章作法本を読み漁るようになったのは、楽しく書けるようになってからだった。 本の中に未来の自分は見つからない。 できるのは自分が行動したことの答え合わせ。 アウトプットこそインプット、なんだよなあ。

          大人の事情に負けないクリエイター魂たちに触れに行く。

          「そんな手があったのか!」 ゼロから無限大を生み出すクリエイターたちが集結。 「西宮クリエイターズリスト展」(商工会議所主催商談会)  かつて谷崎潤一郎が「細雪」で悦に入り、そして今では世界文学の一翼を担う両巨頭、少年村上春樹が猫を棄て、小川洋子が住民税を払い続ける。世界から「涼宮ハルヒ」聖地巡礼客があとを絶たず、このところは芥川賞作家を毎年輩出する始末。  そんな文学都市兵庫県西宮・芦屋なのだから、クリエイターなるものが大量に巣くっているはず、それでも先立つものがなけれ

          大人の事情に負けないクリエイター魂たちに触れに行く。

          戦いの始末は、無様であっても現実世界できちんとつけるべきことを知っている。ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引書』

          隣にいてただ一緒に眺めてくれればいいい  「アメリカ文学の静かな巨人」リディア・デイヴィスが絶賛して知られるようになったのが、いわば市井の書き手のまま没した同じく短編作家のルシア・ベルリン。  その作品群。    暗黒の底にいながら、到底届いていないはずの光の束をひとり静かに見つめている。    彼女のそんな凛とした姿が浮かんでくるようです。  母の自死、三度の離婚、四人の子どものシングルマザーワーカー。親兄弟揃ってアルコール依存、それはベルリン自身までも。  そんな絶望

          戦いの始末は、無様であっても現実世界できちんとつけるべきことを知っている。ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引書』

          無垢を武器に、閉じた世界を開く。ナイーブだが真っすぐなロッカー、デビッド・ボウイ。

           生放送中も構わず、黒人アーティスト差別に正面切って怒り、「朝目が覚めたとき、そこが京都の禅寺だったら」と思いつめるほど京都を愛する。  そんなすこぶるナイーブで真っすぐなロッカー、デビッド・ボウイ。  若いアーチストに向けたボウイのこのインタビュー(0:56)。 「他人のために働こうとするあまり、自分の中で始まっていたはずのものを忘れたら、君はかえって社会と共存できない」  その語り口はあたたかくも、言葉は手厳しい。他人に媚びず自分の鮮度を保つのだ、とそれは自分に言い

          無垢を武器に、閉じた世界を開く。ナイーブだが真っすぐなロッカー、デビッド・ボウイ。

          小説・掌編 『妄想図書館の女』

           年末の図書館は平日でも混み合っていて、ブスブスとなにやら口から異音を立てて通りすぎるリュックの若い男や、歩くラインとスピードが定まらなくって、つまりあるのかないのかわからない妙なリズムに気づいた周囲に一呼吸分だけ間合いの距離を要請する御老公様とか、検索票のプリントアウトを盛大な音を立ててやたらと連発しまくっている小学高学年女子乱射犯とか、何の意味があるのか本日返却本コーナーで次々と手を伸ばしては抱え込んでいく真っ赤なダウンジャケットの御仁とか、レンアイなんて飽きたわやっぱり

          小説・掌編 『妄想図書館の女』

          自然を描くということは、自然の在り様から物語を見つけ出すということ。

          「自然を描くということは、自然の在り様から物語を見つけ出すということ」  そう語る水彩風景画家・木沢平通さん。  展示会最終日、図らずも1時間ものインタビュー対話になるきっかけとなった言葉がこれだった。    自然や宇宙ってヤツは、人間の感情などつゆとも関知しない、恐ろしいほどに無目的な存在。  何もかもの一切が、理由や目的なしに存在している。  宇宙のチリ一つから、我が身に至るまで。    けれど、厳然としてヤツらと自分はここにいて、とかく目障りであったり、なぜか感動した

          自然を描くということは、自然の在り様から物語を見つけ出すということ。

          ブンガクって逃避? それを聞き捨てならない人、それが当たり前の人。

          人々の最後列で丹念に落とし物を拾っていく  いつだったか作家の高橋源一郎さんが講演で、「文学は逃避だ」と、苦笑しつつあきらめ顔で叫んでいたのを聞いて、ぼくは哀しい気持ちが湧き起こりながらも、同時に「やっぱりな」という思いも抑えることができませんでした。  もちろん、高橋さんはそこに積極的な意義を込めてはいるわけです。  作家の小川洋子さんも、文学というのはかつて生きた人々の最後列にいて落としものを拾っていくような、そんな影の存在でしかないといいます。  でも、本人も気づか

          ブンガクって逃避? それを聞き捨てならない人、それが当たり前の人。

          ピュアな出来損ない。偉大なるネーミング「ゆるキャラ」に宿る体温の正体。

          ダサくうっとおしい。でも捨ておけない。  物産展などで、所在投げに突っ立っている。  遠慮がちに手など振ったりしている。  小さな子どもが時おり興味を示す以外、遠くからチラと見るぐらいで、近づく人はいない。    なんかへんなものがいたな。  その程度の印象で、みな忘れてしまう。  それが地方の町おこしのために作られていた、かつての着ぐるみキャラクター。    いや、地方のお役所さんたちのやろうとしている気持ちはすっごくわかるのです。  ただ、田舎の母親が送ってきたダンボ

          ピュアな出来損ない。偉大なるネーミング「ゆるキャラ」に宿る体温の正体。

          「知る」はサミシイ。「驚く」はいつもワクワク。だから「不思議をただ驚いていたいんだ」 国木田独歩。

          存在理由が欲しい人間  人はどうしたってそこに「理由」がないとどうにも居心地が悪い。     理由って因果や目的、つまりストーリーといってもいい。     でも、悲しいことに、神さまって、たぶん、宇宙の創造物たるものすべてに、なんの存在理由=ストーリーも与えていないのかもと思う。     自分も宇宙も、ただ「在る」だけ。  意味などない。  しかしこれって、考えるほどになんだか怖くなってくる。  この恐怖に耐えきれないから、人間は絶えずストーリーを編もうとする。  ストー

          「知る」はサミシイ。「驚く」はいつもワクワク。だから「不思議をただ驚いていたいんだ」 国木田独歩。

          書くドーパミン、会うドーパミン。源泉は同じ。

           昨日は待ちに待ってた神戸#ライター交流会。  講師のひとり、西宮在住編集者・藤本智士さん。  「友達少ないねん、ぼく」って連発しながらも、  「現場が好き。意図せぬことが起こるのが現場だけど、それが求めてたことだったりするからドーパミンドバドバ!」  これってほんと御意御意!  ぼくも同じようなことをnoteプロフィールに書いたばかり。  脚本を練りに練り、撮影現場を完璧に作り上げることで知られた黒澤明監督も、実はそう言ってた。  参加したライターさんたちとの名

          書くドーパミン、会うドーパミン。源泉は同じ。

          ポップなPR調から、アイテムを生活ストーリーで語るシックなコラム風、公式広報文体まで。

          フリーの編集ライター きくちよKG です。 ん? 「ライター」とだけ名乗らず、「編集ライター」だと? 書くだけじゃないってこと? 「編集」とは、書かれる前のアイデアをつくることや、つきまとう「人とのやりとり」のこと、つまりプロデュースやディレクションの仕事のことをいいます。 そうなんです。 ぼく、執筆だけでなく、企画から人の管理までも請け負うからなんです。 もちろん、カチコチ書くってことにドーパミンがドバドバ出るタチなので、  「こんなん書いてよ」  「へい、まいどー

          ポップなPR調から、アイテムを生活ストーリーで語るシックなコラム風、公式広報文体まで。

          ちゃぶ台返しの、その後は。

           ある日の夕飯時のこと。     いつもより大きなため息を伴った母の足音がお勉強終了の合図。  ぼくはちゃぶ台上に広げていた算数の宿題をバタバタと片付けて、代わりに平皿をさっと胸の前に引き寄せます。     そこにすかさず、母の手になる焼きあがったばかりのお好み焼きがフライパンから手荒く放り込まれました。  一瞬跳ねあがった皿からお好み焼きが飛び出しそうになったけれど、だいじょうぶ。皿にすっぽり収まるように、皿を持ち上げ、ゆさゆさ。これでよしと。  台所に戻る母の背中に向

          ちゃぶ台返しの、その後は。