例えば今この場所に放送作家がいる物理的価値について

 例えば僕よりも才能豊かな放送作家は腐るほどいるわけだけど、その会議に放送作家が僕しかいなければ、その場で放送作家的な価値を与えることができる人間は僕しかいない。その場で物理的に一緒に番組の問題点に対して悩める人間は僕しかいないのだから、他の放送作家のことなんて関係ない。ただその空間に僕のノウハウと技術を売るだけなのだ。

 バッハよりピアノは下手かもしれないが公民館でピアノを弾くアマチュアのピアニストがその場の観衆の心を打てることがある。バッハにはそれができない。その場にいるピアニストにしかその場を沸かせることができないのだから、ピアニストは自由に旋律を奏でればいい。物理的な価値は誰しも持っている。どんなに惨めな人でも生きている限り誰かの役に立っているという発想は、その人に物理的な価値が何らかの理由で必ず内在しているからに他ならない。だから生きてください。

 そんなことを雨の日に考えていた。

 放送作家だってコンビニの数よりは少ないけど多くいる中で、わざわざ僕に声を掛けてくれる人がいる限り僕は戦うのだ。ある会議で「このチームでやるからこそ出てくるアイデアがある。企画があるし、それをやらないと意味ないよね」と言ってる人がいて、それは美しい考え方だなと思った。一人よりも二人、三人といる方が良いアイデアが出るのは間違いないし、そのメンバーだからこそ生み出せる価値があるはずだ。僕はそれを見つけたい。答えはないかもしれないけど、最適解が必ずあるし、多くの人が納得できるようなアウトプットを出したい。 


記事を読んでくださりありがとうございました! 良かったらフォローしてください! よろしくお願いします。