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妊娠初期 〜突然訪れる妊娠生活、夫婦それぞれにできることって?〜

2020年2月4日、お腹に赤ちゃんがいることがわかり、妊娠生活が突如スタート。新しい家族ができることで生活が変わることは想像していましたが、お腹の中にいる時から、私たちの生活は突如として一変することとなりました。妊娠は望んでいたことでとてもとても喜ばしいことでしたが、想像以上に大変な生活でした。
世の妊婦さんやお母さんへの尊敬の念と同時に、この大変さを少しでも多くの人に知ってもらいたいと思いました。そして妊婦さんの身の回りの人が少しでも力になって、妊婦さんを支えられるような世の中になったらいいなと考え、自分たちの生活や体験が参考になればと思い、綴ってみます。

突然訪れた妊娠生活

妻:1月30日、少し不調だなと思いつつ日中は通常業務をし、夜は飲食のイベントへ。お酒も刺身も体が欲しなく、ただただ仕事疲れかと思う。友人に「妊娠じゃない?」と言われるが、大きく否定した。2日前に生理不順で産婦人科で診察し、黄体ホルモンの注射を打ってもらったばかりだったからだ。
2月1日、朝から視察や打ち合わせで活動するがずっと頭がぼーっとしている。夜は仕事の打合せ兼日本酒試飲会へ。大好きな日本酒が進まない。なんとかその場をしのぎ、家についてそのまま布団に直行した。
2月2日、熱があるわけではないのに布団からでれず、予定を全てキャンセルして一日中横になる。この気持ち悪さははじめてというくらいだった。
2月3日、具合が悪いのがなおらず、妊娠検査薬を使ってみたところ、、陽性反応!!でも黄体ホルモン剤の影響かもしれないと疑った。
2月4日、産婦人科へ。先週受診したばかりなので、先生も陽性反応に対して疑心暗鬼。一応診てみようか、と、内診をしてもらうと、「あ、いますね」と妊娠が発覚。(あれだけ疑っていたくせにあっさり・・!)
子供ができにくい体質と言われていたので本当にびっくり。妊娠6週目だった。

夫:数日具合が悪い様子の妻。あまりに何日も続くもんだから、ほんとにそんなにつらいのか?と若干の不信感すら感じてしまった。楽しみにしていた休日の予定も止むを得ずキャンセル。原因もはっきりしないので本人ももやもや。
結果、それはつわりの症状であり妊娠していたことが発覚!!にわかに信じられなかったのだけど、病院で診断されたのだから、そうなのだろう。第一報の電話を切ると嬉しさが込み上げ、一人にやにやしながら歩いていた(相当気持ち悪かったと思う)。

キメラとの戦い

妻:妊娠が発覚したのは良いが、体調が悪くても薬が飲めない。気持ち悪いのは日に日にひどくなり常に船酔いをしている気分だった。吐きつわり、においつわり、寝つわり、食べつわり、あらゆるつわりがのしかかってきた。
突然異物がお腹の中に住みついて、体が拒否反応を起こしているようだった。まさに「鋼の錬金術師」のキメラに合成させられた感覚に近いのかもしれない。とにかく布団に横たわり、吐き気との戦い。何を食べても体に合わず出してしまう。しまいには水を飲んでも吐いてしまうため点滴にお世話になることもあった。
同居人がひたすら吐いている光景は、夫もつらかったと思う。できるだけ気を紛らわせるために、吐く=「儀式」と呼び方を変えて茶化した。それに対して、夫が毎回「ナイスファイ!」と反応してくれたのはありがたかった。

夫:つわりがつらいものだと聞いてはいたが、妻のそれはどちらかと言えばひどい方だったと思う。不調を訴えてから約2ヶ月くらいは、ずっと布団で横になっていた。外出はもちろんできず、家でもベッドとトイレの往復。全く想像のできない症状に、なにもしてあげることができなかった。
でも一つだけ心がけたのは、「儀式」から戻ってきた時には、「ナイスファイ!」と声をかけ続けた正直、どんな反応したらいいのか迷うのだが、知らんぷりをすることは心苦しかったので、やや大げさなくらいに無邪気に言い続けた。ほんとにきつい時はうざかったと思うが、一声かけることが大事な反応だったと思う。

全ての匂いがだめになる

夫:キメラとの戦いを過ごす妻にとって、最大の敵は”匂い”だったらしい。それも日が経つにつれ辛くなっているようであり、特にキッチンの匂いは生ものや調味料やら排水口やら、いろんなものが入り混じっているのだから、嗅覚が犬並みと言われる妊婦さんにとってそれはひどいものだろう。ちなみに、石鹸の匂いは多くの妊婦さんが辛いようで、これが地味にこまったものだった。「匂いのない石鹸を買ってきてくれ」と言われ、そんなものが存在するのか!?と慌ててネットで調べた。無香料と書いてあれども、使ってみないとわからない・・一旦わが家はこれで落ち着いたのでご紹介。

そうそう、ダメになってしまう匂いのひとつに夫の匂いもある・・涙。妻からは言いにくいものだけど、やんわり伝えてくれた。夫は覚悟しておくのと、日々、匂いが大丈夫か気遣ってあげよう。(特に呑んで帰ってきた日は最悪で、その日は流石に寝室を分けてくれと言われてしまった。 深く反省。)


妻:米を炊くにおいがダメ、とはよく聞くけどそんなもんじゃない。ありとあらゆるにおいがダメになる。キッチン全般、トイレットペーパーの独特のにおい、石鹸や洗剤、お風呂の湯気。お風呂は息を最小限にしてシャワーをすばやく浴びる日々。なにか少しでもニオイがしようものなら吐き気をもよおし洗面所へ。コロナ禍関係なく家の中でもずっとマスクをつけていた。
あげくの果てには夫のにおいもダメになってしまう。夫のにおいがダメって、夫婦としては危機なのではないか・・Google先生にも相談し、妊娠を機に夫のにおいに拒絶反応するのは生物学的には正しいという記事を読んで安心した。到底本人に直接は言えないため、その記事を見せて間接的に知ってもらったりもした。

何が食べられるかわからない

妻:つわりで食べ物の嗜好ががらりと変わった。もともとパンより米派、朝は納豆と味噌汁だった私が、米ダメ、味噌ダメ、醤油や出汁など和食全般がダメになってしまったのだ。この嗜好は後期までつづき、洋食派へとシフトした。
もとよりキッチンには立てなくなってしまっていたため、夫は自分の分の食事をつくり、その日の気分で変わる私が食べたいもの買ってくるという生活になった。
なにか食べると気持ち悪くなるし、なにも食べないと空腹で気持ち悪くなるというややこしいつわり。なので、病院に行くときはいつも小さい菓子パンを持っていって、小腹が空いたらちょびちょび食べていた。

夫:一番可哀想だと感じたのは食べ物。つわりのピーク時は、本当に食べられるものが限られていた。妻はなぜかミニトマトにハマり、1日それだけ、という日も少なくなかった。あとよく食べていたのは、カロリーメイト、菓子パン、フルーツゼリー、ランチパックのピーナッツなど。厄介なのは”自分でもなにが食べたいのかがわからない”こと。今日何が食べたいかは気分次第。私が気をつけていたのは、毎日仕事帰りにスーパーへ買い物に行き「今日は何か食べれそう?何か買ってくる?」と都度聞くこと。毎日食べれるものが変わるので、毎回聞く。人によってはうざがられそうだが、うちはこれが効いた。聞いているうちに、甘いものは食べれそうとか、ゼリーっぽいものがいいのだなとか、なんとなく勘所がついてきた。たまに、これは食べれるかも?というものを試しに買っていった。これにより、妻は人生で初めてウイダーinゼリーと出会った。(口にした瞬間感動していて、私の株もだいぶ上がったのではないかと思う。笑)
あと思い出すのは、ピンポイントでフィナンシェが食べたい、と言われたこと・・スーパー、パン屋、コンビニをあちこち探し回った。これがなかなか見つけられなかったが、結局はセブンイレブンでゲットできたのでよかった。

救世主”ドラえもん”

妻:一番つらかったのは、今までできたことが全くできなくなったこと。仕事は中途半端になってしまうし、家事も全くできない。寝づわりで眠いのに気持ち悪くて寝れないなか横になっている日々は、ただただ早く一日が終わる事を願っていた
そんな気を紛らわしてくれたのは「旧ドラえもんの映画」だった。目をつむって音を聞くだけでも映像が流れてくるほど見ていたドラえもんの映画は、通常運転していない脳に優しく、いつも子守唄として流していた。そういうものがひとつでもあるとこの時期は心強い。

夫:この時ほど、ドラえもんに感謝したことはない。もともと夫婦揃ってドラえもんは大好きだったがやっぱり素晴らしかった。運良くAmazonプライムで過去映画全公開になっていたから、妻の日々のお供はドラえもんの映画だった。横になっているだけの生活はつらかろうが、このつらさを少しでも和らげてくれたドラえもんにはとにかくありがとうと伝えたい。子どもにもぜひドラえもん(旧版にかぎるが)を見せてやりたいと強く思った。

産まれてくる子どもに向き合う

妻:11週の健診の時、先生から「NT値が厚いですね」といわれた。赤ちゃんの首から背中にかけての浮腫のことで、この浮腫が一定以上大きいとダウン症や心臓疾患の障害を持って生まれてくる確率が高いそうだ。まだ判断するには早いタイミングだったが、言われた時はなんの事か実感がわかず、家に帰って調べまくった。
高齢出産だと先天的な障害の確率が高くなる、とかいろいろ出てきて胸がざわざわした。いざ自分の子が障害を持って生まれてくるかもしれないとわかった時の動揺、ショックを隠せなかった。
ダウン症について調べたり、ダウン症の子供を持つ親のブログを読んだり少しでも情報を入れた。障害者施設でボランティアをしていた母にも話を聞いてもらい「ダウン症の子は天使だよ」という言葉に救われた。この時、改めてお腹に宿った命が奇跡であること、どんな事があっても自分がこの生命を守らなきゃいけないと意識した。


夫:「NT値が厚い」。最初はなんのこっちゃわからず、妻に説明してもらう。私はその時すぐには実感がわかなかったのだが、妻は先生から直接その話を聞き、なんなら自分に責任すら感じてしまっていたかもしれない(絶対にそんなことはないのだけど)。家に帰ってくると横になりながら涙していた。そんな姿を見てしっかり向き合わなければいけないと考えさせられた。
病院では、出生前検査といって胎児に異常があるかどうかをより正確に判定することもできるらしい。お互い悩み、話し合った結果、わが家は出生前検査は受けないことにした。受けてもその結果によってどうこうすることはないし、生まれてくるわが子はわが子。将来的にどうなるのかは分からないが、そういう考え方に至ったのだ。夫婦でしっかりと向き合い、話し合うことができたことは本当によかったと思う。

”ありがとう”は魔法の言葉

夫:妻は妊娠期間中、ほとんど動けなかったので、ほぼ全ての家事は自分がやることになっていた。といっても2人生活だし妻は食べれる物もほとんどないので家事の量としては一人暮らしと大差ないくらい。つわりは大変だと思っていたし、それくらいは当たり前、という気持ちでやっていた。
でも、とっても嬉しかったのは、洗濯物を干したり、食器を洗ったり、ゴミ出しだったり、本当に些細な行動一つでも「ありがとう」と言ってくれた。最初は、そんなのいちいち言ってたら疲れちゃうから言わなくてもいいのに、と思っていたのだけど、最後まで妻はその言葉をかけ続けてくれた。自分も当たり前だと思ってやっていたけれど、その後もずっと言い続けてくれたから、自分は「やってやってる」なんて気持ちを持たずに一緒に生活できていたと思う。小さな一言かもしれないけどとっても大きな言葉だった。どんなに付き合いが長くなっても、忘れたくない魔法の言葉だ。


妻:つわり中、ほぼ全ての家事は夫がしてくれた。その時は自分の無能さにネガティブになるし、息しかしていない人でいるのがつらいのだけど、ただ、できることは「ありがとう」という感謝だった。何も言わなくても通じるなんてことはない。とにかく、言葉で感謝をひたすら伝えるのを意識した。体は動かなくとも口は動くのだから。

★本人しか知らない本当の妊婦さんの1日

妻:2月から始まったつわり。夫が出勤する時はできるだけ玄関で見送り、日付が変わって帰ってきても寝室の電気は付けて横になっていた。飲みにも行ってきてほしかったし、私のせいで夫の生活が変わらないで欲しいと思った。そんな中、緊急事態宣言が発令され、3月末から夫が在宅勤務になり、買い物以外家にいる環境になった。
今までは「今日も動けなくて横になっていた」という私の言葉ででしか日中の出来事を伝えられなかったけど、ついに私が文字通り1日中ベットに横になっている光景を夫は目に見ることになる。短期間であれば無理をしてこの姿を隠していたかもしれないけど、とうとう隠せなくなった。
理解のある夫だけど、それでも日中の寝たきりの姿を見て、「意識的にもう少し動いた方がいいんじゃない」や「お風呂入ったら」など言われた時は絶望だった。「できるならやってる。でもできないから辛いの。。」と、泣いてしまった。(妊娠中はとにかく情緒不安定で涙脆い)
私のこんな姿を見てもやっぱり100%理解するのは難しいし、もし変わらず日中に会社に行っていたら尚更理解に苦しんだと思う。そういう意味では全てをさらけ出せたのはよかったのかもしれない。

夫:緊急事態宣言により、私が働く会社でも在宅勤務が推進された。妻が大変な時期なのでなにかあればサポートできるし不謹慎ながら好都合だなと思った。もちろんその一面はあったのだが、その分、本当の妻の生活を目の当たりにすることにもなった。
本当に1日中ベットで横になってた。リビングにいる時間は1秒もない。こんな生活を2ヶ月も続けていたかと思うと言葉にならない。なにをやるにも辛いのだから、自分ができることはできるだけやろうと思ったし、家にいる間はできるだけ側にいようと強く思った。だから、働いている夫は少しでも早く帰ってあげてほしいし、自分の時間も大事だと思うが、妻との時間もより大事にしてもらいたい。夫には外の世界があるのだけど、妻には夫しかいないのだから。

妊婦さんの体調には個人差があるというが、私がこれまで接したり見かけたりする妊婦さんは比較的元気な方だったかもしれない。それはそうか、本当に体調が悪い妊婦さんは外に出てこれないから。あるいは、外出したり働いている妊婦さんも、外では気を張っていて、帰ったらバタンキューなのではないかと思う。
こういった妊婦さんに訪れる体調の変化の全貌は、世間一般には知られづらいと思う。よく、あの人は産む直前まで働いててパワフルだった、なんて話を耳にするが、一側面でしかないとも思う。世の妊婦さんは何かしら体の不調を抱え、堪えながら過ごしていることを、より多くの人に知ってもらいたいと思った。職場に妊婦さんがいたら、街中で見かけたら、その人のたった今の状況だけでなく、日々の生活で抱えるいろんなことを想像しながら接するようにしようと思ったし、みんながそうする世の中であってほしいと思う。

(オマケ)オススメのアプリはこれだ!

妻:先輩ママに教えてもらったアプリ。妊娠何日目かによって、その日の赤ちゃんがどのくらい育っているのか、その時の妊婦さんの状況など、一般的な情報を提供してくれる。「トツキトオカ」は赤ちゃんの絵が毎回励ましの言葉をくれて、少なからず救われていた。言葉って大事だ。
まめな夫は毎日その日を振り返り日記をつけてくれ、毎晩それを読むのも楽しみだった。ちょっとした事などコメントし合い、寝る前の会話も弾んだ。

夫:「奥様のケアしっかり!」なんて周りの人に言われるのだけど、家事を手伝うこと以外、なにをしたらいいのか正直よくわからないし誰も教えてくれない。心のケア、ということが一番なんだろうけど、正解がほんとにわからない。そんなときにコミュニケーションツールとして交換日記のような役割をしてくれた「トツキトオカ」アプリはとてもよかった。日々の他愛のないことも残しておけたし、妻の少しばかり支えになったのではないかと思う。自分も、忙しい日々に追われながらも妻に向き会うことができた。このアプリを使ってから、日記は1日も欠かさないと決め、書き続けた。小さいけれども、自分が妻にできることの一つだった。

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