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【旅行記】中くらいの旅

こんにちは。
2023年8月後半の学問的関心をまとめるべく、旅行記を書きました。
(8月前半の学問的関心はこちら! https://note.com/kikuchi_no_te/n/nb87851f7aa1a)
【旅行記】の名前に分かる通り、旅を振り返る形を取ることで、読んでいて楽しい形を目指しました。
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8月20日 旅の準備で本を読む

旅に出る事前準備として、岩波ブックレットから次の二冊を読む。
①『検証 ナチスは「良い」こともしたのか?』小野寺 拓也, 田中 大輔
②『ホロコーストを次世代に伝える』中谷 剛

 ①はTwitterで知った。著者の方が、①の中身を読まないで批判をしている人に応答されているのが話題になっていた。それぞれのトピック(アウトバーンの建設など)について、目的や実際の効果など、3つの観点に分けて分析を繰り返すというパターンが特徴的だった。思えば歴史学の分野のテキストを改めて読んだのは、今回が初めてだったような気がする。恐らく、「歴史学における、学問的な検証」の姿勢が、分析を繰り返すというこのパターンに現れているのだろう。非常に面白かった。
 一つ心に留めておこうと思ったのが、「ナチスは大衆が存在していることによって、その勢力を発揮することができた」という記述だ。学会などでもこの見方がスタンダードになっているようだ。確かに③クリストファー・ブラウニング『普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊』という本もあることを思い出す。教科書の中では無名である人間が歴史を作っていたという見方、これを事前にうっすらと意識。

 ②については、旅の前半に参加するスタディツアーの課題図書だった。アウシュヴィッツ強制収容所でガイドとして働く中谷剛さんが、自身の仕事に関してまとめた本。誰かの旅行ブログで「アウシュヴィッツ収容所」について書かれる時、必ずと言ってよいほど中谷さんの名前が出てくる。誰がどう見てもネガティブな事態が起こった場所において、「それでもなお」、未来に向かってガイドをし続ける行為について。そこに見出される方向性のようなものが印象に残っている。

8月22日 アナザー東京、名古屋に迷いこむ

 早朝に東京駅を発ち、名古屋で降りる。2時間ずっと、車窓を眺めていた。車窓には自分が全く知らない風景が広がっていた。ここからしばらく、どの場所にいる時でも山が見えるという日が続くことに気づき、関東平野が「平野」であることを改めて感じる。
 
 名古屋の通勤ラッシュに飲まれながら地下鉄に乗る。知らない地名に囲まれ、夢の中の「アナザー東京」に迷いこんでしまったかのような感覚。いまや地図だけが頼りであり、地下鉄ではドアの前に陣取って、頭上の見慣れない路線図を食い入るように見つめる。

名古屋の地下鉄。夢に迷いこんだ心地がする。

 開館の時間と同時に、④愛知県立美術館に到着。常設展が見たかった。頭を使わせるキュレーションがなされていて、非常に面白かった。「似せる」象徴、表現技法(マニエールというやつ?)、そして「類推」させる記号。作者が見た世界が、どのように作品の中に立ち現れてくるかについて考える。
 クリムトの「人生は戦いなり(黄金騎士)」も見ることができて大満足。

 午後にはスタディツアーが開始された。市内にある瑞陵高校という学校に伺い、⑤「センポ・スギハラ・メモリアル」という一角についての説明を受けたり、高校生との交流を行う。
 ④の名前から予想がつくかもしれないが、このツアーは杉原千畝という人物(あえて説明はしない)について学ぶことを目的としていた。引っ込み思案な私は、自分を強制的に遠くにやってこさせる名目として、このツアーに申し込んだ。杉原氏にはそこまで熱い関心があったわけではなく、どちらかと言うと当時のドイツの情勢とフランクフルト学派に関心があった。
 ④の交流で印象に残っているのは二つだ。
 一つ目は、杉原千畝「以外」の人物もシッカリと説明がなされていたことだ。例えば杉原によって救われた人、杉原より前の段階として「キュラソービザ」という物を発行したオランダの大使、そしてユダヤ人をシベリアから日本へ渡るのを助けた人など。①で注目したのと逆ではあるが、杉原のストーリーに回収されがちな、杉原千畝「以外」の人について関心を持った。
 そして二つ目に、そこで出迎えてくれた教師のような人と交わした会話だ。彼は私にボソッと「杉原を英雄視しすぎるのはよくないよね」と言った。私が斜めに見るような態度を取っていたことと関係がないとは思うが、彼の言ったことには共感した。また、その方と⑥『夜と霧』V・E・フランクル についての会話を交わすことができてうれしかった。年齢や地域が違っても、本は人間を強く結びつける力を持っているのだと改めて実感。これには今回のような実例が幾つかあるので、私のなかで動かしがたい真実となりつつある。
 余談だが、この説明の中で、私が現在居住している寮に杉原千畝が出入りしていたことがあると知った。

8月23日 岐阜でヘブライ語に出会う

 スタディツアー二日目。名鉄名古屋駅を出発し、岐阜県可児市へと向かう。名鉄名古屋駅は、多くの路線で同じプラットホームを共有しているらしい。そのためか、並ぶべき場所がカラフルなランプで示される。面白いが複雑なので、通勤ラッシュを過ぎた時間に行って正解だ。

画像の上の辺り、行き先表示のランプが特徴的。

 岐阜県への道は空いており、またしてもずっと外を眺めていた。自分の地元である茨城県のような、静かな田舎の風景だ。人間はどこまで行っても、しぶとく生きているものだとしみじみ思った。

 (新)可児駅からタクシーで⑦杉原千畝記念館へと行く。バケツをひっくり返したような通り雨の中、整備された山の中を昇っていく。記念館はダムの近くにある真新しい建物だった。
 中で館長の方が説明して下さり、長い時間をかけて見学や質疑応答が活発に行われた。ここでは3つの気づきを書こうと思う。
 一つ目に、この時にヘブライ語で書かれている多言語の表示を初めて見た。それぞれのパネルには日本語―英語―ヘブライ語の三つが書かれており、まるでロゼッタ・ストーンのようだった。ヘブライ語は丸っこい形をしており、どれも似たような形の表音文字であるように思われる。数字くらいなら分かるかもしれないと思ったが、数字もアラビア数字ではなかった。
 この説明がヘブライ語で書かれている理由は、イスラエルからこの地に訪れる人が多いからだということだった。ユダヤ人を助けた実績を持つ千畝に、感謝の思いを込めて来館するらしい。
 二つ目が、来場者の張り紙だ。よく公共の施設で見られるが、来場者がコメントを書いて貼り付ける掲示板のようなものがあった。見ると、手書きのヘブライ語で埋め尽くされた付箋がちらほら貼られている。他にも英語や中国語があったが、日本語の付箋はどれも綺麗な文字で書かれていたのが印象的だった。中には千畝に影響されて外交官になった人のメッセージなどもあり、その人の思いがほとばしるようなみずみずしい筆跡をしていた。それこそ、この掲示板も杉原千畝「以外」の人の物語だと感じた。それぞれの人生が<杉原>という一つの単語で結びつき、この掲示板の上で世界が交錯している。それが面白いし、美しいとも思う。
 三つ目に、上記二つのような気付きをする私自身が、どこか「ズレて」いるのではないかという発見だ。本当ならここで、展示の内容と千畝についてのコメントをするべきなのだろう。しかし私は、上のようなよく分からない―本来、学んでほしいと思われる「勘所」ではない場所―に興味を持ち、思いを巡らせている。
 このような発見をしているうちに雨は上がり、帰りの道では美しい風景を見ることができた。

8月24日 敦賀で人道について学ぶ

 スタディツアーの最終日である。名古屋のホテルを出発し、小雨のプラットホームから「特急しらさぎ」に乗り込んだ。何やら格好良い名前だ。この鳥は福井県の敦賀を目指し、霧がうごめく山の間を通り抜けていく。今でこそ特急があるからいいものの、江戸時代などに行脚をしていた人間はさぞかし大変だっただろう。
 霧が魔術的なうねりを見せる窓の外を見ながら、自分という存在について少しだけ考えた。これは天気のせいだったかもしれないが、この広い場所(地上)から自分が消えた所で、地上にとっては何の変化も感傷もないのだろうとふと思った。どんな山の奥でも人家はあり、人々は逞しく暮らしている。同じ「国民」という括りでまとめ上げるのが乱暴に思えるくらい遠くに住んでいる人々だとしても…。天気のせいか、ライチョウを降りた時には少し気分が悪くなっていた。

 降り立った敦賀駅には、凝った形の本屋があった。二階から本棚を見ると、まるで一つの木のような形状をしていた。お昼休憩の時間、その場所で、まるでマラソン選手が給水するような形で⑧『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評』柿木 伸之を購入する。実は、冒頭の2冊から本を読んでいなかったため、私のどこかのフラストレーションが限界を迎えていた。早急に本を開かないと、息が詰まってしまうような気分だったのだ。ましてや知らない土地の連続であるため、本というものにしがみ付きたい思いはより強まっていた。
 私があえてこのようなことを書くのも、この時の心地を深堀りしたら面白いと感じているからだ。自分がいかに本を必要としているか。それは言い換えれば、本が無いと世の中を把握できないようなトラブルに片足を突っ込んでいるのではないか。この話題に沿って、自分の考えを進めて行けるような気がしている。

ベンヤミンと、名物であるニシンが乗ったそば

 それはさておき、敦賀にやってきたのには理由があった。すなわち、杉原のビザを手に日本に渡って来たユダヤ人が入国したのが、この港だったということだ。私たちは、彼らの視点を知るという目的で、地元の自治体の方のもとで、小型の客船に乗って湾内をぐるりと回った。船に乗るのは久しぶりだった。船は灰色の水をぱっくりと裂き、白い泡の波を立てながら進んでいった。コンテナやトレーラーの脇を通る時に、寮の自分の部屋にあるいろいろな物品も、こうした大掛かりな輸送を経て私の元にあるのかもしれないと思った。
 その後は⑨人道の港 敦賀ムゼウムを訪れた。地元の敦賀高校には「創生部」なるものがあり、そこに所属する生徒の皆さんが説明をしてくれた。ここでは前二日間と異なり、広く「人道」というテーマに焦点を当てた展示がされていた。創生部の皆さんがガイドとして活躍していたが、彼らが活動を自分たちのものに落とし込んでいる点に興味を持った。マニュアル的にやるべきことをやっているのではなく、自分なりに活動を意味付けして、誇りを持って実行しているような感じを受けたのだ。取材に来ていた新聞記者の方にそのようなことを伝えたら、記事に少しだけ載せてくれた。(有料記事なので、イメージだけでも以下に)

 ここで、またしても来客者がメッセージを残せる区画があったので、三日間を総括するようなメッセージを残しておいた。
 

逃れてきたユダヤ人に、地元の少年がリンゴを渡したエピソードがある。
そのため、リンゴがあちこちにシンボルとして登場する。

 展示の中で、敦賀の町の人々がユダヤ人に何かをしてあげた記録が残っている箇所があった。ここでもやはり、名もなき一人ひとりの動きが見え隠れしている。それを感じたこともあって、上のようなコメントに行きついたのだと思われる。

 さて、スタディツアーのプログラムはここで終了となり、現地解散となった。私は名古屋を経由して東京に帰ることはせず、「特急サンダーバード」という列車に乗り、京都を目指した。琵琶湖の左側を通って京都に向かう、まるでいつかの物資運搬ルートのような路線だった。自由席は椅子が空いていなかったため、デッキに立ったまま⑧の本を読む。車両の接続部が立てる轟音を、今でもよく思い出すことができる。まるで高校生がテスト期間を耐え抜くときのような忍耐力をもってして、1時間ほどを過ごした。
 
 京都に着くと既に19時を回り、定食屋はだんだんと店じまいをしている頃合いだった。私はGoogle Mapを頼りに市の中心部をうろつき、偶然見つけたお好み焼きの店に入った。どちらかと言うと鴨川に近い『Mr.Young Men』という名前の店は、平日の夜でも客が入っていた。
 大盛りの料理で大変美味しかったのだが、ここで書きたいのは窓辺に座っていた外国人旅行客のことだ。彼らも私のように初めてこの店に来たようなぎこちなさがあった。恐らく父親だろう、大柄な中年男性は店内を黙って見回していた。反対側の娘がスマートフォンで検索を始めたので、目線を置いておくべき場所が無くなってしまったようだ。
 彼が何度かこちらを向いていることが分かった。私のちょうど後ろが厨房だったので、そちらを見ていたのかもしれない。今になって思えば、その可能性は割と大きい。しかし私はその時、「私は彼にどのように見えているのだろうか?」ということについて考えていた。この街に住んでいて、ふらりと新書を片手に夜の散歩に来た男性のように見えているのだろうか。Tシャツに簡単なスラックス、そしてサロモンのトレイルランニングシューズといういで立ちの私は、彼の中でどのような記憶の引き出しに処理されるのだろうか?私はそのことが非常に気になった。
 もし相手が自分と同じような文化圏で育ったならば、相手の見方はだいたい予想がつく。自分のモノの見方を参照すればよいからだ。その場合、自分が見られたいという理想像を演じ切ることも、比較的たやすいように思われる。相手の記憶の引き出しの狙った場所―「カワイイ人」とか「カッコイイ人」とか―に入り込む努力はできる。しかし相手がどのような引き出しを持っているかさえ予想がつかないとき、理想像を演じ切ることはほぼできないだろう。私は彼にとってどう見られているのだろう。それを知ることができたら、自分自身も気づいていない自分の本質に至ることもできるかもしれない。そう思いながら、「ヤングメンランチ」が届くまで彼をちらちら見ていた。

8月25日 京都で芸術の波に溺れる

 京都で目が覚める。朝からホテルを出て、またもや営業開始と同時に⑩京都国立近代美術館に入る。この時は、走泥社という陶芸家の団体についての企画展を実施していた。「陶芸」というと馴染みがなかったが、この展示を見て非常に感銘を受けた。
 二つ気づいたことがあった。一つは「陶芸」というものの特徴だ。絵画と比較して考えれば分かるが、陶芸は立体的である。そして、手に触れることが許されている(もちろん、展示されている作品の話ではない)。これによって、絵画とは違ったやり方で芸術の表現を実行することができる。立体としての形状、そして手ざわりとしての質感の二つである。④愛知県立美術館で学んだ表現技法と象徴、記号の関係性を思い出しながら、「陶芸」を芸術の一形態として改めて捉え直すことができたように感じた。
 二つ目の気づきとして、「穴」の存在の面白さが挙げられる。走泥社の作品は前衛的なものが多く、実用性というよりは表現に主軸を置いていた。にもかかわらず、最後まで花や水を入れる「穴」だけは作品に残されているのが非常に興味深かった。平らな面におもむろに空いている穴は、実用性を無くした陶芸の中で不気味に目立っている。白く明るい陶芸作品であっても、穴の中は見通せない暗さである。普通の花瓶やコップでは意識しない「穴」が、この前衛的な芸術のなかではかえって新しい意味を放っているように見えてくる。繰り返すが、これらの陶器が実用性を失っているという点があるからこそこの感覚が面白さを増している。
 このような全く未知の学びに熱くなっていたら、いつの間にかミュージアムカフェ『cafe de 505』に入店していた。少しの休息を取る。

朝から暑い日だったので、アイスコーヒーがとても美味しかった。
なんだかお洒落である。

 そして⑩の向かいにある⑪京都市京セラ美術館に赴く。こちらは建築が特徴的で、過去の遺産のようなレトロな建造物を、モダンな入り口などの仕掛けで改修している点が面白かった。ここでは「ルーヴル美術館展 愛を描く」という展覧会を行っていたため、若い人から大人まで大勢の人が詰めかけていた。たしか東京でも開催しており、少し話題になっていたはずだ。ここまで老若男女を惹きつける芸術を見たくなり、中へ入った。
 …のだが、15分ほどで出てきてしまった。一言で表すと、私にはそこまでピンと来る感じがなかった。走泥社の作品を見た後だったからかもしれないが、そこにある精緻な宗教画たちの「違い」が分からなかった。閾値がエラーを示すように、それぞれの絵を区別して、深く味わう態度が取れなかった。
 この理由として、二つ挙げられる。一つ目に、そもそもの動機が悪かった可能性だ。この展覧会は「ルーブル美術館展」である。この「ルーブル」という名称が全ての作品に先行して存在していたため、こちらの記事で述べた「記号化」が起こっていたのではないだろうかと思われる。

要は、見た人が「あー、これはこういうことね」という形で予期された刺激を受け取るようになってしまう。この時、人は芸術作品を理性的な体系の中で処理している。これが私たちの「記号化」である。

【2023年8月前編】学問的関心 より

 また二つ目に、そもそも来場者の多さが挙げられる。これは単純な理由であるが、作品と自分が1対1で向かい合う十分な時間が確保できなかった。それによって、勘所を掴みそこなってしまったのかもしれない。

 京セラ美術館を後にする頃には、さんさんと太陽が降り注ぎ、京都の盆地をすっかり温めていた。私は夕方の新幹線までの時間を、古本屋を巡ることに使うことに決めた。理由は、京都は人文系の学問に強く、そのために学術書が充実しているのではいかという期待があったからだ。西田幾多郎の京都学派も然り、河合隼雄も然り。
 何店舗か巡ったのだが、最初に訪れた『Books Herring』をいちばんよく覚えている。この日最初の客だったようで、店主の方が書庫の灯りを付けて回ってくれた。
 ここで3冊の本を買った。
⑫『ベルリンからエルサレムへ 青春の思い出』ゲルショム・ショーレム
⑬『アドルノ入門』R.ヴィガースハウス
⑭『新しい天使 ヴァルター・ベンヤミン著作集13』ベンヤミン

 ⑫は⑧の本で知った、ベンヤミンの友人であるショーレムの本。また⑭はベンヤミン自身の著作で、初めて名前を聞いたから購入した。
 正直に言うと、ベンヤミンの考えを十分に理解することはできていない。しかしそこには特有の「切実さ」のようなものが感じられ、そこに置かれている知性を継承する必要があるように思っている。秋学期には授業の中でも学ぶことができる予定であるため、より正確な読みを心掛けたい。

8月26日 静かな丘を登り、ロダンに会いにいく

 旅の最終日。私は静岡で目覚めた。東京に戻る前に、⑮静岡県立美術館にどうしても訪れたかったからだ。この美術館には『ロダン館』という、収蔵されているほとんどがロダンの作品となっている建物がある。朝の静けさが残る閑静な丘を登って、美術館まで赴いた。
 開館と同時に中に入ると、キャンパスを立てかけるイーゼルを脇に挟んだ大人たちが館内に散っていく。どうやらデッサン会のようなものをやっているらしく、展示品に紛れて画家たちが座っている。
 誰も口を開かない。画家たちも、学芸員の方も。そんな静寂の中で見た地獄の門をまだ覚えている。これが旅の終わりだった。

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【参考にした本と場所】
①『検証 ナチスは「良い」こともしたのか?』小野寺 拓也, 田中 大輔
②『ホロコーストを次世代に伝える』中谷 剛
③『普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊』クリストファー・ブラウニング
④ 愛知県立美術館
⑤「センポ・スギハラ・メモリアル」
⑥『夜と霧』V・E・フランクル 
⑦ 杉原千畝記念館
⑧『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評』柿木 伸之
⑨ 人道の港 敦賀ムゼウム
⑩ 京都国立近代美術館
⑪ 京都市京セラ美術館
⑫『ベルリンからエルサレムへ 青春の思い出』ゲルショム・ショーレム
⑬『アドルノ入門』R.ヴィガースハウス
⑭『新しい天使 ヴァルター・ベンヤミン著作集13』ベンヤミン
⑮静岡県立美術館
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