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長い手紙 その1


1. 1954年8月12日

拝啓 

今年も暑い夏ですね。
わざわざ手紙を寄越してくれて、ありがとうございます。夏が始まる前、Rさんに私の居所を伝えておいて、心から良かったと思います。言った通り、私は7月の下旬から、軽井沢の旅館に逗留しています。

あなたからいただいた手紙について、あえてその内容にそのまま触れることはしません。なぜ触れないかは説明が難しいのですが、ここから私が書くことが、回りまわって、ひとつの応答になればと思います。

前置きはこのくらいにします。もし、まだあなたに時間があるならば、私の話を少し聞いてください。

***

私が最近考えているのは、ひとりの人間が、生まれてから死ぬまで行っているのは、ただ時間を積み重ねるということではないかということです。

私たちが「自分」について考えるとき、それはおそらく、私たちの身体を通り過ぎて行った時間たちのことを考えています。たとえばいま、私は、過去に手紙を読んだ時間を呼び起こして、自分がどのように手紙を書けば、絶望の淵にいるあなたにアクセスできるかを考えます。そして、突き詰めて言えば、私たちが「自分」と呼ぶものも、この行為に似ているのではないでしょうか。つまり、あなたが今、「自分」という形で想定しているものは、あなたがこれまでに経験した、いくつかの時間の束なのではないでしょうか。私は近頃、そう考えるようになりました。

「自分」について悩むことは数多くありますが、「自分」に一貫性がないという悩みは、私のような人間にとってはわりと深刻なものでした。しかしこれも、「自分」とは、私が今ここで思い出している時間の束に過ぎないと考えれば、あまり不思議なことではないように思えます。あなたの身体の細胞が入れ替わっていくように、「自分」として思い出される時間の断片たちも、その組み合わせが連続的に入れ替わって行くのです。だから私たちには感情があるのですし、このようにして、文章を通してものを考えることができるのではないでしょうか。

私が書くことは、あるいはふつうの哲学・思想に照らして考えたら、とるに足らない自前のものにすぎません。だから、正直に申し上げて、あなたから見たら筋の通らない点も多くあるかもしれません。それは私も分かっています。私だって、できることならば、このようなことを人に話したいとは思いません。これはきわめて個人的なことであって、その意味では、中庭のようなものです。表通りからは見えない、家の真ん中にある小さな庭園です。しかし、私のなかのこの場所を開示することを除いては、あなたに正当に向き合った実感を得られる方法が見当たりません。だから、心を尽くして書いています。
 
***
 
あなたは本が好きでしたから、その話をしましょう。ちょうど私は今、旅館の廊下にある机でこの手紙を書いています。少し先には備え付けの本棚があり、ほかの多くの宿泊客が見物していきます。その表情はちょうど、通いなれた食堂の暖簾をくぐる時の「今日は誰がいるかしら?」という顔に似ています。

本というものもまた、ひとつの時間なのだと感じています。あなたが誰かと手を繋いだ時間、もしくは手を繋いでいる人たちを眺めた時間が、また新しい誰かと手を繋ぐあなたを作り出すように、本の著者が生きていた遠くの時間が、あなたの一部になるのです。(こう言うと、このごろ流行っている教養主義の片棒をかつぐように思われるかもしれませんが、私とて、そこまで難しい本を読むことはできませんので、そういうつもりはありません。あくまで私という、いまの「自分」から見た、本のひとつの在り方、素晴らしさです。)
本の著者と登場人物が生き返ることは、おそらくないでしょう。この時代にあって、あなたも私も、多くの死者を見てきました。彼らと同じく、過去の本にまつわるあらゆる人間も、ずっと死んだままです。しかし私たちは、彼女たちの時間を生きることができます。人間たちが残していった時間が、本の中には幾重にも張り巡らされています。ひとつ、作品の中で経過する時間。ふたつ、筆者がそれを書いていた時間です。私たちが時間の束であるとするならば、私たちは、「自分」のなかに、これらの時間を取り入れることができます。つまり、死者の一部が私たちになり、私たちの一部が死者になっているのです。その意味で、私たちは死者を取り込んで、生かし続けることもできるのです。たとえば墓とは、それを頼りにして、故人と過去の時間性を自己のうちに温存させつづけるというひとつの仕組みに思えます。

あなたは昔から、本を真剣に読みすぎると「もらう」と言っていました。こ
れは、間隔が鋭敏な人は、時間の継承が単なる「継承」ではなく、「同一化」と感じられるためでしょう。ホメロスの時間、ソクラテスの時間、イエスの時間、荘子の時間、ローザ・ルクセンブルクの時間…。それらがあなたに組み込まれるのではなく、あなたが「私は彼らだ」と経験するということです。つまりあなたは、時間を継承することにとどまらす、著者や人物と溶け合って、同一化しています。これは程度の問題のように思えます。私にはこうした強い感覚はありませんが、やはり、体質によるのかもしれませんね。
 
***
 
さきほどお墓の話をしましたが、あなたは、「手入れされていないお墓」について、どう思いますか?あるいは街の銅像でもいいです。というのも、手入れされていない銅像やお墓というものは、かえって、それがそこに存在していることを強く印象づけるからです。

窓の外はそろそろ薄暗くなってきました。林の向こうの空は菫色をしています。廊下にも電気が灯って、あかりがガラスに反射しています。私も手元のデスクランプを付け、執筆をつづけます。

これはまだ推測にすぎませんが、お墓やオブジェ、それに芸術作品は、あるひとかたまりの時間が結晶したものではないでしょうか。

それらと私たち生物の違いは、時間を滞留させる存在なのか、通過させる存在なのかの違いにあると考えます。つまり、人間がある記念碑をつくるとき、そこにはある種の時間が封じ込められているのです。それが「目的」であり、「意図」であります。

たとえば私の実家の近くには、20世紀の初めに戦争へ行った「無名戦士」の墓がありました。これは自治体によって設置されたものでしょうが、これの「目的」とは、無名戦士として不条理に散った人間たちの時間、戦争を生みだした時間、それを継承しようとした人の時間、それらの滞留にあります。願わくば、私たちはその時間を自らのうちに取り込んで、そうした過ちを繰り返さないようにすることが求められています。これも「目的」のうちでしょう。

しかし実際のところ、多くの記念碑やオブジェ、屋外に展示された美術品たちは、忘れられています。あるいは、「見えすぎて見えなくなっている」と書いたほうが適切かもしれません。ここで、埃や手垢、汚れは、その固まった時間が、まさに固まっていることを示しているのです。時間が固まって封じ込められると、またそこにひとつの時間が生まれます。時間をかけて地層が形成されていくように、時間は時間として、そこに堆積していくのでしょう。私は埃それ自体に時間を見るのではなく、埃が付着するそのものに封じ込められた時間を感じます。

 私たちは複雑に折り重なった時間の束にすぎません。束とはいいますが、それが折り重なっていることの方が重要でしょう。たとえば、ほとんどの人が同じ経験をし、同質の時間を取り入れていたとします。しかし、だからといって、全ての人が同じような性格になるとは限らないのは明白です。これは恐らく、その時間の重なり方が人によって異なることが理由です。
無名戦士の墓を例に取れば、そこには、死んでいった人間がいることを示す時間、追悼する時間、来世の人間にそれを覚えていてほしいと願う時間などが込められているはずです。ところで私たちは、こうしたものが存在することを知っていても、時には戦意を増幅させるかもしれません。「なるほど。こうやって死んでいった人がいるのか。なおさら無駄死にさせられない」といった感じです。このように、時間といっても、それをどのように重ね合わせられるか、どのような意味を付与されるかには違いがあります。これが「個性」というものではないでしょうか。

私がこうして記入したいくらかの思考は、「保守」という言葉を考える上で、あなたに何らかの手がかりを与えることができるかもしれません。いかんせん、私は政治的な思考が苦手なので、その辺りはあなたに委ねることにします。

すっかり暗くなり、窓際の眺めは夜の車窓のようです。赤い絨毯の向こうに食堂があり、上階から宿泊客がぞろぞろと降りてきました。

あなたがこれを読み、向こう一週間は生きてくれるということを信じて、今日はここで筆をおきます。明日は仕事があるので、明後日にまた手紙を送ります。

敬具 

1954年8月12日
Y・K 


2. 1954年8月14日

拝啓 

あなたがまだ物を読める状態であることを祈りつつ、今日も書こうと思います。

朝からいろいろなことがあり、ほとほと疲れました。文章が崩れていたらお許しください。

まず、明け方の4時23分です。
廊下が騒がしくなったので出ていくと、宿泊客の一人が倒れ込んでいました。ご老人で、持病によるものだそうです。さいわい近くに医師の方が滞在されていたので、すぐに応急処置を行いました。私も寝間着のまま外に出て行って、彼を看護室まで背負って行きました。

彼はびっしょりと汗をかいていて、私も寝間着を通して、その不気味な冷たさが背中に伝わりました。そして、彼は私の背中で、機械のようなうめき声を上げていました。「ぐおー、ぐおー、」という規則正しい音です。それを聞いているうちに、看護室までの廊下が永遠のように感じられました。

その音には、根源的な死の気配がありました。ああ、死とは、もしかしたらこういうものかもしれないな、と。そしてあなたが取り憑かれているのも、このような種類のものかもしれない。濡れた寝間着を脱いで、露天風呂から明るくなっていく山の端を眺めつつ、そう思いました。

あなたに問いかけるのが、栓の無いことは分かっています。しかし、私が書いているこの手紙は、果たしてあのような形相の死に対して、何らかのかかわりを持つことができるのでしょうか。それが不安なのです。ひょっとすると死に対して文学は、卵の中身に対する殻のようなもので、その中身を『名指す』ことは決してできないのでしょうか。こう思い悩んでいたために、朝食の後に手紙を書こうと思ったのですが、とうとう、午前中を無駄にしてしまいました。

午後はそれを忘れようと、身体を動かしました。駐車場のほうにテニスコートがあり、ほかの宿泊客とダブルス・マッチをしました。いくら避暑地といっても、さすがに昼間は暑いです。ゲームごとに木陰に入っては、スポーツ飲料をみんなで回し飲みしました。

夕食は、そこで知り合った菅谷さんという家族と一緒に食べました。菅谷さんは北陸の銀行を経営していらっしゃるようで、ご家族はみな、どこか快活なところがありました。特に私と同い年の娘・洋子さんは、夕食の時間じゅう話しっぱなしで、私がチキンソテーを食べ終わるころに、ようやく自分の肉に手を付ける始末でした。それでも、やはり人と話すのはいいものです。ひとりでいる時には味わえないような、窓を開け放った気分になりました。

そんなこともあってか、居室に戻ってくると、とても寂しい気持ちになりました。ゲラや原稿が散らばっている暗い机に座り、しばらく煙草の炎を眺めていました。
絶望しているあなたに私の落胆を伝えるのは、間違っているかもしれません。けれど、私は他者の時間を知ると、これまでの自分の行いが、すべて間違った、ひどく見すぼらしいものに感じられるのも事実です。

おとといあなたに送ったものは、私のものの見方にすぎません。それが内容として正しいのか、私の行いとしても正しいのか、全く分かりません。ただひとつ言えるのは、思考は、その思考自体では完結しないということです。誰かが何らかの意味で批評をし、現実でその絶え間ない裏打ちを成し遂げてこそ、その思考はいっぱしの思考であるという気がするからです。とにかく、これもまた、風を入れることが肝要なのでしょう。真実を求めているわけではないにせよ…。

このように、自らのことを深く恥じる態度には、終わりが見えません。せめて、早めに眠ることにします。今日は私の意見を述べる力が残っておらず、申し訳ありません。
納得のいく答えが聞けるまで、あなたにもう少し生きていてほしいです。

追伸:あすはあの戦争が終わってから9年です。戦争というものも、それ自体、ひとつの時間の停止装置であると思います。また、戦争が人を惹きつける理由は、それが巨大な「意味」の発生装置であるからです。ひとの実存の欲求というもの、それを軽く埋めてしまうのです。でも、それは私たちの人間性に対する、端的な侮辱です。人を殺すことより、愛することのほうがよっぽど難しい。私はそう思っています…

敬具 

1954年8月14日
Y・K

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