見出し画像

【母の日】アルバム20冊分の写真をデータにして贈るのだ

お母さんもいつか死ぬんだ、ということに気付いて夜布団の中で泣いたのは、小学校1年生のときだった。どう考えても理不尽な怒られ方をして、お母さんもこんな感情的になることがあるんだ、と少し怖くなったのが小学4年生のとき。きょうだいみんなでお母さんの財布からお金を持ち出したことがバレて、大泣きしたお母さんがなんだか一人の女性に見えたのが、小学6年生だった。

結婚式 お腹に私がおります

親に「とりあえず高校だけは卒業して」と言われて育った私だが、高校に進学し、大学進学を考えている雰囲気になってくると「大学は、お父さんもお母さんも行ってへんから分からへんわ」と言われ、三者面談にもお母さんは来なかった。「自分で決めた方がいいと思う」と言われた。

新婚旅行帰りのお母さん お腹にすでに私がおります

母には父(すなわち私には祖父)がいない。母が高校進学する前に、縁を切らざるを得なくなったらしい。そのせいで母は志望校の変更を余儀なくされ、その後も結構大変な生活を送ったことは、大人になってから聞いた。大学進学とか大学生活というものが、本当に想像がつかない世界線で生きてきたのかもしれない。

新婚旅行のお父さん

そんな現実から逃げるようにして生きてた頃に父と出会い、きこが生まれたってわけ!と母は笑いながら話すけれど、母にとって父と私の存在は、逃げでもあり、そして現実に立ち向かうためだったとも思う。母や、同じ状況の友人の話を聞いてみても、大人の都合を押し付けられた子どもは、弱さを隠すのが上手だし、でも隠しきれなくて時々驚くような執着を見せることもある気がする。
そして、私の母は、自分がした思いをできるだけ子どもにさせたくない、という母の思いと努力が子どもながらに感じられたし、一方でその努力で辿り着ける限界も見えた。でもそれは、家が小さいとか、使えるお金が周りに比べて制限があるとかで、今になってはそこが誰しもが相対的に感じる程度のものに収まっていたのは、やはり母自身の経験からくる我が子への配慮だったと思うし、きっとその努力の裏には母が逃げ込んだ先であった父の存在も大きかったのだろう。

左肩の傷は趣味のバイク事故の傷 私が生まれてからバイク取り上げられた父

母にとって「我が子」すなわち私の存在というのは、今まで知らなかった新しい感情とか、責任感とか、生きる理由生み出す存在だったのだろう。(えっへん!!)「きこが赤ちゃんの頃は毎晩100回キスをした!」という話は、耳にタコができるくらい聞いたし、なんなら母は今でもその距離感だし、毎朝家族LINEには「愛するみんなおはよう♡今日もそれぞれの一日をご安全に!」と送ってくる。

辞書登録とかできないから、毎日手打ちで打っているらしい

さあ、時が流れ、少しずつ確実に、小学1年生の頃の私が泣いて恐れた母の「人生のゴール」が近づいてきている今(それは同時に私自身も近づいているということではあるが)私は母に、そして自分に、何を残せば後悔が残らないのだろう、と考えることが多くなった。そんな思いで、毎年母の日や誕生日を迎えてる気がする。

アルバム20冊分のデータが入ったUSB

去年末、大掃除をしていると、1本のUSBが出てきた。中身を確認してみると、10年ほど前、実家にあった粘着台紙のアルバム20冊分の写真を全部スキャンして取り込んだデータだった。

大掃除で出てきたUSB

取り込んだところで力尽きて、データの整理をせずに、10年間放置していたのだ。

このデータを、機械音痴の母でも見れるようにしてあげれば、きっと喜ぶと思ったので、このデータの整理を母の日のプレゼントにしようと思った。

今回のnoteの、ここまでの写真は全部そのアルバムのデータだ。

スキャン日2011年

当時のことはよく覚えている。
断捨離にハマっていた私は、捨てるに捨てられなかった学生時代の教科書やノートをデータ化したいと思って、大型の裁断機と家庭用スキャナを買って「自炊」と呼ばれるデータ化に勤しんでいた。場所を取る紙が小さなHDDやUSBに収まるのが面白くて、何年も開かれていない本や雑誌もどんどん裁断していった気がする。

なので大学の成績表とか残ってる。割といい成績では
生化学実験記録書


そんな自炊祭りの最後に選ばれたのが、実家の押し入れに眠っていたアルバム20冊だった。

母は写真を撮るのが好きだが、その後の整理整頓はあまり得意ではないと思う。我が家は4人きょうだいなのもあって、家の押し入れには、ものすごい数のアルバムとビデオテープが家にあった。さすがに思い出の品に無断で手を出すのは憚られるので、スキャンしていいか確認したところ「今より見やすくしてくれるのならいいよ」と言われた。本人もどうしていいのかわからなかったのかもしれない。

とはいえども、これが本当に大変だった。

まず、粘着台紙から写真を剥がすのが大変だった。作業タイミング時点ですでに10年もの以上だったアルバムは黄色く変色していたりして、フィルムを剥がすのも一苦労。写真は角が尖っているので、勢いを間違うと、爪の間に写真の角が刺さったりして怪我もした。

これは多分弟2

剥がした写真はベタベタしているので、あまり重ねると全部がベタベタしてしまうので、こまめにスキャン。表面だけスキャンしようと思っていたが、写真を台紙から剥がしている時に、裏面にメモがあることに気がついて、両面スキャンした。

時々写真の裏側にお母さんの手書きメモが入ってる

粘着台紙に貼り付けられていた写真だったので、スキャンするたびに読み取り面に糊が付着し、スキャナーは1台それで壊した。スキャンするだけで半年くらいかかったと思う。本当に大変だった。

当時すでにデジタルカメラが主流だったので「データを印刷する」ことが普通の中、その逆をしている自分が時代に逆行しているような感じがして「こんなことしてていいんだっけ・・・」謎の焦りも感じた。

年代別フォルダに分けて整理

とりあえず、データ化した写真を、今度はそれぞれ年代別に分けてフォルダに入れていく。

段ボールに入った私と弟3(多分)

写真の右下に日付が入っているのだが、これがカメラの設定なのか狂ってるものも多く、整理にも時間がかかった。(なんなら今も整理し続けている)

当時はデジタルフォトフレームがまだUSBやSDカードを挿して使うものが多く、どうやって誰でも見れるようにしよう?と思っていたのだが、今だったら、GooglePhotoに入れたら、この前おばあちゃんがLINEする用にプレゼントしたiPadなどで自動表示なんかもできそうだなと思った。(このへん上手くやってる人いたら教えてください)

弟が3人いまして、下2人がほとんど顔一緒で見分けがつきません

慣れない贈り物を少しずつ始めて、母が何を喜ぶのかが少しずつわかってきた。というのも、以前東京に遊びにきた時に、少し高めのお店を予約して連れて行ってあげたら、なんだか窮屈そうにしていた。私の価値観の根幹を作り上げた人は紛れもなく母であるはずだが、大人になった今、母がどういうものが好きで、どういうものが嫌いなのかを改めてアップデートしていく必要があると思ったし、何かあった時に揉めないようにお金もちゃんと貯めなきゃだし、やっぱり自分の話になって申し訳ないけれど、くる時が来た時に、できるだけ後悔がないようにしたい。

今年はとりあえず、この莫大なデータを楽しめる贈って、できるだけ帰れる時は実家に帰ろうと思っている。

P.S.

なんかしんみりしますかね。では最後に好きになった相手は全員自分のこと好きになってくれると思っていた無敵の幼稚園時代。私のモテ期ここでした。

--

自炊について少し質問あったので、使ってたガジェットとか置いておきます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?