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『思考する身体。』

2021-05-26

 ごく限られた人生の、ごく限られた貴重な肉体的成熟期において、椅子に座っているか二足歩行でスマートフォンを片手に親指を弾いているだけで、果たして人間を謳歌しているといえるのだろうか。


 人間のニューロン(神経細胞)の数は1000億ともいわれているが、私にはまだまだ使えていないニューロンと、繋がっていない回路が山のようにあり、見えていない景色が山のようにあるのだ。


 三島由紀夫は、当時の学生運動に象徴される若者の精神的無教養を危惧するインテリ層に対して、彼らを“肉体的無教養”という言葉でもって揶揄し、肉体的教養は社会的礼儀だといって筋トレをしまくっていた。

 中国の陽明学の基本的な考えには「知行合一」という言葉がある。学びとは行いをもってはじめて完成するものであり、知って行わないのは未だ知らないことと同じだという教えである。


 この身体によって経験し、失敗と挑戦を幾度も積み重ねる過程において、シナプスの可塑性(神経細胞間の接続)は高くなるという。その点において成功は単なる結果でしかなく、才能やレベルは問題ではない。他者の評価も関係がない。〈今 ここにいる自分〉が常に基準となる。今までしたことがない、日常と異なる身体動作は脳に刺激を与え、世界の捉え方すら変えてくれるかもしれない。


 そういうわけで、未知なる動きの習得に日夜励んでいる。冷ややかな視線を感じつつ。

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