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2022 FIFA W杯カタール大会開幕までカウントダウン!

 世界中の人々を熱狂させる熱い年がまた巡って来た。FIFA W杯(ワールドカップ)が今月20日、中東のカタールにて開幕する。W杯は通常、サッカーリーグのオフシーズンとなる6、7月に開催される。しかし、この時期灼熱の地である開催国の日中の気温が40℃にもなるとのことから、5ヶ月遅れの秋冬に試合がプログラムされたと言うことだ。

 縁がありサッカー王国に移り住んで28年にもなる私ではあるが、今でも特別サッカーに詳しいわけでもないし、ましてや贔屓の選手がいるわけでもない。でも、4年ごとのこの一大イベントを心待ちにしてしまうのは、長い年月を経てBrasileria(ブラジル人)になってしまったからなのだろうか。

 私がこの地に来て初めてW杯に熱狂したのは、忘れもしない1994年の米国大会だった。同じ年の同じ月、6月4日に挙式した私たちは、その翌日から新婚旅行へと旅立った。家族、友人とリオデジャネイロを訪れた後は、メキシコのカンクン、米国のマイアミ、オーランドを巡って帰国した。私たちが新生活を始めるちょうど同じタイミングで、W杯米国大会が開幕した。

 その年の選抜チームは、私が今までに見た中でも「ベストオブベスト」と呼んでも良いほど、文句のつけようのない最高のチームだった。特にロマリオとべベットの連携により為される美しいシュートには、殊更興奮したものだ。得点後、べベットや他の選手たちが駆け寄って、赤ちゃんを揺する仕草のパフォーマンスをスタンドに向け披露する。それは、べベット夫婦に赤ちゃんが生まれたばかりだったためだと聞いて余計に胸が熱くなった。

 イタリアとの決勝戦を、PKの末に勝ち取った。ゴールキーパーのタファレルがボールを弾く度にスタジアムでどよめきが起こる。彼もまた、この試合の英雄となった。最後までハラハラドキドキの、忘れられない試合となった。ブラジルチームは、ユニフォームに4つ目の星(優勝)をゲットした。

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 こちらに移り住んで、ブラジル国民の熱狂的な応援の仕方にも度肝を抜かれたものだった。なにしろ、ブラジル戦があるその時間は、職場や学校は閉まってしまい全く機能しなくなる。家族や親しい人たちと集い自宅のTVで試合を観戦したいから、試合時間直前の道は大渋滞となる。帰宅を急ぐドライバーたちは、イライラとして激しく車のクラクションを鳴らす。そして不思議なことに、誰もがちゃんと試合時間に間に合うように家に滑り込んでいるようだった。その証拠に、いざ試合が始まれば道路を走る車も、道を歩く人もすっかり姿を消してしまう。その静けさは、店という店が全て閉まり、家族と温かな食卓を囲むクリスマス当日の様子と非常に似ている。いつもは物騒なこの街も、この時ばかりは悪人すら歩いていない印象である。

 現地との時差で朝からの試合となれば、仕事場や学校は試合の後に午後から通常通りとなる。午後からの試合であれば、その時間に間に合うように帰宅して、その後は職場や学校には戻らない。得点があれば歓声、花火があがるし、失点すれば罵声が飛び交う。そして、試合がある日は選抜チームのカラーである「カナリア色」のサッカーシャツを着ている人の姿が街に目立つようになる。

ブラジル戦がある日は、街にもカナリア色が溢れることになる。


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 ブラジルはその後、2002年の韓国・日本大会で5つ目の星を手に入れて以来、苦戦を強いられている。(この2002年以降の栄冠は、全てヨーロッパチームの手に渡っている。)中でも特に印象深いのは、2014年の自国での大会だ。その年のその時期(7月)は、家族で日本に帰国することになっていた。準決勝、対ドイツ戦があったその日は、英国航空で経由地のロンドンに向かっていた。乗客の大半はブラジル人で、皆試合の経過を知りたくて、知りたくて、うずうずとしていた。何人かは通りがかりのCAの方に問いかけ、その度に皆が聞き耳を立てる。小耳に挟んだところ、前半戦で既にブラジル勢は大層不利な状況にあった。そして…ついに運命の時が来た。誰かの問いかけにCAの方は申し訳なさそうに、静かにこう仰った。

「Sete a um,  Alemanha セッチ・ア・ウン、アレマーニャ」7対1でドイツ(の勝利)

 今でも何かと話題になる屈辱のこのワード、セッチ・ア・ウン。皆の期待が失望に変わった瞬間だった。ブラジル勢はその前のコロンビア戦で、チームの柱であるネイマールを失っていた。ネイマールは大怪我を負っての無念の途中欠場。この年の勝利の栄冠はドイツ勢の頭上に輝いた。


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 2018年、またもやW杯の年に私と娘ペアは里帰りを果たすことになった。経由地のNYで念願のジャズライブ鑑賞などの観光をするため、マンハッタンの日系のホテルに宿泊した。滞在初日は早朝に到着、午後のチェックインの時間までは街をブラブラすることになっていた。(冒険できない私たちは、マンハッタンでの最初の食事をホテルと同じパーク街にあったスタバで済ませた。)私は翌日のライブ会場の場所を確認できただけで満足だったが、娘は昼食後には午後にあるブラジルの試合のことが気になって仕方がない。とりあえずホテルに戻ることになった。しかし、試合の時間はチェックイン(15時)前で部屋には入れない。何処で試合を観れば良いのだろうと気もそぞろ。確かにそれは重大問題。勇気を振り絞ってフロントの方に訊いてみることにした。

「私たちはブラジルから来たのですが、本日これからブラジルの大事な試合があります。試合観戦のため、早めにチェックインするは出来ますか?」

 返事はNo。部屋は清掃中なので15時にならないと通すことは出来ないとのことだった。フロントクラークの、けんもほろろな対応には少々ガッカリ。「何処かにTVモニターがないか」、との質問にも快いお返事はいただけなかった。アメリカではW杯開催中も人々は冷静で(この年の開催国はロシアだった)、淡々と日々のルーティンをこなしている。ここはブラジルではないのだ、そう悟った。私よりも、娘が大層気落ちした様子で気の毒だった。まぁそれも無理もない。このままチェックインの時間が来るまでロビーのソファーでぼんやり過ごすしかないのか。試合の結果くらいならネットでも検索出来るし。

 そう思い始めた頃、奇跡が起きた。このホテルのロビーで、娘が小中学と通ったカトリック系の学校のクラスメイトと、彼のご家族にバッタリ再会したのだ。その男子は中学に入る前に引っ越しで転校していたので、実に6、7年ぶりの再会だった。もちろん、お互いにNYを旅行することなど知る由もなかった。彼らは私たちとは入れ違いにチェックアウトを済ませたところ。とりあえず荷物を預かってもらい、これから近くのバーでブラジルの試合を観戦、その後UberでJFKに向かうとのことだった。娘に「一緒にバーに行かないか」と誘ってくださったのだ。私は15時のチェックインまで引き続きソファーでまったりと過ごし(サンパウロからの便ではほぼ眠ることが出来ず、非常に眠かった)、その後はスーツケースを部屋に運ぶことにして娘を送り出した。

 1時間半後、満足な表情で娘は部屋にやって来た。この日セルビアには快勝したカナリア軍団だったが、後の準々決勝でベルギーに惜敗することになる。この年勝利したのはフランスだった。よってヘッダーの、2018年モデルのサッカーシャツに星が追加されることなく、「五つ星のまま」2022年を迎えたのである。

家族団欒を邪魔する娘。お父さんがミッキーになっている♡皆が幸せな笑顔☺︎

 ちなみに、2018年の対セルビア戦を、ブラジルで留守番をしていた息子はどのように観戦したかというと。。

友達のアパートで賑やかに過ごしていたらしく何よりだった。アパートのベランダにソファーが持ち込まれ、壁にTVが設置されている。このお宅には親戚一同も集まっていたようだ。

 2022年のW杯に向けてまさにカウンドダウンが始まっている。パンデミック以降、人々の働き方も様変わりし、在宅ワークを続けている人もいるだろう。11月は学校の学年末の月である。単なる期末である6月とは違い、学年末試験や追試など、来年の進級を決める重要な試験が目白押しな月でもある。公立大学の入試も始まる。以前W杯の時期に繰り広げられていたようなドタバタ劇、民族大移動がまた見られるかどうか…その時になってみないと分からない。

 大会が始まるといつも頭を掠めることがある。「万が一日本とブラジルが対戦することになれば、私はどちらを応援するのか?」と。こちら生まれの家族たちは当然ブラジルだろう。唯一アウェイな私はやはり日本を応援する。何とも中途半端な“Brasileria“と呆れてしまうが、この気持ちはこの先も変わることはないだろう。


【1994年W杯の好きなシーン】

 対オランダ戦。べベットがゴールを決めた瞬間とその後のパフォーマンス。短いので是非ご覧ください!(ユニフォームはカナリア色ではないですね。)

 オットの予想によれば、今季の大会は南米勢、ブラジル、アルゼンチン共にヨーロッパ勢を凌ぐ高レベルのプレーが期待出来そうとのことです。アルゼンチンの名選手メッシにとってはこれが最後のW杯出場となります。

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