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やっと家族が揃った冬休み

 ブラジルでの最初のロックダウンから7ヶ月ほど経った頃、こんな記事を書いた。(記事を読まなくても大丈夫。要約が下にあります。)

 今から2年前に、こちらの義弟の家族(お嫁さんと中学生の娘)がカナダのモントリオール近郊のある街に移住した。サンパウロでドイツ系の銀行に勤める義弟は、カナダへの転勤の機会を窺いつつ、家族と一緒に暮らせる日を夢見てサンパウロから家族を支援していた。

 ところが、その後パンデミックとなり、当初の計画が狂ってしまった。一緒に暮らすのは少し先であるとしても、家族の暮らしを見に義弟がカナダに行くことも、家族が里帰りすることもできないまま、2年の年月が流れてしまった。

 こちらではまだまだ予断は許さないものの、コロナワクチンの接種は進んでいる。カナダも同様。あちらは学年末を迎え、夏休みに突入した。併せて、お嫁さんと15歳の姪っ子のワクチン接種が済んで、二人が久しぶりに帰国出来ることになった。サンパウロはあちらとは季節が逆なので(このご時世で何も出来ないとはいえ)、冬ではあるがバケーションシーズンには変わりない。

 二人は7月始めにサンパウロに到着した。ワクチン接種が済み、PCR検査をクリアしたら特に自粛期間はなかったと言う。到着直後から家族水入らずで田舎に旅行し、それぞれの家族や友人との時間を満喫したようだ。

 もちろん、自宅で愛犬ラーラとの再会も果たした。思い返せば2年前、空港に向かう前に、二人はこの場所でラーラ(と、ラーラの姉犬、今は亡きフィオーナ)とお別れをした。シニア犬二匹を残してブラジルを離れるともなれば、いつ哀しいお別れの日がやって来てもおかしくはない。それを知ってか知らずか、その時のフィオーナもラーラも心なしか寂しそうに見えた。きっと彼女たちなりに何かを悟っていたと思う。

 しかし、ラーラにとってのこの2年間は相当長かったようだ。感動の再会では家族である二人を半ば忘れかけていたらしい。裏を返せば、義弟とふたりきりの生活がそれだけ幸せだったと言うことだから、一概には悪いとは言えないのだけれど。(それはそれはごめんちゃい by Lara)

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 約1ヶ月の滞在もあと僅かと言うこの週末に、私たち家族は義弟のアパートにお呼ばれをした。今週の木曜日の早朝には、二人はもはやブラジルを離れるという。自分にも経験があるから分かるのだが、祖国で過ごす楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまうもの。でも、最愛の家族との別れを惜しみつつも、心は既にカナダに向かっているのだろうと察する。こう言う時の心境はとても複雑なものなのだ。

 久しぶりの家族の集いには、食事の支度にはなるべく手を掛けないように、ということで両家の話がまとまった。うちからはレストランのテイクアウトでチキン、ワインなどを持参し、義弟がリングイッサや肉をグリルしてくれた。ブラジルの方にはこれが何よりのご馳走なのだ。

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 ピメンタ(唐辛子)入りのリングイッサとピカンヤ(イチボ)。

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 チキン、フライドポテト、ポレンタ(とうもろこしの粉を茹でて練り上げ、油で揚げたもの)、フランスパンにサラダ。

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デザートはパネトーネとアイスクリーム。

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 アルゼンチンの赤ワインにジャボチカバ(Jabuticaba)と言うフルーツ。


 穏やかな時が流れた。食前と食後には、ディズニーの『Cruella』(クルエラ)と『Mulan』(ムーラン、実写版)で映画鑑賞。そして食事中には現地での色々な話を聞いた。二人はカナダでの生活には基本的には慣れたようだったが、どうやら姪っ子は学校生活を心から楽しんでいるようには見えなかった。

 やはり言葉の壁が大きな問題となっているようだった。街の公用語はフランス語であるため、渡加前にフランス語の勉強を始めてはいたが、実際に現地で使おうとするとなかなか上手く行かないらしい。結果、地元の友達ではなく、同じような境遇の外国人の生徒が寄せ集まったグループに入り込んで、共通語である英語で会話をしているらしい。(姪は渡加前には英語は嫌いと言っていた。)

 カナダの名物料理は何かと尋ねてみたが、これと言って特別な料理は思い浮かばないらしい。大好きな日本食を食べられるレストランは街にはないため(どちみち出発直前まで店内での食事は再開されていなかったそうで、外食の機会も無かった)、パンデミック以前はラーメンを食べるためにモントリオールに出ていたそうだ。ブラジル帰国直前に徐々に街が開き始めて、レストランでの食事も出来るようになったらしい。でも、引き続きマスク生活は続いていたとのこと。

 ブラジル人には雪深い冬の寒さは堪えるようだが、重労働と聞いている「雪掻き」はコンドミニアムでやってもらえるそう。とはいえ、雪に何か楽しみを見つけられるかといえばそうでもないので、もしも遊びに来られるなら、雪のない季節に来たら良いと言っていた。そこがやっぱりブラジル人らしい。

 夏休みが終われば姪っ子はあちらで高校生となる。相変わらず小柄で可愛らしいことには変わりはないのだが、ダブッとしたパンツのポケットに両手を突っ込んで立っている姿はとってもファンキーに見えた。ギターの弾き語りや漫画を描くことが大好きで、私たちがいる間も部屋に引っ込んでの創作活動に余念がなかった。2年前には一筋シュッと髪に入れていたメッシュの部分が大分大きくなって、パッと見金髪のように見えるのもお姉さんぽい。

 でも、彼女の成長を一番感じたのは見かけではなく内面だった。会えばお決まりのように(悪気なく)大声で論争する父親と伯父(私のオット)の騒々しさに嫌気がさしたか、部屋から出て来て「うるさいから静かにして!」とピシャリ。他の大人たちは「またいつものあれね!」と苦笑するばかりだったから、彼女のオトコマエな一言に惚れ惚れとしてしまった。

 以前はちょっとしたことにキレて、私たちの前でも泣き叫ぶことも厭わなかったほどだったから、なんとも感動してしまった。以前よりもずっと社交的になって、ニコニコと良く笑ってくれた。姪っ子の2年間の成長には目を見張るものがあった。私たちはただただ年を取り、衰えていくばかりだったけれど。

 集まりは夕飯前にお開きとなった。最後は今風にお別れを、と思っていたけれど、堪えきれずにお嫁さんと姪っ子には背中をトントンとする軽めのハグをしてしまった。次に会えるのはいつになるかな。その時はハグもキスも握手も、心置きなく出来る世の中になっていて欲しい。 (いつでも会える義弟とは、ゲンコツを合わせる挨拶をしてお別れをした。)

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 Boa viagem !! 良い旅行を‼︎ 今度はいつ会えるかな。。


【本日のサイドミュージック】

 今回は7/21にリリースされたばかりの、NYのジャズピアニスト大江千里さんのアルバム“Letter to N.Y.”をご紹介。

 コロナ禍にご自身の手による「宅録」で制作されたアルバム。Stay Homeが続いて自由に身動きが取れない中、PC内のLogic Pro、家の中で自由に持ち運びができるCasioのキーボードを巧みに使いこなされてご自身で作曲、レコーディングされました。

 チャーリー・パーカー、ジャコ・パストリアス、ビル・エヴァンス、そしてマイルス・デイビス。憧れのジャズレジェンドたちが家のドアをノックし、夢の共演を果たし出来上がったElectronic Jazzの11曲。

 コロナ禍で失われたモノを嘆くばかりではなく、遠く離れていても繋がっていた人たち(同僚や友人や家族)、そして音楽の大切さを再認識できた日々だった、と千里さんはインタビューで仰っていました。どんな時でも前向き、そして決して諦めない。千里さんのお言葉や音楽から励ましをいただき、今まで暗いトンネルの中を進んで来たように思います。

 リーダー曲のOut of Chaosは、新曲の中で最初に手掛けられた曲だそう。ベースやトランペットまで登場する楽曲は、本当に聴き応えたっぷり。一人セッションだったとは信じられない仕上がりです。ご自宅での映像は、ご自身がiPhoneから撮影されたそうです。見えない敵との闘いを見事に表現されているPVです。

 アルバムLetter to N.Y.は絶賛発売中です。渋谷、心斎橋、博多のHMVではこんな素敵な特設POP UPが8/2まで展開中です♪お近くの方はぜひお寄りになって、商品をお手に取ってご覧下さいね。イラストレーターの、水川雅也さんの素敵なジャケットが目印です。

 暗いトンネルを抜けつつあるN.Y.に贈る、愛がたっぷりと詰まった手紙。オススメのアルバムです。














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