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東北の無人駅を歩く私、東京で東北を思う私

本企画は、東日本大震災の3月11日をきっかけに立ち上がり、その後、団体として活動するきっかけ食堂が、11日という日を振り返る中で、普段は焦点の当たる事の少ないきっかけ食堂の運営メンバーに、note投稿を通して知って頂く企画です。

家具が倒れ、瓦礫でめちゃくちゃになった家の中には、
コートがかけっぱなしになっていました。
埃をかぶって灰色になっていましたが、
そこには確かに人の生活した跡がありました。


私が初めて震災の爪痕を目の当たりにしたのは、
震災から10年が経とうとしていた春先の福島県双葉町でした。

そのとき私は、友人と東京から北を目指す放浪の旅の最中でした。
途中下車したこの駅には私たち2人だけ。

出発前に見た報道の盛り上がりとは裏腹に、
全線開通した常磐線の駅はとても静かで、
私たちは息をころすように町を歩きました。

双葉町の夕陽

そのあと訪れた宮城県の沿岸部では、子どもたちの遊ぶ姿を見ました。
地上げされた土地に立つ、まだ褪せていないカラフルな遊具で遊ぶのは
当時を知らない子どもたちでしょうか。

そのふたつの町の姿に、私の心は大きく揺れました。

毎年のように訪れ
親近感を持っていたはずの東北に対して、
どこか線を引いていた自分に気づきました。

「東京にいる私が何かしたいと思うのは、おこがましいかもしれない。」


当時はそのように思い、今まで引いていた線をさらに濃くしてしまいました。
東京に帰ってきてからしばらくは、その釈然とした想いに蓋をして過ごしていました。

そんなとき、大学の友人が東北に関わる団体で活動をしていると知りました。
その団体が企画するイベントに試しに行ってみることにしました。

そこは運営メンバー、参加者、関係なく、
全ての人たちの想いが交差する空間でした。

その時食べた鮭の炊き込みご飯や、ホタテの浜焼きなど三陸の美味しい料理とお酒の味とあったかい雰囲気は今でもよく覚えています。

鮭の炊き込みご飯
ホタテの浜焼き


「それぞれが心地よい距離感で、できることをする。」


その根っこにある想いは等しく大切なものだと思うようになりました。

今、この瞬間も、東北を想い、
誰かのために奔走するメンバーたちが全国にいます。

以前私が感じた線を難なく超えていく仲間たちをみると、距離や立場を超えて、東北への想いを連鎖させていく仲間たちを誇らしく思います。

生気に満ちた東北の春を見に、
そしてなによりお世話になっている人たちに会いに、
早く東北に行きたいと思っています!!!!

この記事を書いた人
きっかけ食堂@東京
山田一衣
生まれも育ちも東京。曽祖母が岩手県在住なため、幼い頃から東北は身近な場所。東北の美味しいご飯とお酒に目がない。





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