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smashing! くばるものつくすもの

どんな人間にも苦手なものはきっとある。だが佐久間と喜多村の先輩・伊達雅宗に対してはこれといって思い当たることがない。後輩で彼氏でもある設楽泰司は、仲間内では長い付き合いに入る伊達の苦手、嫌いを今まで意識したこともない。

もともと伊達は何に対しても要領が良く、一人で行動することも多かった。知り合った頃にもつるんでいた友人は特にいなかった筈。その伊達と自分は昔からいつも一緒にいる。そのことがちょっとだけ不思議で、かつ誇らしくもあった。

職場は一緒でもシフトが変わると丸一週間、顔を合わせないこともある。同居している雲母と協力しては伊達の安否をお互いで確認、ああ見えて自己管理もちゃんとしていらっしゃるから。設楽の作った夕飯を実に美味しそうに食べながら、雲母は口癖のようにそう言っている。

心配はしない。しないほうがいい。心を配る、ということは得てして相手に念を送ってしまうもの。設楽は昔から祖母に聞かされていたように、相手を大切と思えば思うほどに、言葉の意味合いを重くしないよう、相手を縛る呪とならないよう、努めている。

「苦手なものってあるんですか?」

ある日の早朝。夜勤明けで帰ったばかりの設楽と、今まさに出かけようとしている伊達が鉢合わせた。いってらっしゃい、そう言うつもりがつい、このところ気にかけてた事が口から出てしまった。伊達は振り向きざま、廊下で棒立ちになっている設楽に向かって小さく呟く。

「ん、まあ…見送られるってやつかねえ」

後ろ髪引かれるんよね。設楽の答えを待たず閉まった玄関の扉。設楽は裸足のまま玄関から飛び出し、伊達のそばに駆け寄った。えお前どしたん。驚いた伊達の背を設楽は抱きしめる。

「見送らないように、気をつけますから、だから」
「??え?そんな重いやつじゃないんよ?」
「だって、苦手って」

伊達は小さく笑いながら、設楽の腕の中で向きを変える。ぞり。夜勤明けで無精ヒゲが浮いた設楽の顎に自分の鼻先を擦り寄せて。

行きたくなくなる、から、なんよ。

エレベーターを待つ数秒の間が数十分に思えた。ここ専用でよかったなあ。されるがままになりながら設楽は、いいかげん酸欠になりそうな頭の中でぼんやりと考える。行きたくなくなるくらいに、か。それ以上に、オレはどこにも行かせたくない、な。本当は。そんな顔されるくらい、なら。

んじゃね。その一言で設楽が我に帰ると、伊達は既にエレベーターの扉の中で手を振っていた。イッテラッシャイ、唇で答えて、設楽はいつまでも、階下に下がっていくエレベーターの音を追っていた。


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