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smashing! ひとつのキーをしのばせて

佐久間鬼丸獣医師と喜多村千弦動物看護士が働く佐久間イヌネコ病院。非常勤である、大学付属動物病院の理学療法士・伊達雅宗と経理担当である税理士・雲母春己は付き合っている。そして伊達の後輩獣医師・設楽泰司も同じ屋根の下に暮らしている。


隠すものや許したくないものが多いほどに守りは強固になっていくけど、逆にパスワードが一個一個減っていくとして、最後の一つはどこにロックされているんだろうと、最近そんなことを考える。

「設楽、これと、これも旨いんよきっと」

珍しく電車で帰路に着いた日。大体がどっかの動物病院に出向して、そのまま出勤して、てのが多い。駅を降りて、オレと伊達さんは鉄板焼き、ていうか炭火焼き?焼きメインのバル、みたいなとこに入った。こんなん出来てたなんて知らなかったあ、今日電車でよかったねえ。伊達さんはすごく嬉しそうに、洒落た店内やらメニューやらの画像を撮ってはいそいそと雲母さんに送っている。

「雲母さん今忙しいんじゃ」
「音切ってある言ってたし、だいじょぶだいじょぶ」

早く見せたいん。ようやく席に落ち着いて、とりあえずのビールと頼んでおいたおすすめの焼き物がやってきた。A5クラスの赤身肉と、海鮮いろいろ。ホタテやマグロに、旬の岩牡蠣が食べたい、そう言って伊達さんが頼んだ焼き岩牡蠣。炭火で焼かれるとなんでも旨い、そう思って生きてきたけど、そんな固定観念も覆されるてことがある。もう違うんだ、色も湯気も香りもソーアメイジング。

「これすっげ旨い!設楽これならいけるて」
「…じゃあ、ひとつだけ」

オレは正直、牡蠣が苦手だった。生は食ったことないし、カキフライなら食えるんだけど。牡蠣好きの伊達さんが「旨い」というならそうなのだろうかと、恐る恐る。ああ、さっきも言いましたが、そんな固定観念も覆されるてことがある。もう違うんだ、色も湯気も香りもソ(略)

「牡蠣、好物になったかもしれない」
「ほらあ!絶対食わずなんとかだもん!」
「伊達さんもそういうとこありますもんね」
「もっと敬ってええええ!」

当然足らないので岩牡蠣を追加して、いい焼き加減の赤身肉もしっかり味わって、今日はワインの変わりに日本酒を頼んだ。いつもの辛口もいいけど、肉の味を邪魔しないちょっと甘口めのもなかなかいい。オレの実家だとほぼ常備されている、山桜桃。

「設楽はけっこう日本酒知ってんね」
「ああ、家族みんな呑みますし。父ちゃんの秘蔵のやつなんか期限切れそうだと全員で無理やり空けるし」

あの家すげえ大好き。伊達さんがふにゃりと笑ってぐい飲みを差し出す。この持ち方が可愛いんだ。言わないけど。指先でがしっと上から掴んじゃって、摘んだ感じにそのまま口つけてる。ほら可愛い。焦茶色の癖毛の隙間から覗いた上目遣いの垂れ目、微妙に色を違えたその瞳。

「伊達さんて、好き嫌いは?」
「んーないねえ、てか思いつかない」
「肉は苦手かと」
「外で食うほうがこんな感じで旨いんよ」

本音なのか、はぐらかしなのか、いずれにしても。問うて答えるものじゃない。それでも注意深く、さり気なく、ずっと観察してきた。

「あんね俺、設楽のその目ね」
「?オレの目?」
「そ。たまにその目する時ね」

一番そそる。

もしかして伊達さんの最後のパスワードはオレで、それがアンロックされてしまったら。都合のいい捉え方だけど。喰われたらどうしようか、そんな余計な心配までセットで、楽しみすぎて仕方ないんだ。



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