【紀行】温泉地ゆふいんの魅力
私用で大分に行き、せっかくなのでゆふいんまで足を延ばした。
ゆふいんラックホールのコンサート
訪れた日、昨年(2021年)完成した「ゆふいんラックホール」で湯布院町民でもある小林道夫先生が出演するコンサートがあった。
ゆふいんには、1975年の大分県中部地震が発生した年、由布院が元気であることを全国に発信したことがきっかけで始まった音楽祭があるが、「ゆふいんラックホール」は、そんな皆さんの思いの詰まったホールのようだ。
小林先生のチェンバロは以前東京で聴いたことがあったが、今回はカウンターテナー村松稔之さんのピアノ伴奏で、穏やかで凛とした空気が会場を包んだ。
村松さんは、小林先生に指導を受け11年目の今年、初めてゆふいんの地で開催したコンサートだとか。
シューマン、ブラームス、山田耕作、團伊玖磨の曲をとても言葉を大切に歌っていたのが印象的だった。
ゆふいん文学の森
ゆふいんに来たら行ってみたいところがもうひとつあった。
2017年オープンの「ゆふいん文学の森」。
東京の荻窪から移築された、文豪太宰治ゆかりの『碧雲荘』。
2階が下宿、1階が自宅という作りになっていて、部屋は無料で見学ができ1階はゆっくり本の読めるカフェになっている。
太宰が一時期下宿していたアパートという事だが、同じ作りの部屋はなく床の間があったり、元々来客用に作られていたらしい。建物全体もとても広く、東京にあった下宿とは思えないほどだ。
太宰治といえば、又吉直樹さんが大ファンであるが、『碧雲荘』の建物が売りに出された時に購入も考えたそうだ。ただ、東京近郊には移築できるだけの土地がなく断念したとの事。
その代わり、又吉さんはここ「ゆふいん文学の森」を何度も訪れ、個人で寄贈した庭石などもある。
現在のオーナーは、「文学を通じた人の出会いを紡ぐ拠点になればいい」という思いでゆふいんに移築をされているが、又吉さんに「ゆふいんでよかったんでしょうか?」と訪ねたことがあるそうだ。
文学の森の建つ丘は、由布山から滑り下りた風の通り道になっていて、東京とはまた違った佇まいを見せている。
又吉さんは「よかったです」と答えてくれて安心したと話してくれた。
最後の時間
早朝の金鱗湖を散策したり、今回は何もかもが予定通り、それ以上にスムーズに事が運んだ。特に最後は引きが強かった。
帰る前に何軒かお店に入るが客はなく、しばらくすると次々に人が入って来る。1、2度なら気にもしないが毎回なのだ。更に決定的な事があった。
人混みはもう十分、しかし帰りの電車までまだ2時間近くある。ならば人力車に乗ってみようと観光客の行き交う通りを歩いていると、なんと目の前から空の人力車がやって来た。声を掛けると時間まで案内してもらえることになり、聞けばその俥夫の方は我が家近くの出身でもあった。
人力車で巡る
一歩裏手に入ると人通りは少なく、たまに出会う地元の人にあいさつをしながら人力車は進む。
観光客ではわからない穴場スポットや、山に囲まれた田園風景を見ながら古いお寺や神社を巡る。
天祖神社、宇奈岐日女神社、佛山寺は、古くからの伝説があり、自然の厳しさの中で生きる人々の営みから生まれた、信仰と歴史のある地であることがわかる。
また興禅院は、一時キリスト教の教会堂があり島津軍に壊されたが、今でもキリシタンの墓がある。門前の石灯籠には脚が付いていて、教会堂がなくなった後も西洋の印を残したのだろうか?
ゆふいんはドイツにある温泉地バーデンをモデルにしていると、俥夫の方に教えてもらった。
静けさと緑と空間を大切にし、高い建物やチェーン店がない。それでもゆふいん駅から金鱗湖へ続く湯の坪街道には、オシャレな店が立ち並ぶ。
ここには、新しいものを柔軟に受け入れながら、守るものは守るという姿勢があるようだ。
バブルの時代に、一反の田んぼを1億円で買うと言われて拒否した事を、田んぼの真ん中でのんびり蛙を捕食する白鷺は知る由もない。
人力車で巡るモデルコースにはどれも金鱗湖が入っている。俥夫の方のお任せで廻ったが、金鱗湖には立ち寄らなかった。単に変則的だったせいなのか、最後なので金鱗湖はもう行っていると踏んだのか、全く被ることもなく本来のゆふいんの姿を見せてもらった。
ゆふいんの魅力
短い滞在ではあったが、ここに住む人々の心意気を充分に感じることができた。それこそが、ゆふいんの魅力なのだろう。
観光客が戻りつつあるとは言えまだまだ不安定な状況で、ゆふいんも打撃が大きかったと思う。それでもこの地は変わらず此処にある。
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