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わたし史上最大の恋とジンクス。

24歳の夏、出会ってしまった。わたし史上最高の男に。

そんなわたし史上最高の男性の話をする前に、まずはおさらい。

同じ年の年明けに、5年半付き合った彼氏と別れた。

その人はある日突然仕事を辞め、実家を出て、わたしの家の近くに住む友人の家に転がり込んでいた。その頃にはあまり連絡を取らなくなっていたので、相手からは特に音沙汰もなく、近くでのうのうと過ごしているとも知らず早1ヶ月。

知った時は衝撃だったけれど、わたしなりに考えた末しばらくおとなしく見守った。


でも、その後の彼の答えはこうだった。


「俺はもう就職はしない。定職には就かない。お笑い芸人になる。」


さびれた喫茶店で、煙草の灰を落とし、コーヒーを啜りながら。
何て答えたか覚えていない。何も言わなかったのかもしれない。
ただ一つ、確かに思ったことがある。

「わたしの人生にこの人はもう必要ない」


彼がお笑いの養成学校へ入るため東京へ行くというデッドラインまで、形式上ふんわりと付き合いは続いた。

お金がないと言う彼のために、いや、お金がないを言い訳に何もしようとしない現実逃避まっしぐらの彼のその言葉を聞きたくない自分のために心を無にして彼に尽くした。ボランティアだ。

出かける時は彼に地下鉄の往復切符を買った。映画へ行けば彼の分までチケットを購入し、ポップコーンやコーラを買った。家に行く時はインスタントラーメンに、電子レンジで温められるご飯、インスタントのお味噌汁などを持っていき、仕事帰りでデパートに寄る時間があれば栄養バランスのよいお惣菜を買って行った。仕事帰りに外で会いたいと言われれば、当然食事狙いなのが分かっていても会った。彼は、ドリンクバーじゃねーぞ、と思うほどよく飲んだ。ただ黙って会計を済ませた。もちろん煙草も買った。


ある日、ふつうサイズのインスタントラーメンを買って行ったら、

「BIGじゃねーのかよ!!!!!!無能かよ」

と罵られたこともある。すまんな、BIGは売り切れとったんじゃ。

とまあ、そんな具合で時期もきて別れた。この5年半で一番ストレスフリーな日々がやってきた。


晴れてフリーになった人生まだまだこれからなわたしは、数々の出会いの場へ繰り出した。飲み会、合コン、紹介、ナンパ、バー、夜の繁華街に


繰り返される合コン、合コン、合コン…


そんな24歳の夏、ついにわたしは出会うのだ。わたし史上最高の男に。


きっかけは友達に誘われた合コン。金曜の夜。よくある話だ。
わたしはもちろん遅れて行った。合コンの鉄則……ではなく残業で。遅れると当然目立つ。みんなが一通り自己紹介を終え、お酒も入って和気あいあいとなり出した頃に現れる、全身高級ブランド品の女。(職業柄です)

白いシフォンのノースリーブにウエストがキュッと締まったミニスカートからスラリと伸びる華奢な白い脚に何とも美しいハイヒール。完璧ではないか。

そんなわたしはドリンク一つ頼むのさえ注目される。(自意識過剰が過ぎる)

思えば彼はわたしの目の前に座っていた。
一番印象にない。一番しゃべった記憶がない。目を合わせたかどうかもわからない。

ただ彼の手首だけが真っ先に目に入った。その話はまたあとで。


その日は珍しく、2軒目に行こう!とみんなでワイワイとお店を移動。
男性陣行きつけのゲイバー。われわれはゲイバーに行きたかっただけだ。
キュートなゲイボーイに「あんた可愛くてムカつくのよ」とかってあしらわれたかった。

今ならわかる。若い。ただそれだけでかわいい。若いに勝るものなし。おう……


と、まあ話を戻し、彼は車だったようで停めていた車を取りに行って少し遅れて合流した。

2軒目のお店に現れた彼を見て、わたしは完全に落ちてしまった。
友人に、あの人さっきわたしの目の前に座ってたよね?イケてない?とかなんとかバカげた確認までする始末。

フェロモン大量放出しているじゃありませんか!!!もっとアピールせえや!!!!

ひたすら飲みながらダーツをしてはしゃぎ、みんなは朝まで飲む!と騒いでいたけれど、わたしだけ次の日も仕事だったので途中で抜けると話していたら、彼が同じ方面だから送るよと言ってくれた。


そしてわたしたち二人はしれっと消えた。


これまで幾度となく合コンへ繰り出したが、2軒目に行ったのは過去に2回だけ。
思えばこれが史上最大の恋になった。(今のところ)


彼の車は街でよく見かけるピカピカの高級車だった。わたしの好きな車種。

車って密室だから、良くも悪くも適度な距離が保たれる上に、鍵がかかる。それにあの何とも言えない空気。気まずい沈黙。試されている感。
乗せてもらう身としては嫌でも降りられない。なかなかリスキーではないか。

でも彼の運転は心地よかった。流れる曲にあわせ鼻うたを歌っていたかもしれない。くっつきそうでくっつかない、あの絶妙な距離感のシート。ふたりとも少し真ん中に身を寄せて、信号が赤になるたびに顔を近づけて話してはクスクス笑った。(記憶が定かならば)


会話が弾んだ。今日は楽しかったか、好きなもの、苦手なもの、行きたい場所、したいこと、仕事のこと、恋愛のこと…

あっという間に家に着く。こんなに近かったっけ、と思う。

別れ際、わたしたちは連絡先を交換し、「また会おうね」と約束をした。

それからわたしの猛アプローチが始まる。アカン!!!まったく相手にされてねえ!!!!!
そろそろこいつこの恋が終わるまでつらつらと起こったこと全部書き連ねる気か?と思い始めてきたころではないでしょうか。


そう、です!!!書きます!!!!!!


なんせわたし史上最高の男性に出会い、最大の恋をしたお話ですので。

卒業論文って何ページ書くんだっけ。
わたしは彼のことだけで1万字易々と書ける自信があるよ。(どうでもいい)


結果的に、25歳の夏の終わりとともに恋が終わった。ふたりで見ることのできなかった打ち上げ花火のように恋は散っていった。


彼は事業を立ち上げて経営に携わっている人で、好きなことを仕事にしていた。
気の合う仲間と仕事をし、「どこどこに行きたいね、じゃあそこで何か出来ないかな、これやろう」と企画し、「仕事も遊びの延長」と楽しそうに話し、時間があれば海外に行っていた。

1泊3日だか何だかでタイに弾丸でゴルフしに行ったりと遊びも本気。オトナの男は気合いが違う。

いつもきれいに磨かれた高級車で迎えにきて、家まで送ってくれた。

彼はトマトが嫌いだった。
いい歳して、そのナリで、トマトが嫌いなんて。かわいすぎるではないか。

わたしはトマトが好きなので、好きなもの頼んでいいよ、と言われ、つい「じゃあトマトとモッツァレラのカプレー、、、、、アヒージョください」とよくなった。
もちろん後からカプレーゼも頼んでひとりで堪能させてもらっていたが。

彼は烏龍茶と緑茶を飲まなかった。かわりに、コーヒーはアメリカンを頼んだ。お酒好きで仕事柄よく飲む人だったと思うけど、わたしと会う日はいつも必ず車で家まで送ってくれたので飲まなかった。

わたしより11個年上の彼は、いつまでもピュアな少年のようだった。
好きなことをして、好きなものだけを周りに置いて、時間とお金と心に余裕があって、それでいてワーカホリックで、バイタリティがあってキラキラ輝いて見えた。
それほど自由なのに、意外と地に足のついた価値観の持ち主なのも魅力的だった。


彼は全身にびっしりと、隙間なく、刺青が入っていた。初めて会った合コンの日、わたしの向かいに座る彼は真夏なのに長袖を着ていた。シャツの袖口から覗く左右の手首に鮮やかな色のタトゥーが彫られていた。

彼に興味を持った、強烈に惹かれた、一番の理由だ。そのバックグラウンドにそそられた。



彼の背中が好きだった。

細身に見える背中は意外と広くて、隙間なくびっしりと彫られた色鮮やかな背中を美しいとさえ思った。滑らかな肌とタトゥーの不思議な感触が好きだった。朝、シャワーを浴びて濡れた髪をバスタオルでくしゃくしゃにしている彼をつかまえ、いい匂いのするその背中をなぞるのが好きだった。


友達を全員失ってもいいから、この人となら今すぐにでも結婚したいと思った。
全身刺青だらけということは一部の友人しか知らないので、そこを伏せると彼はとても優良物件に思われたのだろうが、刺青の話をした途端みんな手のひらを返して注意した。

わかっていた。でも好きだったのだ。

わたし自身は偏見がないタイプだけれど、世間一般にどう見られるかはわかっていた。
それでも事業が成り立っている、経済的な余裕がある、大手企業と取引ができる、社会的信用がある証拠ではないか。

どうでもよかった。当時のわたしにとって、彼が最大の刺激だったから。彼の人間性に惹かれていたわたしにとって、偏見に満ちた周りの目や、心配の声は響かなかった。
知れば知るほどどうしようもない人で、そこがまた彼を魅力的にみせ、ますます好きになった。


シンガポール土産によく貰うTWGの紅茶。
あれを見ると彼を思い出す。キャラメルの甘い香りがするのにキャラメルではない不思議な味がするのでパッケージをよく見るとGreen teaと書かれていたりする。

仕事や遊びで行っていたシンガポール。苦手な緑茶。街を走る青いエンブレムの高級車。トマト抜きで頼んでいたサラダ。いつの間にかなくしたお気に入りだったコインのネックレス。彼の背中のタトゥーによく似ていたとあとから思い出したりした。

日常に彼が溢れていた。
でもネックレスをなくした頃には、彼の存在も過去の恋のひとつになった。


「転勤なんかしたくない」「ずっと地元にいたい」「好きなことだけして生きたい」そう言っていた彼も、事業拡大のためと東京に生活拠点を移した。


東京に遊びに行っても彼に会えるのは嬉しかった。ツタヤでDVDでも借りて観よ〜と彼が選んだ映画のチョイスに思わずわらった。ズートピア。感動するんだよ!と言っていた。見かけによらず涙もろくて感激屋さんなのだ。DVDは最後まで観なかった。わたしは彼しか見ていなかった。あの時の映画はいまだに観終わっていない。朝は彼の家から程近い六本木ヒルズでボリュームたっぷりのサラダを食べるのが日課だと言っていた。お互いのサラダをつつき、美味しいね、と言って笑ったりした。彼はいつものを。相変わらずトマトは抜きだ。

やっぱりいとおしさが溢れた。彼のいる東京はわたしにとって特別な街だった。


もしかしたら、今もこの街のどこか、意外と近くに彼はいるのかもしれない。もしかしたら、港区あたりの洒落た雰囲気の店内で出くわすかもしれない。駅のエスカレーターですれ違うこともあるかもしれない。彼が電車に乗るかは甚だ疑問だが。


夏の終わり、彼は旅先から写真を送ってくれた。わたしの好きなスペイン。彼はしばし羽を休め、終わりゆく夏を満喫しているようだった。
わたしは仕事で沖縄に滞在していた。

だから花火は見れなかった。



恋は終わった。

でも若い日の失恋の痛みより、日常に溢れる彼の思い出につい微笑んでしまう。

この人みたいに好きなことをして、自由に生きて、人生ゆる〜く楽しく自分らしく頑張りたいって思えた。素敵な生き方を教わった結果オーライな恋だった。


あの笑顔で、あの仕草で、彼だけの呼び方で、わたしの名前を呼ぶ声が聞こえてきそうだけど、未練があるとか、また会いたいとは違う。人生には選択肢があることを、生きる道を、自分という在り方を自由に選んでいいことを教わった。


素敵な恋だった。


恐ろしいまでに彼の記憶が脚色されているかもしれん。悪しからず。

わたしって本当に粘り強いのだ。どうでもいいとこでハートつよくて自分で自分に笑ってしまう。


とりあえずわかったことは、わたしが好きになる人や付き合う人はなぜかみんな東京へ行く、ということ。お笑い芸人を目指して上京した人やわたし史上最高の男だけではない。この後も東京行きのジンクスは続くのだ。

そして今、わたしも東京で生きている。
その話はまたいつか。


恋も、人生も、「好き」の在り方もひとつじゃないのだ。


以上、解散!

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