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【子どもを待つこと:動画をみて】『絵本』の読み聞かせで 子どもの主体性が育つ

偶然こんな動画を見つけました。

TBSの知育教育ラジオ「オヤノココロコシラジ」。蓮見孝之アナウンサーは同じくTBSラジオで私もよく聴いている「ジェーン・スー 生活は踊る」でお馴染みだったのと、「絵本」というキーワードにひかれてみてみました。

ゲストは、「待ちよみ絵本講師」の内田早苗さん。
(noteにもいらっしゃいました↓)

子どもを「待つ」ことが大切、ということはよく耳にするし、それがいかに難しいかということも、私も自分が子育てを始めてから日々、毎日、なんなら子どもと顔を合わせるたびに実感しています。



「『子どもを待ってあげて』『見守ってあげて』と世間ではよく言うけれど、実際にどう行動すればいいのか、親もわからない」と内田さん。

そこで、お父さん、お母さんに
「何か一つ(子どもを)待ってみてよかった、待つとこんな面白いことがあった、という成功体験をしてほしい。私は絵本講師なので、絵本の読み方でそれを実感してほしい」
と、「待ちよみ」という家庭での読み聞かせの在り方を提唱しているそう。


「待ちよみ」
は、作品に描かれている以上の説明はしない。言葉が難しいと思っても言い換えない。そして、子どもがどこに注目するか、何を言い出すか、観察し、反応を待つ。そんな読み聞かせだそうです。


親は絵本を読む上で、何をどう待てば良いのか?

内田さんは、「絵本を読む=無償の愛情を注ぐこと」だといいます。
絵本を読み聞かせるその時間は、子のために愛情をかける時間。それで十分なのだと。

そう言われると、それはそうだろうとすんなり受け入れつつも、実際には「絵本の読み聞かせ」に多くを求める大人は多いのも薄々気づいている。そして私もその一人。絵本を読むことで子どもに「いい影響」があってほしいと、結構欲張りに思っているところが正直ある。

例えば、絵本をたくさん読むことで

言葉をたくさん浴びてほしい。
たくさんの言葉を浴びて、よりたくさんの語彙で話せるようになってほしい。
いろんな感情を知って、いろんな立場の人の気持ちがわかる人になってほしい。
読書や活字に抵抗を感じない人になってほしい。
読書に没頭する経験をすることで、他のことにも集中できる人になってほしい。

………etc!!

今書き出してみて初めて気がついたけど、無意識のうちに随分と絵本の読み聞かせに多くの見返りを求めている自分がいる。

ラジオの中で、内田さんは「子どもに見返りを求めない。子どもが読みたいと思っているものを読む。シンプルなこと」と話していました。

絵本を読んでいる時の子どもの反応もそう。

親が喜ぶような反応や、絵本を読みながら思ったことを口にすること、大声で笑うこと、も必要ない。反応が薄くても、じっと聴いているだけでもいい。
それをじっと待ってあげることが「待ちよみ」。

聞き手の蓮見アナウンサーの小さい頃の話も。

母親や祖母から「たくさん読み聞かせをしたのよ」と良く言われていたものの、学生時代は読解が苦手で、国語の点数も良くなかったとのこと。

「教育やしつけ、”文字に触れてほしい”といった親の気持ちが(絵本の読み聞かせに)乗りすぎちゃうのもよくないな、という経験がある。こんなに読んでもらったのに読解が苦手でごめん、という気持ちになって」。

それに対して内田さんは

絵本は教材ではないし、家庭に先生はいらない。
家で本を読むときに、何も覚える必要もない。
「読解力」について、成績と読み聞かせの量の関係はエビデンスもあるけれど、一方で(蓮見さんが感じたような)苦しみを生む原因にもなる。
あくまで、結果が「良し」ならそれは副産物。もしかしたら読み聞かせが良かったのかも?程度のこと(だと捉えたらいい)。

見返りを求めてしまうと、将来的に結果が伴わなかった時に絵本を読んできたこと自体を自分で否定するようなこともあり得るのかも。それは寂しい。


他にも、よくある親の悩みとして「子どもが絵本の途中で先に読み進めてしまう」「途中で読むのをやめてしまう」「物語ではなく背景ばかりに気を取られている」といった、読み聞かせ中の子どもの反応への心配があるという話も。
私も今後そういうことで悩む自分をちょっと想像できたりもします。

内田さんの回答は、「これが子どもの意思表示なので、オールOK」。

物語をきいて映像化して思い浮かべられる子もいれば、映像化するのは苦手だけど、化学の絵本のようにとことん突き詰めて書かれた本なら大好きで、どんどん知識を入れられる、という子もいる。
ダジャレや言葉遊びの言葉の面白さならわかるという子もいる。
みんな「絵本=物語」と思いすぎている。
物語以外にもある。
「物語が聞けないと絵本が好きとはいえない」ではない。

絵本を読むことの効果をあれこれ期待することで、「絵本の正しい読み方」「絵本との接し方の正解」みたいなものを探してしまっている自分もいます。

蓮見さんは、「子どもがアニメの本や、キャラクターの説明ばかり読もうとする。これは絵本講師としてはいかがなものか?」と話していたけれど、うちの2歳もまさに、ひたすら電車の図鑑の説明や名前を読んでほしいという時期。
そして私はそんな子どもの反応に対して、読んであげつつも心のどこかで”もっとお話の本とか読んだほうが良いんじゃないかなあ”と思ってました。

内田さんの話はこうでした。

どんな絵本であっても、子どもの望みを叶えてあげる。
役に立たないから読まないよ、とはしない。
でも親もそればかり読まされるのは大変なので、親目線で選んだものも入れつつ、「お父さんはこれが読みたいので、良かったら聞いてくれる?」くらいのスタンスで、子どもが読みたいものとの2本立てにするというのを勧めたい。「読んであげる」ではなくて、「お父さんはこれを読みたい」というスタンスが楽。


親が絵本の読み聞かせで「待つ」ことができれば、他の場面でも待つことができる。
例えば公園に行くと、「ほら滑り台あるよ」「ほらお友達いるよ」と先回りして親がつい言ってしまう、ということがよくある。
だけど、親が楽しいことを勝手に教えなくても、子どもには自ら楽しむ力がある、と信じることができたなら。待ってみると子どもが自ら遊びを見つけて、満足いくように遊べる。
子どもが自らやったことから、うちの子はこういうことが好きなんだ、得意なんだ、と、親が意味付けできることが、幸せなこと。

私たちは早く進んでいくものに囲まれて生活している。
でも公園でもその必要はないし、絵本との関係もそう。
あえて新しいことをどんどん提供しなくても、子どもは自ら必要なものは得てくれる。

そんな話もありました。


最近この下の投稿で絵本と子どもの関わり方を振り返ったばかりだったので、改めて、私自身が絵本の読み聞かせにどんなスタンスで望むのか、じっくり考えたくなりました。

今日はもう時間がなくなってしまったけれど、
絵本×知育、絵本×学習、絵本×頭の良さ
そういう組み合わせで絵本の意義を考えてしまうことと、
逆にもっと純粋に、
子どもの興味や関心、子ども自身の心の声を上手に引き出せるきっかけになる絵本との関わり方
の違い、みたいなことも、今後考えてみたい。


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