嘘学とこれから

 これから情報過多の時代になり、情報量に比例して嘘の数も多くなる。
 それに、歴史の書き換えが始まるなんて話もある。歴史上の出来事として実際にあった出来事として認識するために必要な出来事として【本に載っている】【証拠が残っている】【多くの媒体で同じ情報を目撃した】の三大要素がある。
 嘘学的には【本に載っている】から信じるのは権威付け、【証拠が残っている】から信じるのを物証信用、【多くの媒体で同じ情報を目撃した】から信じるのを単純接触効果と呼び、これらが書き換えに大きく影響してくるのではないかと思う。
 本に載せようと思えば素人でも自費出版、もしくは同人誌出版(自費出版とは出版社を経由するかしないかで違いがあり、同人誌出版は出版社を経由しない)でISBNコードと呼ばれる書籍流通のためのコードを買って本屋に置いてもらえばデタラメを書いた本でも出版できる。さらにデタラメを書いた本を参考文献にして本を出版すれば本に嘘を載せることができる。
 歴史の証拠は作り出せる。それこそ偉い博士がこれは本物であると太鼓判を押せば幼稚園児が作った粘土細工でさえ古代のものに早変わりだ。同じように昔の映像に似せた映像を作ればアメリカ合衆国の初代大統領を自分に仕立て上げることも出来る。最近はAIの画像作成技術が目ざましく進化していてAIが作った画像に人が騙される、例えばくろん氏が起こした事件(静岡が洪水に飲まれる画像をAIで出力し広めたことで物議を醸した事件)のような事が今後増えるだろうと私は考えているし、早急に対処をせねばならない。
 最後に多くの媒体で同じ情報を目撃させる方法はお金を積んで広げてもらえば簡単だ。特に今は浅い知識を求めている馬鹿どもが多いからあっと驚くような歴史であれば興性の信用(面白いものを信じやすい人間の性質)で信じるだろう。
 嘘を嘘と見抜ける時代はもう終わった。ひろゆき氏があの発言をしていた時代は目に入る情報量が今とは全然違う。なれば嘘に引っかかるのはしかたないのか?答えは否、と言いたいところだが情報量が多すぎるため人間の脳で一つ一つ疑っていって全ての嘘を見破ることは不可能に近い芸当だ。
 故に騙されたら大損をするようなとんでもない話に騙されなければ良いだろうと私は考えている。そのため小細工の多い小さな嘘の積み重ねからなる大嘘には引っかかるだろうと思う。
 さてはて、情報過多の時代で嘘が歴史をも変えてしまいかねないからこその嘘に対してのリテラシーを持って欲しいと考えている。
 情報リテラシーという情報の発信には必ず発信者の意図が伴うから気をつけようねという大雑把なアドバイスではなく、嘘のつき方を教えて嘘に対する耐性をつけるべきだと私は思うのだ。それならばしっかり学んだ人は嘘に強くなり、適当に流し聞きしただけの人は損をするという社会にできる。
 嘘が増えていく社会に立ち向かうための武器として嘘学は、私たちの研究は役に立つだろうと考えている。

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