最近わかったこと。最近変わったこと。

最近、年上の男性のセクハラ発言を指摘することができた。
すごく反省してくれたし、私は私で彼の世代の気持ちがわからないこともあるからお互いに思うとこあればいつでも気軽に話そう、という協定を結べた。

別の日、同世代の男性の奥さんのPMSや生理痛の理解がいまひとつ足りないことについて指摘した。
夫婦やパートナーシップに限らず生理の苦しみは社会の問題なので、誰が悪いか悪くないかとかじゃなくてそこに苦しみがあるかどうかをまずは考えようぜ、という良い話し合いができた。

今までの私ではできなかった。

波風を立てたくないので、ヘラヘラ笑っていただろう。

今はそれが一見平穏な解決策に見えて、実は自分が生きる世界を自分で生きづらくしている行為なのだと気付いてしまった。

その気付きは一昨年から去年の間、フェミニズムを嫌悪している男性と暮らしたことによる。
その経験の「おかげ」ではない。私が受けた傷をちゃんと逃げずに見つめられたからだ。私自身の努力の成果だ。

私は彼に嫌われたくなくてずっとニコニコヘラヘラしていた。
でも本当は叫び出したかった。
フェミニズムを否定されることは女性である私をそのまま否定されている感覚だった。

彼が忌み嫌っていたいわゆるフェミニズムの女性達が、揶揄されながらも果敢に声を上げてくれて、私ぐらいのレベルの人間でも発言ができる土台を作ってくれた。

私は35歳になって、もう与えられるだけの立場では駄目なんじゃないかと気付いた。
次の世代のために、嫌われてもフェミBBAとバカにされても、モヤッとしたことは伝えていこうと思った。

ただし、相手によるけど。
上記の二人は私が真摯に伝えれば必ずわかってくれる信頼している人達だったので私でも言えたまで。
世の中にはどんなに言っても伝わらない対話のままならない人がいることも事実。
でもそれでも私には大きな一歩だった。

同じような苦しみを味わう人が一人でも少なくなればいいと心の底から願っている。

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そんな話をこないだカウンセリングで話した。
そしたらカウンセラーの先生が
「この半年ぐらいでここまで考えられるのは凄い」
と褒めてくれたので私は、あぁそうかと思い
「がんばったんだなぁ」
と口に出したらその瞬間に突然ボロボロ泣いた。

今までどんなにしんどいことを話してもカウンセリングでは泣かなかった。
あまりにもしんどいのでカウンセリングは止めようかと思っていた頃だった。

何にも変わっていないと思っていた。
実家に逃げ帰ってきてもうすぐ一年。
無職で、精神障害者で、結婚も出産も育児も親の介護もしていなくて、私にはなんにもない、と思っていた。

そんなことはなかった。
形が変わらなくても、蛹の中身がぐじゃぐしゃになって、ハイカロリーを消費して変わろうとしているように私は変わっていた。

帰り道、バスに揺られながら『大豆田とわ子と三人の元夫』の主題歌を繰り返し繰り返し聴いていたら
「生きてて良いんだな」
と思えてまた泣いた。

物語の先は見えないけど
曖昧で 純粋で 私が自分で決めた 幸せの姿
心の中に残る後悔へ
大切に何度でも呼びかける
『Presence Ⅰ(feat. KID FRESINO)』

思い出したくなくて蓋をしたり、美化してすり替えていた記憶を、このままではいけないと何度も何度も吐きそうになりながら、思い出した。
あの時の私の本当の傷付きはどんなものだったのか丁寧に呼びかけた。

その結果、私だけの幸せの姿というものが何となく見えてきたような、全然まだぼやけてるような。そいつはまだわからない。

けど私の幸せは誰かに害されてはいけない、という幸せの決め方はわかった。

ドラマはもちろん良いんだけど曲もめちゃ良いので貼っときまーす。
大豆田とわ子は最高!

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