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「北斎とジャポニズム」と美術を「読む」こと

1月2日、昨年からずっと気になっていた展覧会「北斎とジャポニズム」を見に、上野の国立西洋美術館へ足を運びました。北斎の絵と西洋の画家たちの作品を並べて展示する形式で、北斎の与えた影響だけでなく、日本画と西洋画の特徴の違いや融合の面白さを感じられて、「新年早々良いものを見たな」とるんるんで帰宅しました。

ただ良かったと思っただけならnoteを書こうとは思わなかったかもしれないのですが。今回私が書きたいと思ったのは、以前見かけたあるTweetを思い出す出来事が鑑賞中にあったからです。

日本人は〜欧米人は〜というところについては今回は割愛しますが。美術を「感性だけ」で捉えることと「読む」ということには、本当に大きな違いがあると思います。「知識で理解を補える部分は少なくない」という考えに共感し、印象に残っていたTweetです。

今回の展覧会は会場に入るとまず、北斎の絵と、それを西洋の画家たちが模写したり練習したりした作品とが並べて展示されています。そのゾーンを抜けると今度はテーマごとに、北斎の影響を受けたり参考にしていたと推測される西洋の画家たちの作品が、北斎の作品の間に展示されている形式。ここからは模写ではなく、北斎の影響を受けたと考えられる作品になっているわけです。

「これはどこを真似しているの?」「これが一緒ってこじつけじゃない?」

こんな言葉が鑑賞中、チラホラと聞かれました。各パートや作品ごとにある解説を読めば、それらの西洋画家の絵は「技法(例:山のフチにラインを引く)」や「対象物(例:「ドガの踊り子」ポーズを取った女性ではなく、自然な動きを捉える)(例:「モネの菊畑」花瓶の花ではなく自生した花を描く)」「構図(例:「セザンヌのサント=ヴィクトワール山」山を木々の奥に配置し俯瞰的に捉える)」などに影響を与えたのだということは明白な展示なのに。多くの人が解説を読まずに絵だけを見比べ、「どれだけ似ているか」を見ていたことに「なんだか勿体無いなあ。。」と感じた次第です。北斎の作品とその模写とを並べた展示から見ているので、解説を読まずに同じような感覚のまま見ると「これが北斎の作品から生まれたなんてこじつけだ」と感じるんじゃないでしょうか。でも実際には、北斎の影響を受けて「今までの西洋画にはあまり見られない描き方」がされていることが、「今までの西洋画」の特徴を知れば分かるのです。

公式サイトのQ&Aページでは「展覧会を通して伝えたいことは?」という問いに対して、「西洋の画家たちのエネルギーを感じて」と回答されていました。この展覧会の目的は「北斎はみんなに真似されるくらいすごかった!」と主張することではなく、「北斎を切り口にジャポニズムを読み解く」ことなわけです。「ジャポニズム」が起ったきっかけは北斎をはじめとする日本人画家たちにありますが、実際に「ジャポニズム」を生み出したのは紛れもなく西洋人画家たちです。彼らが北斎をどのように解釈して昇華したのかに着目して鑑賞すると、きちんとインプットできる鑑賞になるんじゃないかなと思います。

ところで以前、「しくじり先生」という番組で「ピカソ」が取り上げられた際に、先ほどのツイートと少し重なるような内容が話されていました。少し前に放送されたものなので一部間違いがあるかもしれませんが、ざっくり下記のようなことが話されていました。

子供の頃教科書などでピカソの不思議な絵だけを見たとき、良さが分からなかった。でも「ピカソはすごい」ということはあまりにも有名だから、良さが分からないのは「アートが分からない自分のせい」だと感じた。最高の画家と評される人の絵が分からなかったから、「アートは難しい」と思い込んで、アートを遠ざけた。

アートをその表面だけで捉えようとし、その結果良さが分からず、難しいと遠ざけてしまう人は案外多いんじゃないかと思います。番組ではこの後、「しくじり」という切り口からピカソの作品を「読む」内容になっていました。

切り口や視点を1つ持って作品を見ると、絵画に限らず鑑賞という体験は格段に面白くなると思います。その見方を試す上で、今回の「北斎とジャポニズム」という展覧会は解説もとても分かり易く、良い機会になるんじゃないでしょうか。1月28日までやっているはずなので、興味ある方は是非。「美術を読む練習」としてかなり推せる展覧会でした。

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