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不妊治療に至る以前

第一子の出生時、私の年齢は39歳、夫は38歳。
お腹に授かってからの結婚なので妊娠に向けての期間は0です。
現在、第二子の不妊治療に取り組む私たちは41歳と40歳になっています。


前書き

不妊治療とは怪我や病気の治療と異なり、医師の判断で始まる治療ではありません。単なる妊娠反応の有無だけでは治療に進むはずはなく、そこに至るまでには必ず自然妊娠への難しさを感じる事象があり、夫婦間の話し合いや治療についての勉強、先立つ費用について、多かれ少なかれ個人(夫婦)として検討を重ね選んだ道になるはずです。よくいう話ではありますが、妊娠・出産・子育ても、不妊治療も、人生も全て、十把一絡げとはなりません。知識も行動力も経済力も異なり、実際に他人と比べられる部分は非常に少ないのでなはいかと感じます。
そして文章は私の考えであり、自ら選び行動をしていく治療こそ不妊治療と前提にした書き方をすることが予測されます。読み手の事情に対しては配慮しきれない箇所が散見されることを予めご了承ください。


この記事では、私が不妊治療に至る以前の経緯を書いています。


子を希望するかの確認

時はコロナ禍、当時彼氏であった夫と同居生活を始めて一年が経つ頃です。適齢期をとうに超えた未婚女性である私は”今後”を常に憂いながら鬱々と暮らしていました。世間も自粛ムード。複数掛け持っていたアルバイトや僅かな趣味も徐々に停滞し、人生の低迷期を実感していました。
閉塞感と諦めの多い毎日でしたが、心の中にある”子を産みたい”という希望だけは諦めきれず、日に日に強くなっていきました。(その希望を私は”本能”と呼んでいました。)仕事中、通勤中、彼氏との穏やかな食事中なども常に頭を過ってはぎゅっと涙を堪えていたことを、3~4年が経過した今も鮮明に記憶しています。その思いに耐えかね、相手の価値観を尋ねた際にもし希望が相違する相手であれば、この関係を終わらせようと気持ちの整理をし、ある日真剣に伝えました。
_________子供が欲しいと思っています。



わが国における生殖補助医療による治療成績を示した
http://plaza.umin.ac.jp/~jsog-art/2017data_20191015.pdf
日本産科婦人科学会 ARTデータブック2017)
年齢の増加に伴い(特に35歳以降)妊娠率・生産率の低下と流産率の増加が認められる。
ET:胚移植。

 日本産科婦人科学会 ARTデータブック
 (令和 元年のデータ)
 妻の平均 初婚年齢 (歳)   29.6
 母の出生時 平均年齢(歳)  第一子30.7 第二子32.7 第三子33.8
 結婚から出生の平均期間(年) 第一子2.45 第二子4.93 第三子6.96


頭でわかっているものとしても、視覚に訴える数字の情報はきっと瞬間的な重みが増すと信じ、妊娠関連の資料を数点スマホで見せながら話しました。子が欲しいかどうか論は二人の会話に初登場の話題ではなかったと思いますが資料が功を奏し、その時初めて真剣に耳を傾けてくれました。主語を性別とするといけないのでしょうが、私の相手の場合は目に映る数字が効果的に働き、後押ししてくれたように見えました。兎にも角にも子を持ちたい同士であったことを確認し、直ぐに第一子の妊娠に向けて考え始めることになりました。


不妊治療では夫婦間における価値観のすり合わせが度々必要になります。話し合いを設けるのは意外と難しいものですが、そう感じる私のようなかたは”話し合い方”のパターンを構築すると良いのかもしれません。話し合いを何曜何時と定期にしたり、予め内容のメモを作成したり、小さな準備は充実した話し合いと意見の一致に近づく気がします。


とんとん拍子の第一子

私が不妊治療に至る経緯として、身体の面でも気持ちの面でも重要になるのが、第一子の順調すぎる妊娠出産です。子を希望しての交渉自体が初めてだったためただただ驚き悦びに包まれたのみでしたが、なんと一度の交渉で陽性判定。そして妊娠中、出産、産後の回復に至るまで、一般的に軽微なマイナートラブルはありましたが”ことなきを得た”という正にとんとん拍子で第一子を得たのでした。


第二子を希望する

第一子誕生から1年が過ぎた頃、第二子の希望について真剣に考え始めました。第一子妊娠時には単純に自身の年齢(当時39歳)から「一人っ子かも」という程度の緩い家族計画でしたが、子の成長を目の当たりにしいつしか自然と兄弟のいる光景を頭に描いていました。夫となった相手に第二子の希望を申し出、希望を尋ねるとやはり同様でした。
第一子の誕生までが順調すぎた私達夫婦には「望めばできる」という共通認識が無意識にあったと思います。1.2回のタイミングで妊娠した場合を当たり前のように計算し「40歳のうちに産めるかも」などと踏んでいました。生理の記録のみに使用していたアプリを妊活モードに切り替え、タイミングを取りました。そして判定の結果なんと再び、一度のタイミングで陽性判定を確認できたのでした。


奇跡などと言うと大袈裟かもしれませんが他に表しようがない程に、ここまでの自分達は順調でした。二人目を希望し不妊治療の門を叩いた現在は、かつての奇跡を重く重く実感する日々を過ごしています。決して不幸ということではありませんが、それは戦いの日々でもあります。精神的、身体的、金銭的に逞しくなりたいと願って止みません。


結果からお伝えすると、流産でした。
出産に至ることのないこの時の陽性判定が、私の不妊治療の第一歩です。


その詳細に触れる前に、続いての記事では自身の低い意識への反省を”妊活”という言葉を用いてまとめましたので、お読みいただけると幸いです。


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