スイスの安楽死幇助施設に”理想の最期”を求めて訪問したら、なぜか自分の人権意識の低さに気付かされる結果となった話(前編)

スイス、バーゼル(Basel, Switzerland)のライン川のほとり。

おそらく、最高に綺麗な景色が見えるホテルのモーニングの場で、私はなぜか説教かとも思われる指摘を受けていた。


「最近の日本人(おそらく私のことを指す)は人権意識が低い」

「そんな事業をやるくらいならもっと他にやることがある」

「少なくともビジネスでやるべきではない」


「...は、はい」


不思議な光景だった。


私は何しに来たんだろう?と思った。


なぜ私がなんの所縁もないスイスに来たのか、その所以は、2016年の夏にまで遡る。


ちょうどその頃、わたしの祖父が93歳で亡くなった。

大往生だったので、悲しいとか泣き崩れるというかそういう感情はなく静かに見送ったのだか、そこで初めてまともに”お葬式”というものに参加する。

せっせと喪主を務める父を手伝いたくても「とりあえず大人しくしておけ」と言われ、あまり手伝えず、とはいえお葬式なので仕事するわけもいかず。


『暇だ。』


と思っていたところ、母親が「KiKiからっていうことで、ライト買っておいたから」と話しかけてきたので、

「ありがとうー、あれってちなみにいくら?」と興味本位で聞いたところ、


「10万」と言われ、


「え”(高い)」


となるわけである。

絶対10万円もしない利益率何パーセントやねんってくらいのガラクタみたいなライト(すいません)だったし、きっと使いまわしているし、なんならその10万円は私に現金でくれた方が私も祖父も嬉しいんじゃないの、と単純に思いまして。

まあ、さすがに私でもその場ではそう思ったことは不謹慎かなと思い、言わなかったわけですが。

その一言から、一気につまらなかったお葬式が、”違和感”だらけの"ワクワクする"場となった。

具体的には、

・「何人くるかわからないので...」と大きめの式場が手配されている
・死亡通知は新聞と謎の掲示板
・式後に受付した名前と住所を紙の台帳に転記させられる(紙 to 紙)
・せっかく祖父のことを思ってきてくれているのに、誰が誰だかどういう縁で来てくださっているかもわからず、ただ来て帰る
・高齢の方ばかり来るのに引き出物が以上に重い/でかい
・葬儀プランナーが突然、式中に巧妙なアップセルに挑んでくる

などなど。

いわゆる”ぼったくり”感というか納得的ない感じというか非効率というかなんというか...。

未熟者ですので、単純に「この課題であれば、私でも何か(より良いものが)できそう」なーんて思ってしまったのであります。


祖父のお葬式をきっかけに葬儀や人の死について色々調べるようになり。


どういう最期がいいんだっけ?理想なんだっけ?」みたいなのを考えるようになり。


少額のお葬式もたくさん出てきているし、それにともなってお墓とかの周辺ビジネスも縮小、簡素化


そういうのもすごく大切だと思っていて、支払者側が価値を感じてないものに対して、心理的な不安を活用して高額請求するようなビジネスはやらない方がいいと思う(もちろん、高額なお葬式全てを否定するつもりはないですが)。


でも、人の最期って、ただ縮小すればいいってものでもないよねっていう思いがあって。

実際、自分が生きてきた中で関わってきた大切な人たちが、自分のためだけにたくさん来てくれる瞬間ってそうなくて。

近いものとしたらば、結婚式くらいかなと。


自分のためにわざわざ集まってくれる人たちって、きっと、横のつながりができたら、素敵な出会いになるんだろうなって思っていて。

なので、単に縮小っていう方向じゃなくてもいいのではないかという思いがあり。


何か他に良い方法ないかなと思って探していた時に、出会ったのが、冒頭で触れたスイスでモーニングを共にした宮下 洋一さんが執筆した『安楽死を遂げるまで』だった。


その本の中に、まさに私の中での”理想の最期”があった。


それは、オランダの安楽死の事例のひとつ

決められた日に、安楽死をする人が呼びたい人をお招きして、パーティーを開催する。生前葬のようなものだが、そのパーティーを楽しみ切った後、故人となる人と家族のみが2階に上がり、好きな格好をして、好きなものに囲まれて、最後は「ありがとう」とみんなに伝えてから、安楽死する。

※オランダではオランダ国民のみが安楽死でき、海外の人がオランダに行っても安楽死することはできません。


「これだ」と思った。


この方式であれば、

・決められた日に向けて本人と家族がきちんと準備できる
・本人が呼びたい人を呼んで最後にお別れを告げられる
・その人の”最期”を哀しいだけのものとならない

もちろん、安楽死について調べて行く上で、日本では法的に認められていないのは分かっていたし、況んや世界的に見ても合法な国は両手で足りるほどなので、実現するのは難しいことは分かっていた。

>>最近よく耳にする安楽死とは?安楽死と尊厳死の違いをわかりやすく図解違い


ただ、法律的にまだ認められていないものであれば、大きい企業は入ってこないし、安楽死ならば、自分でも役に立てるかもしれない。


特に今は難病患者しか安楽死できないので、英語が苦手な人たちへの、サポートくらいならこの私にでもできるし、たとえ現時点で対象者が少ないとしても今後の高齢社会を踏まえると、将来的には日本でも活きてくるはず。


そう思い、調査を続行。
しかしながら、圧倒的にネット上の情報は不足していた。


なので、ダメ元で、ジャーナリストの宮下さんとスイスの自殺幇助団体であるライフサークルに連絡(メール)を入れた。

まったく初対面の人に「会いたい」とメールを送ったことはなく、なんならライフサークルは英語だったので、どうやって書くべきか3秒くらい迷ったものの、思うがままに書いた。


会いたい、会ってほしい」と。


どうやったら返事をもらえるかと考えた結果、宮下さんに送ったメールも、ライフサークルのDr.エリカに送ったメールも結果として、かなり長文だった。

お返事いただけるかなと思いつつ、送信。


Dr.エリカから数日後、お返事が返ってきた。


Dear, my friend, Kiki


私が連絡した1ヶ月後に、どうやら日本のテレビ番組の取材が入るという情報をDr.エリカから入手した。

ラッキー過ぎた。

見知らぬ土地で、その土地の言語が話せない中、1人で訪問するよりは、日本の関係者がきている時に一緒に行った方が得られるものは確実に多い。

そう思った。


テレビ番組の取材でライフサークルに訪問している日本人関係者の1人が、並行して連絡を取っていた宮下さんだった。

実は、最初は宮下さんに会うことを渋られていた(いつかお会いしましょうというようなお返事だった)ものの、Dr.エリカの情報提供により、渡航を決めた旨を伝えると、時間を取ってくれることになったのだ。


もし宮下さんだけに連絡をとっていたら、宮下さんともお会いできなかったのだろうと思うと、運命とは不思議なものであると思わざるを得ない。


そして、私はスイスへの渡航を急遽、手配した。

(後半へ続く)

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