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ゆるやかな死の中での遊び

文:原田桃望
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 泣き子党との出会いは2年前の6月、画材店の入り口にあるワゴン車だった。普段はイベントや展示のチラシが置かれているワゴン車が、その日はピンク色を基調とした「泣き子党」を掲げる団体に占拠されていた。このワゴン車ジャックは2021年5月に結成した泣き子党による初の活動で、選挙ポスターを模したイメージが車に貼られていた。 

 車内には、街中で見かける政治活動ポスターや選挙ポスターを撮影し印刷したものが選挙掲示板を模した板に貼られていたり、その周囲には泣き子党が所持すると思われる数々の物品が並んでいた。ダリの絵画に描かれた溶けたチーズのような時計のグッズが「泣き子党のクロック」として、風呂に浮かべるアヒルのおもちゃが「泣き子党のアヒル」として、年季の入ったなにかの名簿が「泣き子党の住所録」としてキャプション付きで陳列されていた。寄せ集めのカオスだと当時は感じた。

rajiogoogoo《泣き子街宣車》2021年、筆者撮影

 ワゴン車で泣き子党がやっていることはなんなのか、当時も今もよく分からない部分があるが、そのエネルギーは多分に感じることができた。おそらくあの勢いは、泣き子党という党の設立を宣誓するような、ここに泣き子党ができたことを表す、そんな意思表明と決意の顕れだったのではないだろうか。

 「泣き子党」とはアーティストであるrajiogoogooが日本の政治政党の活動を模して行っているアートプロジェクトである。中国の河南省でこども時代を過ごし、四川省の大学を卒業後、留学のため日本に訪れたrajiogoogooは、東京で偶然そのとき行われていた東京都知事選挙での選挙活動を目の当たりにする。これまで過ごしてきた中国とは異なる民主的な選挙制度に受けた衝撃や、泡沫候補などの存在から自分自身もこのような選挙活動ができるのではないかと考えたそうだ(「激変する社会と内に秘めた熱 DOUBLE ANNUAL 2023『反応微熱-これからを生きるちから―』プレビュー展」)。

 泣き子党は、ワゴン車での活動以降も主に展示の場(アートの場)でその活動を続けていくことになる。2022年のギャルリ・オーブ、2023年の国立新美術館で開催された京都芸術大学と東北芸術工科大学の学生選抜展「DOUBLE ANNUAL2023」では、最初の展示で使用したワゴン車を樹脂で型どった皮が選挙カーのように装飾され映像と共に展示されていた。映像の中でrajiogoogooは自らにカメラを向け、泣き子党のきっかけについて語っている。曰く、親から殴られて泣くと「泣くな」と言われさらに殴られた過去の経験から「自由に泣ける」社会にすることを目的として泣き子党は設立された。名前の通り、泣き子党は泣くこどもにのための政党である。

 このようにrajiogoogooの個人的な経験から生まれたアートプロジェクト泣き子党は、展示の他にも党の周知を広げるため、泣く時に使えるティッシュの路上配布や党歌の制作などを行っている。党歌は「ビックカメラの歌」として知られるはアメリカの賛美歌「まもなくかなたの Shall We Gather at the River」、「ミラクルショッピング ~ドン・キホーテのテーマ~」、ヨドバシカメラの歌として知られるアメリカの民謡「リパブリック讃歌(原題:The Battle Hymn of the Republic)」を使った替え歌で、「泣き子党のうた」、「~泣き子党のテーマ~」、「泣き子の歌 京都VER.」の3曲がある。声量を抑えた震える声で歌われた替え歌は、歌詞も独特で中毒性がある。

rajiogoogoo MV「泣き子の歌 京都Ver.」2021年より

思い立ったら いつだって

親に殴れて 逃げ出して 

涙あふれる泣きましょう

気分は悪いもええやな

ナナナ ナキ なキーコートウ

我々は失敗者じゃなくて

(ちゃうねんー) 

(「~泣き子党のテーマ~ ♪泣き子」より)

 他者から「泣くな」と言われた経験や、泣きたいのにその感情を自分自身が封じ込めようとした経験がその人の中に「泣き子」を作り出し、誰もが「泣き子」の存在を抱えているらしい。泣くことを含めて、自分の感情を他人にそのまま垂れ流さないことが「大人の礼儀」として強要されている社会だと私も感じるときがある。感情的であるよりも冷静で理性的であることを社会人として求められる場面が多いし、そのように振る舞うことは物事をスムーズに進めていくには必要なことなのかもしれない。2022年6月のKIKA galleryで仮設された「泣き子党事務所」に掲げられた「祈 必勝」の文字は、泣き子党が戦っている「大人≒社会」に対しての抵抗の態度であるだろう。泣き子党の取り組みは「大人≒社会」に代表される政治政党の真似事であるが、この真似事を通して作家自身の過去に決着をつけ、かつ社会をも(本気で?)変えようと試みている。

rajiogoogoo《泣き子党事務所》2022年、筆者撮影

 キュレーターとしてrajiogoogooと共に作り上げた「泣き子党事務所」は、体裁としては選挙事務所の真似事であるが、その目的としてはどんな人でも泣き子党に参加できる場作りであった。会期中は「世論調査」と称し、会場に訪れた人からそれぞれの泣くことにまつわる話を集めて公開した。泣くことは悲しいとき、嬉しいとき、感動したときなど様々な場面で起こる生理現象であるし、「嘘泣き」という言葉のように意図的に涙を流すことも可能である。それぞれが持つ泣くことへの多様な背景がこの「世論調査」で表出した。何より驚いたのは「泣く」ことの調査を通して、普段は聞くことがないような個人的な話がすらすらと出てきたことだった。この試みは言い辛いことを告白する場所を提供し、その告白を展示するという点でモニカ・メイヤーが1978年から続けている《The Clothesline》とも通ずるものがある。

 日本では「あいちトリエンナーレ2019」や2022年に渋谷でも実施された《The Clothesline》は、モニカ・メイヤーによる参加型作品である。1978年にメキシコ近代美術館で発表されてから、世界各地で展開されているこの作品は、日常生活において生じる女性への格差や抑圧、ハラスメントに関して匿名で用紙に書き込みを行い、それを物干しロープに吊るして展示する。不可視化されやすい「声なき声」を掬い上げ、ジェンダー間の不均衡を可視化し、対話を促す目的を果たしている。《The Clothesline》が女性というアイデンティティを持つ人々に対して行った取り組みであるのに対し、泣き子党の世論調査は「泣き子」を持つ全ての人々に対するものであった。《The Clothesline》はピンクの枠内に張られた紐に洗濯バサミを使ってピンクや薄紫、薄橙の鮮やかな紙に書かれた吊るすという、ある種の「女性らしさ」のステレオタイプをベースに必然性のある方法であるように思う。一方泣き子党は、白いアンケート用紙を画鋲でボードに貼り付けたり、またはファイリングして提示していた。日本の事務的な様相を連想しなくもないが、展示の方法に関しては再考の余地があるように思う。

 泣き子党の最大の特徴としては、前述もしたがそれが不完全ながらも日本の選挙制度の様式を模しているという点である(ここで不完全ながらとしているは、泣き子党が社会政治の場ではなくアートの場で活動を行っていることや政党や選挙には厳密には膨大な法律の存在など様々な決まり事があるにもかからず、あくまで活動の表面だけを真似ているためである)。民主主義を掲げる日本の選挙制度は誰もが参加可能であるはずだが、実際に選挙に立候補するには市議会選で数百万、参議院選で数千万と決して安くはない費用がかかると言われている。さらに、宗教団体などの一部の集団からの組織票や世襲議員の増加などが近年では問題として取り上げられることが増えてきた。泡沫候補などの存在はあれど、実際に政治家になり社会を変えるのは容易ではない。

 ここでもう一つrajiogoogooによる活動を上げたい。2021年発表されたインスタレーション作品「ろくでなしの部屋」は、オウム真理教の教祖である麻原彰晃が1995年の逮捕時に隠れていた部屋を模したもので、鑑賞者は小さな穴から部屋の中を覗く形となる。部屋の中には麻原が逮捕時に着用していた濃いピンクの衣服と電極付きのヘッドギアをつけた人形が横たわっており、壁や天井はチラシや紙が埋め尽くされ、床にもさまざまな物品が置かれていた。アニメ・漫画や現代アートに関する品々が多く、それらはrajiogoogooの所持品であり、引きこもり生活における娯楽である。汚部屋住人である作家自身とオウム真理教内でかつて神のように扱われた人が最後に行き着いた場所との共通点を重ね合わせた作品であった。汚部屋の住人は、物をゴミと判断することができず、そのまま放置し、結果として共にゆるやかに死にゆくことを選ぶ。

 ゆるやかに死に向かうこと、真綿で首を絞めること、この言葉は今の日本の社会や政治の状況を表しているように思われる(実際には”ゆるやか”ではないかもしれない)。昨年の7月、安倍元首相が旧統一教会の被害者家族の1人であった山上徹也被告に射殺される事件が起こった。以降宗教団体と政治家や政党との癒着問題は一度日の目を見る事柄になったが、いまだにあるタブー感は根強く残っているように思われる。しかし、これらの存在はこの土地に暮らす私たちと切っても切れない関わりを持つ。ここで生活を送る人々の権利の幅や制限などを決める政治にはこれらの存在が密着・癒着し、その決定を左右する。こうした日本に長く暮らす私にとってはシリアスな問題をrajiogoogooは自身の取り組みの中で易々と取り入れる。素手でにゅっと手を伸ばし、自分の制作の要素として無遠慮に思われるほどあっさりと取り入れる。それはrajiogoogooの活動の主軸がある種の「遊び」という要素を持つためであるように思う。泣き子党は滑稽で切実でちょっぴり笑える実践だった。

泣き子党事務所 / Crying Children Party”s Office

2022.06.02-06.12 Fri / Sat / Sun
Open 12:00 - 17:00 at KIKA gallery


原田桃望(はらだ・ももみ)
キュレーター、ライター。1996年大阪生まれ。2022年京都芸術大学 大学院 グローバルゼミ修了。他者と協働で作る場に関心を持ちイベントや展示企画を行う。修士課程在籍時に国立国際美術館の学芸インターンや関西クィア映画祭の実行委員として活動。2022–24年アートスペースPURPLEの展示業務を専任し、企画・運営に携わる。これまで関わった主な企画として読書会「波をかさねる」(2022–2024、PURPLE)、「ミーティングポイント四条烏丸」(2023、KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭)、rajiogoogoo「泣き子党事務所」(2022、KIKA gallery)など。


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