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女子アスリートだから、社会の新しい「あたりまえ」のうぶ声をあげられる。PRについて考えてみた

社会人4年目、いろんなことが怒涛に起こり、相変わらず毎日が奮闘です。
でも奮闘は同じでも、奮闘の質が自分なりに変わってきているような気がしていて、いわゆるPRといわれる領域が奥深くておもしろいと思うようになってきたのも事実です。なので、最近ようやくまとまりつつある考えをつらつらと。

パブリック・リレーションズとは、新しい「あたりまえ」を世の中に定着させるために、あらゆるステークホルダーと関係を築き継続的に対話し「合意形成」をする仕事。

『ビジネスパーソンのための新しいPRの教科書』より

新しい「あたりまえ」を、さまざまな角度から検討し対話しながら、社会が受容できるポイントを作っていく。PRの戦略も含めて提案することが多いですが、その時に「市場の中での存在」から「社会の中での存在」を語ること。すると新たな潜在的な欲求が言語化できたり、作ってみたい余白に気づいたり。自分が関わる商品やサービスが、まだ埋もれている欲求に紐づくものだとすると、それをきちんと言語化した上でターゲットに受け入れてもらえる存在にしていくことが仕事だと感じています。メディアはそのいち手段にすぎないから、うまい合意形成を図るためにできるあらゆることを考えて共に奔走していきたいと思っています。

まだ世の中が気づいていない欲求を表現して、新しい「あたりまえ」をまずは1作って、どんどん増やしていく。大袈裟な話かもしれないけど、それが広がって社会の変容に少しでも加担できるとしたら。おもしろいな、と思っています。

ここ1年は、特に自社メディア「B&(ビーアンド)」を担当しながら、この新しい「あたりまえ」を女子アスリートをキーに作っていきましょう、というようなことを企業さんとご一緒させていただいています。

女子アスリートという存在は、めちゃくちゃこの「パブリック・リレーションズ」とハマると思っています。新しい「あたりまえ」のうぶ声をあげて周囲に気づきを与えられる社会の一員。
かつ、彼女たちはスポーツを通じて乗り越えてきた経験があるからこそ、さまざまな社会の気づかれていない欲求や課題、落とし穴や違和感を原体験をもって語れる存在です。私自身(トップレベルではないとはいえ)スポーツと向き合ってきたからこそ感じる社会の側面もあるなと実感しています。

最近のインタビューで印象に残っているのは、『社会や周囲が変わる必要がある』ということ。「自分がどうにかしなければならない」から、「支え合って、頼って、生きていく」こと。この先超高齢社会の中で、この風潮はさらに強まっていくような気がしています。

特に女性ならではの健康課題はその具体的な一例であって、社会として向き合っていく課題として受容されていく必要がある課題だと感じています。女性だけが向き合うものでもありませんし、危機的な少子高齢化を迎えるとするならば、真っ向勝負していかなければいけない領域なのかなと。

私自身、20代後半になりさまざまな不調を感じて現在進行形で向き合っています。今の仕事上、そしてこうした女性ならではの課題についての情報量も増えた分、考えることが多いです。現に何が不調なのかもわからないことがあったり、これはホルモンバランスの問題なのか、単に自分の問題なのか…
「何かがいつもと違う」「こんなふうに思うところじゃない」「そんなに思わなくても」とかコントロールできないように感じることも少なくなくて、それが一層自分に対して不安になる…というのはよくあることで。向き合うことの多さも、将来の不透明さも相まって、自分の現在地を見失いそうになる時も。私と同じように感じている方がいらっしゃれば、共にがんばりましょうという気持ちばかりです。


そんなこんなで、女子アスリートを活用したプロモーションや戦略にご興味のあるみなさんがいらっしゃれば是非ともDMいただけると嬉しいです。



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