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友だちにならなくとも

新年度が始まって2か月あまりが過ぎ、小学校でも、中学校でも、「学級づくり」「集団づくり」が進んでいることでしょう。
また、学校によっては、この時期から、集団を高めるきっかけとなる「運動会」「体育祭」「音楽会」「文化祭」などに向けて動き出していることでしょう。

ここでは、私が学級担任だったころに、クラスの子らに示した学級づくりの指導の「ネタ」(実際には、学級開きや学級目標づくりの折に示したもの)について、指導者の言葉と画像4枚とを使って紹介しましょう。
よかったら、使ってくださいませ。

指導者の言葉①
(黒板に大きく「人間」と板書して)

私たち一人ひとりは、それぞれ顔も考え方もちがったかけがえのない一人の「人間」です。それぞれに違う存在ですね。
ですから、気のあう人もいれば、そうでない人もいて当たり前です。そう考えると、私が小学生の時、担任の先生が「みんな友だちになりましょう」といった目標は、今考えてみれば、実はとてもとても達成困難な残酷な目標であったように思っています。
みんなが友だち?そんな達成できないような目標を、私はみなさんに求めたりはしません。では、みなさんに私は何を求めるか。

指導者の言葉②
(黒板の「人」の字の右側に、下のように縦に一本板書しながら)

見ていてください。このような一本の「軸」。まるでコマの「芯」ようなもの。学級で言えば学級目標などの「めざすもの」を一本、みんなでこうしてこしらえて…。

指導者の言葉③
(下の画像のような人が手をつなぎあう絵をどんどん書きながら)

みんなが、その「軸」となるものを見つめて手をつなぎあう。
こうしてきちんとつながって、そして、一つのきれいな「輪」にすることができれば…。
ほら、ほら、みなさん。見えてきたでしょう? ほら、ほら…。

指導者の言葉④
(できあがったものを確かめながら)

一本の軸(目標)に、みながそろって向き合いつながる時、人間(にんげん)は、「仲間(なかま)」になれるということです。
みながみな「友だち」にならなくとも、みなが「仲間」になることはできるのだということです。私がみなさんに求めるものは、ここにいるみんなで「仲間」になることです。
「仲間」となれる条件も、これでわかりましたね。
2つです。一つは、一本の「軸(めざすもの)」があること。もうひとつは、みながそれを見つめてつながりあうことです。

どうですか。
友だちにならなくとも、仲間になることを求める指導。仲間としてチャレンジし、仲間とともに乗り越えようとしたその経験は、そのプロセスを「宝」としながら社会人になってもきっと生きて働くことでしょう。

このことは、学校の教師集団についてもあてはまることです。


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