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NZ life|クリスマスイブは世界の終わり

ニュージーランド生活45日目。
天気あめ。気温18度。裏切られたかのように寒い。

今日はクリスマスイブ。ニュージーランドのサンタさんは半袖を着ていて、サーフィンをしながらやってくる、とか聞いたことがあるけれど、私はしっかり長袖を着込んで、窓を閉めて、あたたかいコーヒーを飲んで温もっている。

クリスマスといえば冬だし、冬のクリスマスが好きだな、と気づいてから、とてもドライな気持ちでこちらのクリスマスと向き合っている。そもそも私はキリスト教ではないし。


日本のクリスマスといえば「恋人と過ごす激甘ロマンティックイベント」みたいに扱われているけれど、私は欧米文化と同じく「家族とゆっくり過ごす」という意識が昔から強い。

家族が近くにいない今、もはやクリスマスなどなんの関係もない行事になってしまった。ニュージーランドのカレンダーに書かれているその他の祝日と同じくらい「へえ、そうなんだ」という感覚で受け入れている。


とはいえ、全く関係ないわけでもなく。というのも、クリスマスになるとお店は軒並み全て閉まってしまう。

私の毎日を支えてくれるクッキーやヨーグルトが売っているスーパーも、25日のクリスマスはお休みだ。

フラットホワイトの神様がいるカフェも、364日は営業しているけれど、クリスマスの日だけは閉まるらしい。

そういうわけで、クリスマス前に是が非でも行っておかなければならない。

別に一日くらいフラットホワイトが飲めなくても問題はないし、ヨーグルトだってまだたっぷりあるけれど「お店が閉まってしまう」という強い緊張感が好きだったりする。台風の前や年末年始特有の「あの緊張した感じ」を思い出してワクワクしてきた。


人々のクリスマスホリデーを嘲笑うかのように、外は雨が強く降っている。風も強くて、嵐に近い。ここ最近でいちばん天候が荒れているんじゃないかってくらい、天気は悪い。

雨に濡れることを考えると気持ちは全然乗らないけれど、それでも行かなければならない。

明日は全てのお店が閉まるんだぜ、という小学生みたいな心を持った私が背後で囁く。背中を押されて外へ出た。




カフェに行くと、いつもと同じくらいの賑わい方でほっとした。良かった。みんなが押し寄せて、ディズニーランドさながらの行列ができていたら、私は心が折れていたかもしれない。

神様はいなくて、ちょっと残念な気持ちになる。神様じゃないのでレギュラーサイズのフラットホワイトを注文したところで、ふと「今年はクリスマスプレゼントがないね」と寂しい気持ちになった。

レジのお姉さんに「オーツミルクに変更できる?」と訊く。笑顔で「もちろんだよ」と言い、ポイントカードに手慣れた様子で星を書きこむ。

1ドル5セント分のちっちゃなクリスマスプレゼント。


フラットホワイトを受け取ってスーパーへ向かう。店内に入って、ああ、びっくり。どうしてこんなにも人がいっぱい!

まるで明日、世界が終わってしまうかのように、みんなが買い物カゴにビール、ポテチ、バナナ、チキンなどを次々に放り込んでいる。

とりあえず買っておかなければいけないもの(本当のところでそんなものはないんだけれど)をカゴに入れる。

セール価格で安くなっていたオレンジジュースも、見た目がなんだかニュージーランドっぽくて、思わずカゴに入れてしまった。ノーテンキな感じが、いかにも大らかなニュージーランドっぽくて愛らしい。


あちこちで「ママこれ買って」「パパこれは要らないよ」「もう、お姉ちゃんだけなんで!ずるい」と楽しそうな声が飛び交っている。

ひとりぼっちのクリスマスを過ごす人が、世界にどれだけいるんだろう。


レジにはいつもより長い列ができている。みんながカゴいっぱいに食料を詰め込んでいるのを見て、本当に明日、世界が終わるのかもしれないと思った。

どのレジにも映し出されている桁の1つ多い数字たちは「明日世界が終わります」と告げているし、どのひとも同じく「良い1日を!」と笑顔で店員さんに別れを告げている。


ああ、本当に明日、世界が終わってしまうんだ。

レジの画面を見ると、いつもと変わらない数字が映し出されていて、ちょっと安心した。ノーテンキなオレンジジュースは買い物バッグに入らなくて、片手に持つことにした。




帰り道は、いつもと違う道を通った。昨日の夜Googleマップを見ていて、スーパーのそばに抜け道があることに気づいたから。

雨はしっとりとした霧雨に変わっていて、無言を決め込んでいる。


車通りのない静かな道を歩いていると、急に視界が開けた。目の前には緑が広がっていて、小高い丘になっている。

こんな素敵なところがあったんだ、と嬉しくなって立ち止まっていると、少し離れたところに cemetery の文字を見つける。

なだらかな丘に沿うように、お墓が点々と横たわっている。お墓に置かれた白い花たちが、雨の中そこだけぼんやりと光っているようで、目を奪われる。世界はこんなにも、うつくしい。


どれだけ周りに人がいても、結局のところはひとりになって、大地に横たわる。どれだけ周りに人がいなくても、結局のところは知らない誰かと一緒になって、永い眠りにつく。

明日で世界が終わってしまうとしても、私はこの景色を忘れないだろうな、と思いながら家路についた。片手にノーテンキなオレンジジュースを抱えて。


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