金曜ロードショー『オークランドの夜』
私はいま、ニュージーランドはオークランドにいる。
ニュージーランドは大きく北島と南島に分かれており、オークランドは北島に位置している都市で、たくさんの人が移り住み、レストランやカフェなどの食文化を中心に活気あふれる街だ。
世界中から人が集まって作られた街なので、それぞれの国の人たちが、それぞれの国の料理でお店を出している。
陽気な音楽を流しながら、店先でのんびりくつろぎ、全身で太陽を浴びるトルコ人がやっているケバブ屋さん。
途中から英語を諦めて、中国語一辺倒で接客してくる、麻辣の効かせ方がバツグンの中華料理屋さん。
聞いたことも見たこともない食材と料理名が並び、もはや何が出てくるのかすら想像のつかないマレーシア料理屋さん。
とにかく町中がスパイスやコーヒーや何かが焼けるいい匂いで満たされた、3歩も歩けばお腹が空いてしまう街、オークランド。
そんなオークランドの夜は、金曜ロードショーみたいだ。
サマータイムが導入されている11月現在、オークランドに夜はなかなか来ない。
太陽の出ている時間をたくさん楽しみましょう、というサマータイムの方針に則って、あちらでもこちらでも、太陽の下でぼんやり、ぺちゃくちゃお喋り、とにかく活発な街だ。
朝早くからやっているカフェは15時には閉まり、会社員も17時には意気揚々とアフターファイブに繰り出し、夕方だというのに、そこらじゅう人で溢れかえっている。
美味しいご飯やお酒を、大切な人たちと、めいっぱい楽しむための時間なのかもしれない。夕方を過ぎても太陽はまだ、あんなに高いところにいる。
なかなか傾こうとしない太陽の下で、オークランドの人たちは陽気にグラスを傾ける。
「ふ〜、お腹いっぱい」と夕食のバジルとチキンのトマトパスタをたいらげた19:48。ベランダから空を見上げるとこんな感じ。
オークランドの夜は、なかなかやってこない。
ところが、油断するとあっという間に夜になる。
さっきまであんなに明るかったのに、ふっとロウソクの火が消えたように、一瞬でぼんやりとした暗さに包まれる。なんだか面食らってしまう。
辺りを見渡すと、さっきまでいた人たちがいつの間にか、消えている。
日本の夕暮れが映画館で観る映画だとしたら、オークランドのそれは金曜ロードショーのよう。
エンディングに向けて盛り上がり、クライマックスで気分は最高潮!
一瞬しんみりとした間を置いて、画面は暗転。ゆっくりと白い文字が、黒い幕の上を正しい速度と温度で流れていく。
友情出演、衣装協力、エキストラの皆さん。後援、協賛と続き、ひと呼吸を置いて監督の名前が通り過ぎていく。
製作委員会あるいは配給会社、ピアノのペダルを踏むように、見えない余韻が映画館を満たしていく。
お昼寝中の恋人を起こすようなやさしさで、映画館はゆっくりと明かりを取り戻す。お忘れ物のございませんように、の声で人が散っていく。
ばら撒かれたポップコーン。飲み切れなかったジンジャーエール。
「おもしろかったね」「泣いちゃった」小さな爆弾みたいな余韻を全員が胸に抱えて、映画館を後にする。みんな、爆弾を抱えたまま日常に戻っていく。
そういうのが、日本の夕暮れ。
オークランドのは、ちょっと違う。
エンディングで気分は最高潮!感動の結末!なんていいシーンなんだ、これは、涙なしには、見られない!!!
と思うが早いか、恐ろしい速さで駆けて行くクレジットタイトル。目にも止まらない速さで、話題の俳優が通り過ぎていった。
まばたきの間に通り過ぎていった、たくさんの技術、音響、編集スタッフ。エキストラで参加したクラスメイトの名前は、くしゃみをしている間に流れていった。
あれよあれよと終焉を迎え、気づいたらもう、知らない番組が始まっている。さっきまでの涙なんかどこにもなくて、売れっ子芸人がオシャレな番組を司会進行中。
そういうのが、オークランドの夜。
さっきまでみんな通りを歩いていたのに、レストランから出ると、もう、誰もいないんだ。遠くで響く、サイケデリックなポップソング。
あっという間だった。油断していた。
黄昏なんかどこにもなくて、さっぱりしている。そういう割り切ったところが、憎めなくて、正直な街だなって、ちょっと気に入っている。
日本の夕暮れは美しい。でもそれは、死を誘うような、危うい美しさ。
線香花火の最後がそっと消えていくように、最後の呼吸をするように、ゆっくりと沈んでいく。夜が来るのはときどき、こわい。
美しいことは、恐ろしいこと。
夕焼け色に染まっていく街並みを眺めていると、不意に、ぞくっとする。
オークランドの夜は金曜ロードショー。
美しいものに飲み込まれてしまう前に、私をちゃんと、ひとりぼっちにしてくれる。
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