見出し画像

NZ life|時限爆弾の卵

ニュージーランド生活42日目。
天気くもりのち晴れ。気温20度。朝は冷え込む。

毎朝鶏の卵をもらっている。いつも3、4個は産み落としてくれていて「ありがとう」と思いながら回収させていただく。

鶏がちゃんと小屋で卵を産んでくれるよう、フェイクの卵をいくつか置いている。あなたが卵を産む場所はここですよ、とわかるように。

鶏の卵は赤っぽい茶色をしている。丸くて、大きくて、ざらりとした質感。一方、フェイクの卵は白い。ちょっと先が細くなっていて、小ぶりで、つるっとしている。

見た目に違いはあれど、鶏は律儀にフェイクの卵の横で、ほんものの卵を産み落としてくれる。


ところが先日、フェイクの卵の横に、いつもはある赤茶色の卵が見当たらず、代わりに白い卵がちょこんと置かれていた。

恐る恐る卵を手に取ってみる。フェイクの卵よりひと回り小さい。先は少しだけ細くなっていて、つるっとした質感がグローブ越しでも伝わる。

これはいったい?


この見慣れない卵を持って帰るところを想像する。キッチンの卵置き場にセットして「これはフェイクだよ〜」とみんなに笑われるところまで想像できた。笑われたくないので、手に取った白い卵をそっと戻す。

でも、ほんとうに?

気になってしまったら最後、確認せずにはいられない。持っていたボウルのふちで卵をコンコンと叩くと、ヒビが入った。

あ、と思ったが早いか、中からは透明な液体がぐにょりと流れ出し、鮮やかな黄身がぽたぽたとこぼれる。

ほんものだ。ほんものだったんだ。なんて悪いことをしてしまったんだろう。でも、おもちゃみたいな卵。フェイクとはまた違う面白さがあるなあ。

罪悪感と一緒に、得体の知れない幸福感もそこにあった。




明くる朝。小屋を覗くといつも通り、赤茶色の卵が3個置かれている。感謝感謝、と思いながら回収すると、まただ。またフェイクより少しだけ小さい、おもちゃみたいな卵がある。

でも今回はフェイクの横でも、赤茶色の横でもなく、ぽつんとひとつだけ、小屋の真ん中に置かれていた。

これはどっちだろう。本物の卵はいつだって、フェイクの横にしか置かれない。今まで赤茶色の卵がぽつんと(しかもひとつだけ)小屋の真ん中にあることなんて、一度もなかった。じゃあフェイクだ。

でもこの大きさ、フェイクにしては小さい。昨日の既視感がオーラのように卵の殻から流れ出す。きっとほんものだ。私はこの感じを知っている。

そっと卵を持ち上げ、ボウルに移そうとしたところで、うっかり手を滑らせてしまった。どちらか分からない卵は、カツン、と音を立てて落ちる。ゆっくり拾い上げるとやっぱり、鮮やかな黄身が溢れ出した。

やっぱり。もう同じ過ちは繰り返さないぞ、と心に決め、フェイクの卵を数える。

いち、に、さん・・・全部で9つ。

最初から数えておけばよかったのかもしれない。明日からはもう大丈夫だ。


滞在先のファミリーと卵の話をした。最近は安定して獲れるから助かるわあ、と言っていた。一時期は鶏が学習してしまい、小屋以外のところで隠すように産んでいたらしい。

ママが木のそばを通った時、パン!と大きな音がしたそう。不思議に思って近寄ったところ、そこには腐って破裂した鶏の卵があり、その卵を囲うようにたくさんの卵が隠されていたとか。

以来、フェイクの卵を置いて「卵の産み場所」を先導しているらしい。「怖いよね、卵って破裂するんだよ」と笑うママの話を聞きながら、私はほんとうに、フェイクの卵は9つなのか不安になった。

もしかしたら、9つあると思っているフェイクの1つは、あの白いおもちゃみたいな卵なのかもしれない。

私の知らない間に産み落とされていて、腐って破裂する日を、今か今かと狙っているのかもしれない。

時限爆弾のように、その日が来るまでじっと息を潜めているのかもしれない。




ずっと前から抱えている問題があって、時々それが「ハロー」と顔を出す。

朝や昼や夕方なんかに来られても「ああ、いま、忙しいんで」と相手にせず自分を守り通せるけれど、夜となると話は別だ。

夜は長くて暗くて深い。
一瞬で飲み込まれてしまうこともある。いや、何度もあった。


朝になると全てが過ぎ去っていて、落ち着いた心がベッドに横たわっている。身体は鉛のように重たいけれど、気持ちは少しだけ軽い。

鏡を覗くたびに「昨日の夜、韓国ドラマを一気に観ちゃって」とかいう謎の言い訳を思い浮かべながら、冷たい水で目元を冷やす。

「寝れば治る」の言葉通り私のそれも「寝れば落ち着く」のだけれど、本当はただの誤魔化しでしかないことも、薄々気づいている。

朝起きた時に感じる心の軽さも、本当のところではフェイクだということも。


いつか向き合わなきゃ、いつかどうにかしなきゃ。そう思って何年も経ってしまった。「いつか」はいつまで経っても来ないことを、もう随分前から知っているのに。

夜は怖い。
時限爆弾のように息を潜めるそれが、音も立てずに忍び寄る。

今朝、鶏小屋を覗いたら、やっぱりフェイクの卵が9つあった。

どれかがいつか破裂するかもしれない不安を覚えながら、丸くて、大きくて、赤茶色の卵をゆっくりと手に取った。割れてしまわないように、ゆっくりと。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?