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近所が光る【子育て日記】

あれは幼稚園に通っていたころ。
すべすべの泥団子を作って、園庭の隅に隠したこと。
同じクラスの男の子が葉っぱを食べたと言ってみんなで騒いだこと。
おそろいの水色のスモッグの、胸についた象のワッペン。
折れたクーピーのツルツルした表面。
ポケットに入れたどんぐりの重み。

お絵描きが好きだったこと。動物が好きだったこと。
運動会が苦手で、裸足でかけっこするのが嫌で泣いたこと。
だけど、走ってみたら案外すぐに終わったこと。
草の匂い。砂埃。

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2歳の子どもに付き合って散歩に行くと、
自分が子どもだった頃を思い出す。
今まで忘れていたけれど、自分の根幹となっているような、大切な記憶。

子どもが生まれてから、やらなくなったこと、できなくなったことがたくさんある。
例えば夜遅くに出かけることや、静かな店での外食。
海外旅行にも行きたいが、しばらくは難しそうだ。
一人で気軽にふらりと出かけることが難しくなり、外出といえばもっぱら近所のスーパーか公園である。
公園までは大人は歩いて3分なのに、子どもと一緒ではそうも行かない。
道で小石や葉っぱ、何かわからないものを拾うため何度もしゃがみ込み、時には引き返す。
しょうがないので一緒にしゃがみ込み、今日の夕飯は何にしようとか考えつつぼんやりと地面を見ていると、冒頭の記憶が、ぽっぽっと水底から泡が湧き出るみたいに、蘇ってくるのである。

「はい、どーぞー」
子どもの小さな手から、名前のわからない草の実が差し出される。
「ありがとー」
受け取って、子どもの体温で温まったその実を手のなかで転がす。
その時自分は少し、小さな子どもにもどった気持ちになる。

植え込みに目をやると、蟻や小さな虫たちがセカセカと動き回っている。
シロツメクサが風に揺れている。
西陽がさす地面は乾いていて、いつの間にか、オレンジ色の夕日が差している。

子どもと過ごす、小さな小さな世界。
でも目を凝らすとその中に、今まで素通りしていた豊かな世界があることを知った。
それはかつて、子どもだった自分が見ていた世界だった。
つられて、何だかあの頃のように、純粋に何かをただ好きだと思う気持ちも、蘇ってくるようで。

子どもだった頃の自分の世界と、再会できる。
たった徒歩3分の近所が、きらきらと光ることがある。
それは子育ての大きな醍醐味の一つではないかと、新米母は思っている。

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