見出し画像

優しさとは、想像力と勇気のことかもしれない

先日、子育て支援センターで遊んだ時のこと。
娘(3歳)がおもちゃで遊んでいると、たぶん生後10ヶ月くらいの赤ちゃんがハイハイして近づいて、娘のおもちゃに手を伸ばしました。
赤ちゃんからしたら、娘はだいぶお姉さん。遊びが魅力的に見えたのかもしれません。

赤ちゃんが使いたいんだって。貸してあげる?と娘に聞くと、「娘ちゃんが遊んでるのに」「やだよ」と言って、おもちゃを離しません。
状況に気づいた赤ちゃんのお母さんが、すみません〜!と言って、他のおもちゃでその子の気を逸らしてくれました。

数分後、娘がふと、さっき赤ちゃんが欲しがっていたおもちゃを持って立ち上がり、すたすた歩いていきました。
見ていると、少し離れた場所にいた赤ちゃんのお母さんに「はい、つかっていいよ」と話しかけ、おもちゃを手渡す娘。
お母さんは娘の目を見て、ありがとう!と言ってくれました。

ああ、あんなこともできるようになったんだなあ、と娘の成長を感じるとともに、以前からぼんやりと考えていた「優しさ」の自分なりの定義について、あらためて考えを巡らせました。

今回の娘の行動は「優しさ」と表現できるかと思います。
赤ちゃんと、そのお母さんへの優しさ。
私はこの「優しさ」には二つの要素が入っているのではないかと思います。
一つ目は、想像力。
二つ目は、勇気。

まず一つ目の想像力について。
きっと、娘は自分なりに、赤ちゃんやそのお母さんの気持ちを色々と想像したのだと思います。

さっき、赤ちゃんはこのおもちゃをほしがっていたな。
遊べなくて悲しかったかな?
今も、遊びたいかな?

そんなふうに考えて、おもちゃを貸してあげたい、という気持ちが娘の中に芽生えたのでしょう。

そして二つ目の、勇気。
おもちゃを貸してあげたい、と思った娘は、少し離れた場所にいる赤ちゃんのお母さんのところまで歩いて行き、自分から声をかけました。

これ、なかなか勇気がいることだと思うのです。
もしかしたら、大人の方がこの勇気を出すのが難しいかもしれません。

例えばバスや電車でお年寄りが座る場所がなく、立っているのを見つけた時。
声をかけようか、一瞬考えてしまうことがあります。
かえって迷惑かな?断られるかも?など、
色々考えだすと、なかなか身体が動きません。
でも、そこで勇気を出して一歩ふみ出さないことには、何も起こらないし、変わらない。

想像力と、勇気。
この二つが組み合わさると、人に伝わる「優しさ」になるのかもしれない、と娘の姿を見て感じました。
(また、時には「何も言わない」、「見守る」といった行動で示すことも、しずかな勇気のひとつと思います。何もしない、が実はいちばんむずかしい。。)

私も想像力を鍛えて勇気をもって、優しい人になりたい。
優しい人って、かっこいい。

誰に何を言われるでもなく、自分で想像し、自分で行動にうつした娘は、とてもかっこよかったです。
些細な出来事ですが、小さな背中がいつもより頼もしく、まぶしく見えた出来事でした。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?