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思考に空白があったら

目的があって
やるべきことがあったら
なんて良いんだろうと思っていた

そんな私だったが、やるべきことが最近できた。
いやぁ、ありがたい。

だけど実際に行動に移せない..

そういう事で自分を認めるという事にいきつき
必死に妄想を膨らまし

そして気づいたのだ。

感情を無くしたら良いじゃん!!
と。
感情がなくなったら簡単である。

嫌でやりたくない事はただのやる事になり
面倒いタスクはただのタスクと化す。

何しろ感情がないのだから。

理想としては
ショート動画の沼に浸かっている時
ふと我に帰る瞬間の静けさだ。
「風呂に貼らねば」
我に帰り、瞬時に立ち上がり風呂場へと向かう
これを日常生活にどう落とし込むか。
(動画沼ではなく)
それが重要なのではないだろうか。

この思考停止には独特の感覚がある。
瞑想とはまた違う
何だろうと思っていたところシックリくる感覚があった!

皆さんは中学生の頃何の時間が嫌いだっただろうか。

私は昼休みが嫌いだった。
やることもなく、唯一のオアシス図書館に至っては、一番人口密度が高かった。

そんな訳で昼休みの間私は、靴箱の横に張り出された掲示板を眺め、生きていた。
(地獄だった)
のだが、その感覚と似ているのだ。

思考を停止、感情を感じないようにする。
この感覚なのである。
(思考を動かしていたりしたら惨めになるだろう、靴箱の横は良い匂いではない)

ただ文字を読む、ただ息をする。
だが思考はしない。
自分を認めるとは少し違う。
ちなみにこの状態では怖いものはなくなる。
(自分の中にもやができるような感じ)

かなり役に立つ感覚なのである。

もう一度しっかり見つめ成そうと思い、ここに一度まとめます。
ではでは。





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