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松本人志と芸能界は実在したのだろうか

はっくしょん!! どうも、松本人志です。

さて、読者の皆様は松本人志さんの存在を認めておいででしょうか。

彼と同姓同名でありまた彼と同じ左利きのiPhoneユーザーでもある私、松本人志といたしましては彼の存在を、存在そのものを認めると共に、深くお詫びしたく、今日この日をもってテレビを処分した次第であります。

彼と私の出会いは小学校だった。長野県松本市から車でおよそ3時間ほどある、どこか美しさにかけ、下品とも取れる関西弁の飛び交う町の郊外にある小学校、そこで私たちは出会い頭の事故を起こした。

そう、あれはまさに事故だった…

あの日私はいつになく出会いを求めていた。正確には、パパを探していた。登録してはすぐに退会してしまうサイトをいつものように眺めてると、ふと関西弁の書き込みが目に入った。

「かい〜の...」

この人ならパパになってくれるかもしれない、少なくとも胡散臭い定型分よりは信頼出来そうだ、そう直感した私はお尻の痒みに耐えながら待ち合わせ場所の小学校へと向かった。

小学校へ入学するなり私は関西弁の授業に出席させられたのだが、アーティストの私は関西弁が嫌いだった。美しさに欠けるし、間抜けだと思っていた。今でもそう思っている。マンガやアニメで関西弁のキャラが出てくるシーンは飛ばして見ている。

そんな授業のさ中、私のお尻を消しゴムで消そうと躍起になる者がいた。それが松本人志その人だったのである。

学校では私、松本人志と同姓同名の彼は前後の席に並ぶことが多かった。私が前の場合もあればその逆もまた然りであった。

私が前の時は、いつも決まって彼は私のお尻に消しゴムをこすりつけてくるのであるが、そんな時私は冗談混じりに『芸能界が消えるのが先か、私が消えるのが先か、はたまた芸能界から消えるのが先か』とよく言ったものだ。

私がそう言うと先見の明のある天才、松本人志は『芸能界やテレビが時代遅れなのは分かっちょるけぇの…』と、少し寂しげな哀愁を浮かべて答えていた。私はただ「かい〜の…」と返すことしか出来ず、すると彼はまた私のお尻を消しゴムで擦ってくるのであった。

私も彼もAppleのファンであった。カラーテレビがまだ高価であったあの頃から私たちはよくApple TVの話をしていた。インターネットや動画サイトが普及し、芸能界が消滅する世界を夢見ていた。

そんな私たち松本人志であったが、やや柔軟性に欠ける私は「いずれテレビも芸能界も終わる時代が来よるけぇ」と言って頑なにテレビを観ること拒み続けてきたが、彼は今を生きる道を選び、本当に面白い人はあまり居ない芸能事務所へ入社したのである。

テレビを見ない私にも彼の情報は時折耳にすることがあり、先日ふと彼が芸能界を退社するという記事をネットで見かけたのだが、特に驚くことではなかった。私は「ついにこの日が来たか」と呟き、しばらく彼との思い出に耽っていた。

芸能界や松本人志のことを聞くたびにふと思うことがある。

それは、芸能界や松本人志というのは本当に実在するのだろうか、ということ。

誰しもが人生の初めに芸能界入りを目指し、ふるいに掛けられ、やがて芸能人とそうでない者に大別され、そして課税される。

この世に産まれた瞬間は誰もがみな非課税であったはずなのに、区別され、選ばれた者にのみ支給される。

給付金のごとく現れた天才、松本人志も芸能人の一人としてもてはやされ、妬まれ、時に叩かれてきた。

そんな松本人志であるが、彼が実在しなかったとしたらどうだろう。実際の人物、団体とは一切関わりが無かったとしたら…?

同様に、芸能界なんて本当に存在するんだろうかと私は思うのである。何をもって芸能界と言うんだろう、何で人々は実際には存在すらしないものを芸能界と呼んだり芸能人と呼んだりするのだろう。

私は芸能人なんてこの世には1人も存在しないと思っている。全ては人々の妄想、虚像でしかなく、虚像が一人歩きしてるだけなのだ。

芸能人と呼ばれる彼ら自身、自分が誰なのかもよく分かっていない。自分を偽り、視聴者をペテンにかけたつもりが、逆にかけられてしまった、そんな人々なのである。

それでも私は知っている。

松本人志が確かにこの世に存在したことを。

私だけが知っている。

彼が松本人志であり、また、松本人志ではないということを。


松本人志よ、永遠なれ。
長い間、本当にお疲れ様でした。
安らかにお眠り下さい。合掌🙏🏻


2024年3月5日, 松本人志

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