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【小説】70's groove -後篇-


久しぶりに胸が高鳴っている。足が震えるのを必死で抑えながら、いや、これは武者震いだ。と自分に言い聞かせた。

「どした?緊張してる?」と、たけちゃんが私の顔を覗き込んで言った。このバンドのドラマーである。私たちのバンドメンバーの中で一番音楽の経験が長く、今でも自分が経営しているジャズ喫茶で時々演奏をしているらしい。
この男はドラムだけでなくギターもピアノも演奏出来る。天は二物を与えず、なんて信用してたまるものか。

私が「足が震えるよ」と苦い顔で言うと、「大丈夫、大丈夫、楽しもう」と言って肩を叩いてくれた。

「それにしても斎藤さん、遅いな。バンダナ、見つかったんかな」
たけちゃんがポリポリと頭をかく。後ろでひとつに束ねた長髪が揺れていた。

私たちが初めて会ったのは、4ヶ月間前。私が商店街の外れにあるバンド教室に参加した初日のことだった。
たけちゃんこと、武田宣仁は私より6年も前から教室に通っている常連だったが、私のように演奏が上達したいからという理由ではなく、ただただ先生とセッションがしたくて入り浸っているようなものだったらしい。

もうひとりのバンドメンバー、今、トレードマークのバンダナを取りに慌ただしく家に帰ったのが、斎藤浩。愛称は斎藤さん、この中で1番の年長者である。

斎藤さんは元々大学時代にバンドをやっていたらしく、定年後に趣味としてまた再開したらしい。赤いバンダナと赤いベースがトレードマークだ。

「みなさん、調子はどうですか?」
と、にこにこしながら先生が楽屋に入ってきた。楽屋、と言っても商店街の角にある小さな自治会館の一室だが。

「天気も晴れたし、最高だよ」とたけちゃんが笑う。
「ひでさんは?顔が強張ってますよ。リラックスリラックス」
「あ、はい、うん、そうだよね」
「あれ?斎藤さんは?まだ来てませんか?」
「あ、なんか1回来たんだけど」
と言いかけたところでドタドタと玄関で音がした。

「おおお!先生来てたんか!わりいね!俺としたことがバンダナ忘れちまって!トレードマークなのによ!」
斎藤さんのガハハというバカでかい笑い声で全てがかき消される。

「間に合って良かったです」と先生が穏やかに言った。私たちより年下なのに、なんとも朗らかで優しいを具現化したような人だった。

「みなさん、今日は楽しんで演奏しましょう。昨日のリハーサルもバッチリでしたし、とてもかっこよかったですよ」
「そりゃもうな!先生が居てくれるんだから百人力だよな!」ガハハ、とまた大声で斎藤さんが笑う。
「私はあくまでサポートですから。主役はみなさんですからね、胸を張って」
「おう!なんだ、ひで、どした?緊張してるんか?」

斎藤さんがバンバンと私の肩を叩く。こんなに大雑把なのに、この人はとても器用にベースを演奏してのける。私が例に沿ってFコードが弾けなくて頭を抱えていたときも、「こうやりゃいいんだよ」と指の使い方をガハガハと大声で笑いながら教えてくれた。

「いや、なんせ人前で演奏なんて初めてだから」
「大丈夫大丈夫、なんなら1杯ビール飲んでから出るか?」と、斎藤さんが引っ掛けるポーズをしたのを、先生が制して「斎藤さん、ダメですよ」と諭していた。



はじめて会った日から毎週2日、私たちは欠かさず練習を行った。そして今日はじめて人前で演奏する。
正確には、私が、はじめて人前で演奏する。

楽曲はEarth,Wind&Fireの「September」 バンド演奏の基礎と言われている曲だ。たけちゃんと斎藤さんにとっては基礎中の基礎の練習ばかりだっただろうが、ふたりとも快く私のレベルに合わせてくれた。

「商店街のお祭りで演奏をしてみませんか」
先生がそう提案したのは練習を始めて2ヶ月が経った頃だった。私はなんとかFコードを鳴らせるようになり、やっとSeptemberの楽譜を通しで演奏出来るようになっていた。

「おお!いいんじゃねえか!やってみようや!たまにはおっさんのかっこいいとこも若者に見せとかねえとな!」と、斎藤さんはいつも通り二つ返事で、たけちゃんは「喫茶店の宣伝にもなるかもなあ」とニヒルに笑っていた。

私はこの演奏が決まってからほんのりずっと緊張していた。会社にいても気が付いたら指がコードを抑える形で動いていて、家でお風呂に浸かっているときもテレビを見ているときも夜寝る前も、頭の片隅にはSeptemberの楽譜がぼんやり思い浮かんでいる状態だった。

少しの緊張と、少しのワクワクと、少しの不安が入り混じって、現実なのに夢の中にいるような不思議な感覚だった。

「今日は孫まで呼んじまったわ!ふたりは誰か呼んだんか?」
「ああ、僕は常連さんに声かけて。あとは嫁が時間があったら見に来るって言ってたけど来ないかもな」とたけちゃんがまた頭をかく。
「ひでは?」
「ああ、一応チラシだけは妻に渡したんですけど」
スーパーに行くときに寄れたら寄ると言っていたけど、チラシは流し見しただけで机に置いていたので、あまり期待はしていない。斎藤さんに煽られて声こそ掛けてみたものの、よく考えればそもそもこんな姿を見られる方が恥ずかしいのではないかとも思う。

「じゃあ、みなさん、15時45分から準備で16時が本番です。斎藤さん、ビールはまだ飲んじゃダメですよ?」
「分かった分かった!終わったあとの楽しみにとっとくわ!」
困ったなあ、1杯飲もうと思ってたのにと斎藤さんが大きい声でぼやく。先生が聞こえてますよ、と笑っていた。

商店街の祭りにしては意外と立派なステージで、ギターを持った途端、それまでとは比べものにならないくらい心臓がバクバクと音を立てた。死ぬかもしれないと思うほどの音だった。
深呼吸をしようとするけど、上手く息が吸えない。ドッドッと血が脈を打つ音が直に脳に響いて指が震える。

「おお、おお、40人はいるなあ」
「意外と盛り上がってるね」
司会に若手の芸人を呼んでいるらしく、時折客席から笑い声や拍手が漏れてくる。
「やばいかもしれない」とぼそぼそ言うと「大丈夫や、間違っても誰も気付かん。俺もたけちゃんも先生もいるしな」
「はい、昨日も完ぺきでしたよ」
「楽しもう、音楽はそれが一番」と、みんなが口々に励ましてくれた。

「続いては、70's grooveのみなさんのバンド演奏です」

名前を呼ばれステージに上がる。もはや自分の心臓の音しか聞こえない。ふうっと息を吐いて一瞬客席に目をやると、商店街の柱の前に妻と子どもたちが立っていた。「来たのか」と正気に戻る。不思議と手の震えが止まった。

斎藤さん、先生、たけちゃんの順に目を合わせる。みんなが頷き合うと、たけちゃんの笑顔の後、カウントが始まった。

ーDo you remember,The 21th night of September?

たけちゃんの渋い声が商店街に響く。客席がわあ、と響んだのが分かった。先生がにこやかに目配せをしてキーボードを弾く。斎藤さんが足でバンバンとリズムをとっていた。

何度か弾き間違えたけれど、もうどうでもよかった。いつのまにか心臓の音は気にならなくなって、Septemberの音楽だけが脳に響く。気がつくと子どもたちがステージの前で楽しそうに飛び跳ねていて、客席は手拍子で埋まっていた。

楽しい。他のなににも変えがたいくらい楽しい。頬がゆるんで仕方ない。

あんなに楽しそうなお父さんは初めて見た、とずいぶん経ってから娘に言われた。

平穏か、激動か、と言われれば、平穏な人生だった。幸福か、退屈か、と言われれば、少しだけ退屈が勝つような、そんな人生だった。

あの日、音楽に出会うまでは。

(fin)

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