ドンブラコってすごくね?
いきなりだけど桃太郎はすごい。文章にムダな装飾が一切ないから。早速ちょっと見てみよう。
なんでやねん。
まず、おじいさんとおばあさんが「どの町に」暮らしているのかの説明がない。どんな理由でそこに住んでいるかもわからないし、年齢もわからない。
なんなら物語が始まってすぐに芝刈りと洗濯にでかける。もっと会話しようよ。仲悪いのか?
なんでやねん。意味わからんわ。
ちょっと話がそれるが「ドンブラコ」というオノマトペが桃以外に適用されているのをみたことがない。
しかもただの桃ではない。
川を流れてくる桃のみに適用される幻のオノマトペ。それがドンブラコ。
川を流れる果物に対するオノマトペとして「タプタプ」とか「サラサラ」とか「プカプカ」もいいような気がする。が、
桃太郎からは「いや、ここはドンブラコでいきましょう」みたいな鉄の意志を感じる。すげー。クレヨンしんちゃんにありそう。「君といっしょにドンブラコ」みたいな話。
話がそれたけど、ここでもムダな装飾が一切ない。なぜ桃が流れてくるのか、それをなぜ持ち帰っちゃうのかの説明、描写が一切ない。
これ、非常に日本的である気がする。
というか「時の試練」を経ているからこそ、これほどシンプルになったのだと思う。まるで、巨大なゴツゴツとした岩が、長年の風雨にさらされて角がとれ、やがて丸みをおびたような、そういう趣のある文章の風化を感じる。
ちょっと調べてみると、桃太郎の成立は室町時代から江戸時代初期らしい。詳しいことはわからないけど、成立から400年〜500年以上が経過しているようだ。
では、西洋ではどうだろう?
たとえば、シンデレラの冒頭文をみてみよう。みんな大好きシンデレラ。シンプルかな、どうかな。
すげー説明してくるやんけ。
いきなりシンデレラの容姿を説明してくる。「美しく心の優しい娘」ときた。桃太郎では説明がなかったぞ。
つづけてシンデレラがおかれている状況を細かく説明してくるではないか。桃太郎とは大ちがい。なんならこのあと、魔法使い、カボチャの馬車、ガラスのクツ、12時でとける魔法だとかの細かい設定も盛りこんでくる。
しかも、シンデレラは前半と後半にわかれている。
前半部が舞踏会に参加するまでとするなら、12時に魔法がとけるシーンが転換点となり、ガラスのクツを落としたシンデレラを探すくだりが後半部だ。
物語の構成で言えば、きちんと三幕構成になっており、最後には王子様と結婚するというカタルシスまであるぞ。
では、シンデレラの成立年はいつなのか。桃太郎が400年以上前の物語だが、シンデレラはどうだ?
諸説あるらしいが、
なんと、桃太郎とそれほど変わらない。
桃太郎とシンデレラはそれほど変わらないのに、どうして一方は時の試練で風化していて、もう一方は風化がみられないのだろう?
ディズニーのせいだ。
ディズニーがシンデレラを映画化したのは1950年らしい。400年以上前の原案の物語を改良して作られたのが、我々が最もよく知るシンデレラだ。
ここで結論を出すのは危ういが、数十年の短期でよい物語を作るには、黄金比にも似た構成が不可欠だ。それから装飾も必須。
日本古来の物語に複雑な構成と装飾を加えている作品といえば、うーん、おそらく『ONE PIECE』だろうなぁ。
…
あぁ、ここから口語伝承と書記伝承のちがいだとか、その他もろもろの考察をすれば、なんだか卒論みたいにできそうだなぁと思うのだけど、そんな熱量は残念ながら、ない。
ちなみに桃太郎に出てくるドンブラコ。
これが風化していないのって、ものすごいことで、これがなぜ風化していないのかを研究する価値って、あるのかもなぁ、と思ったのでした。
【関連】実は桃太郎に私が登場しています
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?