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お年玉をもらうときの顔。

お年玉は子どもたちの年1回のおたのしみ。親からおばあちゃんから、ハゲた親戚のおじさん、少し老けた親戚のおばはんからもらえるのだ。お金を。

この世はお金だ。

お正月、子どもは何もしていないのにお金がもらえる。ただ遊んでるだけなのにお金がふってくる。こんなことが許されてもいいのか。ムカつく。

でも、私も子どものころは、お金をもらっていたから、文句は言えない。自分がやってもらったことは、次の世代にも伝えていかないとならない。自分の代で終わりにはできない。


あのお年玉をもらう瞬間の奇妙な空気感がイヤだった。お金をもらうわけだから、感謝をしたほうがいいのだけれど、どんな顔をしていいのかわからない。

笑顔でいるわけにもいかないし、かといって真剣な表情でいるのもヘンだ。だから子どもはお年玉をもらうとき、なんとも言えないおかしな顔になる。「あ、あ、ありがとうござい……ます」と言いながら、おかしな顔をする。



子どものころ、親戚のおじさんの「マー君」がくれるお年玉は、ほかのどの親戚よりも金額が多かった。たとえば、ある年に、あるおばちゃんがくれたお年玉を3,000円だとしよう。マー君は1万5,000円だ。これはデカい。ヒュージ。


マー君はよく私たち子どもに「おい、お前ら並べ」と言って、お年玉を順番に配った。ほかの親戚からのお年玉には期待していなかったが、マー君からのお年玉は別格。こうなると、私たち子どもはマー君のことが大好きになる。

たいした働きをしていないのに、たくさんの給料をくれる会社をこそ私たちは好きなのだ。



さて、いつしか私自身がお年玉をあげる立場になった。6才の姪っ子、4才の甥っ子、歳の離れた大学生のいとこの女の子と、中学生のいとこの女の子。

歳の離れた2人のいとこは、かのマー君の娘たちだ。自分がやってもらったことは、次の世代に。



きのう、妹の家に行った。
ここには姪っ子と甥っ子がいる。
小学一年生と幼稚園児だ。

この純粋無垢なタワケ2人に、いったい、いくらのお年玉をくれてやろうか。幸い、この2人の姪甥は私のことを好きでいてくれている。

この子たちに会うといつも「ダーキ兄ちゃんだ!」と言ってくっついてくるので、私は「うるせぇ」と言って遊んであげるのだが、もっと好かれたい。もっと好かれたいし、もっと尊敬されたい。憧れと畏敬の念をもたれたい。


となれば。


世の中はお金パワーである。


よし、そうだ。6才の姪っ子には5,000円をあげよう。聞くところによると、他の親戚からの金額平均が1,000円らしいから5倍だ。

甥っ子には1,000円にしてあげよう。こいつはお金の価値をわかってないだろうけど、1000の数字の並びが好きだろう。

と、いうわけで、わけのわからない猫のイラストが描かれたポチ袋に五千円札と千円札をしのばせる。


さて、どんな顔をしてくるだろう。妹に姪っ子と甥っ子を呼び出してもらう。ドタドタと私のところにやってきて「なになに?」と言ってくる。お年玉をくれるとわかっているくせに、とんだタワケものだ。かわいい。


「さて、きみたち。お年玉はいくらもらったかな? 答えてみたまえ」

「えー!」

「ほら、答えてごらん。ママからはいくらもらったんだい? じいじからは?」

姪っ子はすっとぼけた顔で「1,000円だよ」と言う。甥っ子にいたっては会話の意味がわかってない。クソッタレ。かわいい野郎だ。

「はー、1,000円ね。はいはい。じゃあきみたち。俺からはいくらもらえると思う? え? いくらだと思うかね?」

「え」

「ほら、言ってみなさい」

「えー、じゃあ……3……」

「3,000円? 3,000円でいいの?」

「えー!」

そんな驚いた反応をしつつ、この6才の姪っ子はすっとぼけた顔をしている。甥っ子は相変わらず会話を理解せず「ダーキ兄ちゃん、ンゴンゴ」と言ってる。なので私はお年玉の袋をこれみよがしにあけて、そして「ほら、みて、みて、みてごらんなさい」と言う。姪っ子がじーっと見る。

お年玉袋からは樋口一葉が出てきて、5000の文字。五千円札。そして甥っ子には千円札。


これをみた2人は、騒いでいいものかどうなのか分からず、むかしの私がやっていたような、なんとも言えない顔をしている。

なので、高らかに言うのだ。


「わかったか! いいか、お前たち! 俺を尊敬しろ! すごいだろ! フハハハハハッ!」

「すごい! ダーキ兄ちゃんはすごい!」

「もっと褒めろぉ!」

ワッショイ! ワッショイ! ワッショイ!




さて、こんなことで自尊心を保っていては、教育上よろしくない気がする。来年、もしくは我が子のためには、お年玉には制度を設けたい。

たとえば、プレゼン方式にする。年間でやりたいこと、それに必要なお金を計算させて、大人にプレゼンしてもらう。そのプレゼンに見合った金額のお年玉を渡す、お年玉プレゼン制度。

もしくは、お年玉投資。子ども用に作ったNISAかなんかの特定口座に、あらかじめ18歳になるまでのお年玉とお小遣いをぶち込んでおく。チャートの見方を教え、年間で増えた金額の中から年齢に応じた金額を引き出せるものにする。


この2つの合わせ技でもいい。


盲目的になにも考えず、ただお年玉をあげているだけでは、それこそ思考停止の子どもが育つ。私の世代から変えてあげたい。


こういうお金に関する教育は、子どものころは気づかなくても、大きくなってから「そういえば、ダーキ兄ちゃんて」とか「そういえばうちのお父さんって」と、尊敬されると思うんだ。

なにより、その子のためになる。




お金はただの手段。それ自体に価値はない。
子どもたちには、それを知ってほしい。


はやく我が子にやってあげたいな。


〈あとがき〉
「我が家のお年玉」みたいな感じで、他の家庭のお年玉ハックが知りたいですね。なるほど、そういう手があったか、とか、自分の経験を教えてくれるといいかもしれません。その良さ、儚さ、ただの思い出をシェアして、この怒涛の時代に活かしましょう。書く書かないは、自由です。今日も最後までありがとうございました。

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