怖がりを手放して。
結局は、人が怖かったんだと思う。
誰かと話すことは無駄だ、1人でいた方が楽だ。
そんなふうに思って、誰とも深く関わらないようにしていた。
誰かの前に立つことは好き。でも、いつしか周りの目が怖くなって、ひとりの世界に閉じこもるようになった。
それすらも演じているような気がして嫌になって、自分を何度も傷つけ続けた。
言葉のナイフは、自覚しているよりも鋭く、心の深くまで傷をつける。そう分かったのは、つい最近のこと。
そこから、ろくに人との関わり方を知らないまま、N高に入った。
文章を書くことだけはずっと好きだったから、N/S高新聞へ思い切って踏み出すことにした。
新天地は、私の知っている世界とはまるで別物。
いつ行っても「いらっしゃい」と温かく迎えてくれて、深夜までバカ騒ぎをしたり、意味のわからない歌を歌い続けたり、楽しそうな企画をいっぱいみんなで考えたり。
それまで自分が馬鹿馬鹿しいと思っていたこと、時間の無駄だと思っていたことは、それから先への糧となった。
そこから、世界が一気に色づいて、いろんな出会いと経験をした。
高校生や大学生・大人とたくさん話をした。
いろんな人の考え方に触れた。生き方に触れた。
仕事の仕方も沢山学んだ。最初は赤で直されてばかりだった企画書も、作成を頼まれるようにもなった。
MTGにバイトに、毎日が忙しく充実していた。
でも、いつからかそれらは私を苦しめるようになる。
こうあらなければ、こうしなければ、という固定概念が、ゆっくりと首を絞めていく。
気づけば、あの頃と同じように、毎日を作業のようにこなすようになっていた。
「幸せってなんだろう」
小さい頃から考え続けた言葉は、私の頭の中で嵐を巻き起こすようになった。
そしてまた、孤独になった。
でも、ひとりにはなれなかった。
私がひとりでいると思っていた時でも、
そのすぐ側には、支えてくれる誰かがいて、愛を与えてくれる誰かがいて。
私はひとりにはなれないことに気がついた。
ずっと、一人ひとりのなにかの一番でいたかった。かっこいい、かわいい、仕事が出来る、頭がいい。何でもよかった。
でも、そうじゃない。
世界が敵になろうとも、一緒に希望を見つめてくれる人は必ずいる。
そう気がつけたから、私はもうひとりじゃない。
昔の私は、今の私の言葉を「綺麗事だ」と鼻で笑うだろうか。
だとしても、それでいい。
あの頃の私が居なければ、今の私は居ないのだから。
過去の私の全ても、今の私なら愛すことができる。
いっぱい頑張ってくれて、ありがとう。
たとえ誰かに嫌われたとしても、味方はそばに居る。
だから、大丈夫。
怖がりの自分を手放して、次の旅へ出よう。
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