【#4】 才能と生き方。
8月は色々と濃い1ヶ月だったなあと思いながら、現在沖縄で授業を受けている私。
ここには本校スクーリングで来ているのだが、本当に海が綺麗で、つい目を奪われてしまう。
果てしなくどこまでも行けるように感じる水平線が、私は大好きだ。そんな私にとっては、沖縄とはなんとまあ素敵な場所なのだろうか。
さて、本校スクーリングについては9月の振り返りで触れるとして、とりあえずは8月を振り返ろう。
おわりとはじまり。
とにかく学びと気づきが多すぎたwilldoorサマーキャンプ。
自分自身と向き合う中で、得られたものがあまりにも大きかった。
しかし、このnoteではその一日前に終了した生徒会のことについて少しだけ触れたいと思う。
生徒会で私は主に広報の仕事や企画のサポート、リアルイベントの引率を受け持っていた。
企画実行までのプロセスや、MTGでの進行の方法やそれらに関するスキル、組織編成の方法を学ぶことができた。
このように自分にとって成長の場となったことは間違いなかったが、私個人としては後悔も多い。
何かのせいにするのが良くないことはわかっているが、あることがきっかけで、タスクや業務が進まなくなってしまい、
2月辺りから、業務を自分からもらいに行ったり、企画を立てたりすることはほぼなくなってしまった。
自分の嫌な所にも散々気づいてしまった。
縁を切っているのは自分自身だということ。消して相手ではない。
変わりたい、でも変われない。このきっかけが私を大きく崩してしまったのかもしれない。
それでも、生徒会に受からなければ、こうして活動していなければ、というほど私個人としては本当に貴重な時間をもらえたと思う。
投票してくださった人への申し訳なさが募る中で、「きほちゃのペースで大丈夫だよ」「一緒に話そ!」と不安をなくしてくれていた生徒会のメンバーには本当に感謝しかなかったし、それのおかげで自分のできる範囲で仕事ができていた。
素敵な出会いをいただいたこと、気持ちの変化も経験できたこと、全てに感謝しつつ、自分自身と向き合っていきたい。
そして、私は今後以降、生徒会の内部の人間として関わる予定はない。
メンバーも仕組みも変わる生徒会。これからはどんな組織になるのだろうか。本当に楽しみだ。
その後のサマーキャンプについては別記事で紹介済み。
いまだにもらったノートはまだ半分残っているので、1冊丸ごと教育で埋め尽くす予定だ。
天才とは、才能とは。
その一方で、自分自身の才能について、悩まされることも多かった。
誰かに認められたい、なんでもいいから、何かの一番でいたい、そんな気持ちが強かった中で、評価をされなかったと感じてしまい、立ち止まりそうになってしまうことがあったからだ。
「天才とは、努力を怠ることなく精進できる人間のことだ。」
何処かの誰かがこう言っていた言葉を、つい最近にまで鵜呑みにしていた。
天才とはなんだろうか。
天才とは、誰かのものさしで勝手に評価された自分の価値なのだと思っている。
だから、誰かが自分のことを天才だと言えば、自分はその人にとって天才だし、誰かが自分のことを天才じゃないと言えば、その人にとって自分は天才じゃない。
天才の定義自体が曖昧なものなのだ。
それぞれが違うものさしを持っていて、それを平均化させたのが"常識"や"世間"なのだとしたら、それらはあまりにも勝手なものではないだろうか。
『人間は初めから平等だ』と耳にすることがあるが、そんなことはあり得ない。
都心の高層マンションに生まれ、生活に困ったことのない裕福な人間もいれば、次の食事に食べるものを集めるので1日が終わってしまう人間もいる。
どうしても早く走れない人もいれば、飛び抜けた運動神経を持っている人もいる。
それぞれが持っている環境、能力、運、価値観全てが違ったものなのだから、平等であるとは言えるはずもない。
たとえどれだけ努力ができる人間だとしても、多くはその最初から持たされているものに振り回される。
それぞれの元が違うはずなのに、他人のものさしの基準で決められたもので自分の価値は決まるはずがない。
きっと私は、死ぬまでこの問いの正しい答えを導き出せることはないだろう。
だから、天才だの才能だの、こんな言葉たちに囚われている暇などないのだ。
何かを恐れて挑戦をやめるのではなく、自分のやりたいを突っ切るのが自分にとっては一番得ができる最善策だろう。
他人の評価に悩んでいる暇はない。
さあ、自分のやりたいことはなんだ。
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