胎盤に興味がわいた、ぼくのはなし。

僕が傾倒してやまない、日本を代表するアナキスト大杉栄は
子煩悩な父親であったと言われている。

今風にいうと、「イクメン」であったのは間違いない。
ただ、僕は未だに「イクメン」という言葉に違和感がある。

どれくらい違和感があるかというと、
「家族サービス」という言葉くらいに違和感がある。

「イクメン」という言葉が出来上がるまでの背景や、
そういう「ことば」をつくることで大きな流れが生まれること。
そして、そういったムーブメントを起こさざるを得ない現状。

わかっているつもりだけれども、どこか違和感がある。
この「もやもや」、なかなかうまく説明できないのだけれども、
自分なりに考えてみようと思う。

ちょうど去年の今頃、「ほぼ主夫(仮)」という経験をしていた。

詳細は省くけれども、
2歳の女の子と一日の流れを共有しながら、
生まれたばかりの乳児と共に生活をしていた。

新生児が生まれるまでは、
2歳の女の子との朝は、Eテレで始まる生活だった。

どんなに(大人が)寒いと思っていても、
公園は必要不可欠のスケジュールだった。

お昼寝、お風呂、そして寝かしつけ(なんかいやな言葉だな)
を終えて、気付けば一日は終わる。空き時間に仕事をする。

そんな生活を繰り返し、
そして、いよいよ出産のときがやってきた。

ある日の早朝、破水のため病院へ直行。
小さな産院であったので、待合室のすぐ横にオペ室。

病院に到着すると、先客がまさにお産の最中。

「先生、痛い~~~!もういや~~~!あ~~~」

今すぐ、ノイズキャンセリングのイヤホンが欲しかった。
コートを着ても鳥肌は収まらない。それくらい怖かった。

男子諸君、あの経験はしたほうがよいかもしれない。
日本のホラー映画を凌駕するサウンド。
(まあ、本来ホラー映画も「生と死」が核なんだけれどもね…)

下記、端的に時間の流れを追ってみる。
(詳細はまたいずれ…)

先客のお産は無事に終了。待ち時間。
そして、いよいよこちらのお産。

スーハースーハー、スポン、ドボン。オギャー!
生まれた、その場にいたものみんな笑う。

僕、回していたカメラをしまう。
胎盤に興味を持つ。
触る、香る、看護師と助産師さんに惹かれる…。


時間経過。母子ともに無事帰宅。
2歳児、こども返り。新生児、なぜか全く寝ない。
理由が見えない、自宅にいるものみんな疑心暗鬼になる。

引き続き、新生児寝ずに怒号のような鳴き声。
2歳児、自分のポジショニングを探す。
出産した人、完全に睡眠不足。
周りもの、あわせて睡眠不足。
まったくをもって先が見えない。
計画なんて言葉は存在しないと思い始める。

かくかくしかじか。
僕の「ほぼ主夫(仮)」終わり。

気付いたら文章長くなっているので、ここらで。

生まれてからもありえないくらいの変化のプロセスが存在する。
自分、まわり、先人(この場合は2歳児)の変化。

ほんの小さな変化で、自分の頭もおかしくなりそうになる。
ただ、時間が経過すると「あれは楽しかった」「あれは大変だった」
と言い、その場にいたものと共有できるのは、端的に愛おしい。

それを共有できないというのは、非常に寂しいと感じる。

「産後の関わりで、夫婦の関係性は変わる」

とか専門家が言ってるいるけれども、
こういうことだと思っている。

(下記、かなり極論ですが…)

ドラフト会議に興味がもてないのは、
小さな変化のプロセスを追っていないから。

アイドルに興味をもてないのは、
その人の人となりを知らないから。

急に「ドラクエ」を渡されて、
「続きをやってて~」と言われても、
取り組めないのは、自分のものと思えないから。

追伸:出産立ち合い日記はいずれどこかで。



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