強者に与えられる真の「権利」とは何か?
資本主義の社会で成功したければ…
健全に振舞える人が全身全霊を傾け、まさに命を懸けて戦わなければならないようです。
人よりも成功している人は、ほとんどの確率で身体をこわすほどの努力をしています。
そういう痛みを知らない人を認めないと言わんばかりの厳しさがあります。
でも、世の中にはそういう戦い方が可能な土台を持ち合わせない人も沢山いますよね。
身体的な問題だったり。
精神的ストレスを異常に抱えていたり。
ちょっとした発達障害だったり。
教育の差だったり。
家庭の状況だったり。
そういう人たちにまで、そんな厳しさを強いるのが資本主義なの?
それを「良い社会」と認めていいの?
本当にこれが「自由」なの?
私は、この資本主義社会の理不尽なまでの厳しさが大嫌いです。
このコロナが、この社会を変える良いキッカケになてくれるのではないかと考えるほどに。
でも、どうなんだろう?
多くの人にとって優しい(甘い)社会が本当にシステムとしてより良いと言えるのでしょうか?
現実の世界(自然)は、やさしくて厳しい。
とてつもなく厳しい。
それが世界の真実。
社会のシステムはあくまでも人間が作り出した妄想ルールです。
どう知恵を絞っても、不自然にしかならない。
人間らしいやさしさや平等な社会をシステム化したいなら、この厳しさを認めなくてはいけないってことなのかもしれない。
理不尽な厳しさの中でも、弱い者を守りたいという心を大事にしたいなら、それをそのまま社会のシステムにするしかない。
勝つためにはあくまでも厳しさを求められます。
そして、強いものはますます強くなり、そういう者が身を粉にして弱い者を守る…しかない。
強いものだけが弱きを守る権利を与えらる。
弱い者を守るのは義務ではなく、権利です。
名誉であるという事。
お金を稼ぐことが「唯一の成功」だという価値観は、やっぱり人間の求める在り方にそぐわないと思う。
強さは、資本を持つことでしか表現できない…というのであれば、金を稼ぐしかない。
でも、成功の証はその先。
「どれだけ多くの弱き者のために戦ったか?」
これこそが人間の「成功」の真の姿。「成熟」というものでしょう。
本当の「やさしい世界」は、厳しさの中でだけ現実となる。
甘いシステムの中では、弱者を守る人は皆無になり、弱い人はますます苦しむ羽目になるのですから。
厳しいルールの中で、戦えるものはどんどん強くなれ。
ジャンジャン稼いでしまえ!
そうすることで、弱者の救われる道が広がるのだろうと思います。
哲学は民度を上げる。
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