見出し画像

『絵を描く私』を続けたい。人生で欲しかったもの離れたもの。


自分の人生に満足していたら、人間関係だけで自分を満たせていたら、きっと絵を描くことはなかった。誰かに認めてもらいたくて、本当の私を見て欲しくて、言葉でないもので自分を定義したくて、そんな何かで自分を満たしたくて、絵を描いてた。

居場所がなくて、将来が不安で、所属もしていなくて、そんな時爆発するようにエネルギーのある絵を描いていた。内容なんてどうでも良かった。ただ自分を表現したかった。自分を定義したかった。声の届く限り、仲間を求めてなく遠吠えみたいだった。そんな生き方の人生に満足していた。

声がかかれば、外で描いた、発表した。人が私の絵の前で足を止めてくれる時間が誇らしかった。そんなことをしていた矢先に仕事の声がかかった。認められた。そう思った。

そんな頃、一度も恋愛経験がない私に初めて付き合う人ができた。とっても遅い春だったけど、私には絵があったから、そのために必要な時間なんだったんだと思った。

今までの非正規で、彼もいなくて、したこともない恋愛の妄想を友達とサイゼリアでしていた頃に比べたら、希望だらけの自信に満ちた時間だった。その頃正社員にもなり、地に足のついた、人から肯定してもらえる人生になった。自分に自信がついて、居場所があると感じた。
でもそうする中で絵だけが私からいなくなった。

段々と表現が苦痛になり、それから描けない期間が4年ほどあった。

正社員になり、当たり前だけど絵を描くよりも人間関係の比重が大きくなり、人との関わりの少なさを絵で補っていた私はストレスを消化できなくなっていった。自分を支えるアイデンティティーはたった一つしか持っていなかったから。

絵にまた元気をもらおうとした時には、何を描けばいいのか分からなくなった。
私の中には何もなかった。認めて欲しい気持ちだけで生まれたものだったから。
やっと人の中で見つけた居場所に執着し、失った絵も取り戻そうともがいて、どちらも失っていった。

振り切って自分の人生を取り戻すために、絵を忘れようとした時もあった。でも自分で表現すること以上に楽しいことなんて見つからなかった。生きる時間を燃やすように、夢中になれた瞬間を思い出して、今と比較しては落ち込んだ。

それから何年も経ち、また絵を描いている。
結局人から認められる自分に諦めがつくまで、絵は私に帰ってきてくれなかった。
私が私の人生を受け入れ、自分で自分を肯定しようと思い始めた時、また描けるようになった。それはただの日常の絵だった。
私が本当に欲しいものだった。

#なりたい自分


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?