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09.世界最大級の自動車メーカー「トヨタ」の創業物語。

突然ですが、皆さんは、車好きですか?
最近は、ますます若者の車離れが進んでいるみたいですね。

この事象を、ネガティブに語ることもできますが、あえてポジティブに捉えるなら、車を頼らなくても良いほどインフラが整えられた、シェア市場が普及したことで所持する必要がなくなった、とも言えるかもしれません。

さて、次はクイズです。
世界で一番販売しているメーカーはどこでしょうか。

正解は、日本のトヨタ自動車株式会社です。販売台数は、年間約1000万台。
僅差につけているのがドイツのフォルクスワーゲンです。
「世界のトヨタ」日本の宝ですね。

創業者の情熱と織機の発明

トヨタ自動車株式会社の創業物語は、日本の産業史における重要な一章を成しています。トヨタの創業者である豊田佐吉氏は、1867年に静岡県で生まれ、織機の改良に情熱を注ぎました。彼の発明した「豊田式木製人力織機」は、国内外で高く評価され、彼の名前を一躍有名にしました。

※織機

息子の自動車産業への挑戦

織機の改良と製造に専念していた佐吉氏は、息子の豊田喜一郎氏に自動車産業への参入を託しました。1933年、喜一郎氏は、豊田自動織機製作所の自動車部門を立ち上げ、日本での自動車製造を夢見ました。初期の挑戦は多くの困難を伴い、特に技術と資金の両面での苦労が絶えませんでした。しかし、彼の情熱と努力により、1935年には初の乗用車「トヨダAA型」が完成しました。

戦後の復興とトヨタ生産方式の確立

第二次世界大戦中、トヨタは軍用車両の製造に注力し、戦後は壊滅的な経済状況の中での復興を余儀なくされました。しかし、戦後の日本経済の急速な成長と共に、トヨタも成長を遂げました。特に、トヨタ生産方式(TPS)の確立は、生産効率を飛躍的に向上させることに成功し、トヨタを世界的な自動車メーカーへと押し上げました。この生産方式は、「ジャスト・イン・タイム」や「カイゼン(改善)」などの概念を取り入れ、生産現場の無駄を徹底的に排除するものでした。

海外市場への進出とカローラの成功

トヨタの成功のきっかけとなったのは、1960年代から1970年代にかけての海外市場への進出です。特に、アメリカ市場への本格的な進出は、トヨタの国際的な地位を確立する大きな要因となりました。1965年に発売された「トヨタ・カローラ」は、燃費の良さと信頼性から世界中で大ヒットし、トヨタのブランドイメージを大きく向上させました。

現在のトヨタの姿

現在のトヨタは、世界最大級の自動車メーカーとして知られています。2023年の売上高は約30兆円に達し、純利益は約2兆円を超えています。また、トヨタは約360,000人の従業員を抱え、世界中に製造拠点を持つグローバル企業となっています。トヨタは持続可能なモビリティ社会の実現を目指し、ハイブリッド車や電気自動車などの環境対応車の開発にも力を入れています。

トヨタの成功の鍵

トヨタの成功は、創業者である豊田佐吉氏と喜一郎氏のビジョンと努力、そしてそれを支えた多くの従業員たちの情熱の結晶です。そして、何より、トヨタと聞いて私たちが思い浮かべるのは、豊田章雄氏の顔ではないでしょうか。(今回は、創業者にフォーカスを当てましたが、豊田章雄氏については、また今度まとめてみたいと思います。)

正直なところ、トヨタの歴史や凄さを、このnoteだけでまとめきれたと思いません。しかし、ほんの一部でも、歴史を知ることで、街を走っているトヨタ車の見え方が変わったり、学べることは多々あるように思います。

最後に、少し話がズレますが車繋がりということで、『赤い車の法則』を皆様はご存知でしょうか?
皆様は今日、家を出てから家に帰るまで赤い車を何台見ましたか?
こう聞かれても答えられるはずもありません。
しかし、一台見つけるごとに1万円をあげると言われたらいかがでしょうか?血眼になって毎日探しますし、嫌でも目に入るようになると思います。
人間は意識していることは自然と目に入ってくるものです。
人生もビジネスチャンスも同じです。
日常にたくさんのチャンスがあるにも関わらず、探そうと意識がないと掴めないものです。
日々チャンスを伺い続けることが大事ということです。


あなたが、後世まで残していきたいものは何ですか?
日々チャンスを意識して過ごしていますか?

では、また。

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