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11人の方程式

 カーマインは幼い頃から、星を見るのが好きだった。
 色とりどりの星々の瞬きを見ているだけで、何時間でも過ごすことができた。
 空を巡る双子の衛星の追いかけっこは、朝まで眺めることができた。

 やがて成長し、科学の本を読み漁る年齢になると、カーマインは思った。
 いつかあそこへ行ってみたい、と。

 気が付くとカーマインは、それより遥か先へ行く日々を送っていた。

***

 壮年と呼ばれる年齢になった。宇宙運送会社に就職したカーマインは、毎日のように双子衛星よりも遠くの惑星へ荷物を届けていた。

 この日は久々に遠出する日だった。カーマインの住む惑星ヘリオトから、250万光年離れた惑星地球へ運送する。
 移動にはワームホールを使う。宇宙空間の二地点を結ぶこの存在は、入り口と出口が同時刻という不思議な性質を持つ。内部でどれだけの時間を過ごそうとも、進入と同時刻に退出できるのだ。

 久しぶりに通るワームホールにカーマインは興奮していたが、船長キャップとして落ち着いた態度で臨んでいた。

「お名前をお願いします」
「株式会社メトン宙運のカーマインです」

 ワームホール港でカーマイン達は通行手続きを行っていた。職員が電子書類を見ながら、簡単な質問を繰り返す。

「船の名前は」
「ヒュイスタム号です。あと、貨物用無人船のア・テア号」
「乗船人数は」
「11人」
「総重量は」
「ヒュイスタム号が4.18トン、ア・テア号が10.52トン」
 質問の内容は、他の宇宙港とあまり変わらなかった。カーマインは慣れた調子で答えていく。

「質問は以上です。次はあちらで身体検査を受けてください」
「身体検査? なぜ……」
「あれです」

 職員は、港内の掲示板ホロ・ヴィジョンを指差した。各惑星の言語でニュースが流されている。
『拘留中だった地球人テロリスト・ドクイ、現在も逃亡中』

「まさか、この港に?」
「わかりませんが、宙警から厳戒態勢を敷くよう要請が来ています」
「でも地球人なんて、見ればわかるのでは? 我々は全員、ヘリオト人ですが」

 地球人はヘリオト人に似ているが、肌の色が違う。地球人は白や黒だが、ヘリオト人は青一色だ。しかし職員は首を振った。

「どうやら、変身装置カシピラを持っているらしいんです。だから、ヘリオト人に化けているかもしれない」

 そうだとしたら、専用の機械を使わなければ判別付かない。それなら仕方がないと、カーマインは船員たちに声をかけ、全員で身体検査を受けた。

***

 やっと船に戻れたが、出発まではまだかかる。ロボット達が船の寸法や重量を計測する。そのデータは港の管制室へ送られ、ワームホールの調整が行われる。
 それらが終わると、出発の順番を待つだけになる。

 その間に、カーマインは船内を見回った。船員たちが各々の持ち場で仕事をしている。最後に船尾の通信室に入ると、技師のネイタイが暇そうにしていた。ワームホール内では外部と通信できないため、やることが少ないのだ。仮想窓ホロ・モニタに映る後方の様子を、ぼんやり眺めていた。

「いつ見ても綺麗な光景だな」
 カーマインが声をかける。窓の外、港の向こうに、惑星ヘリオトが青く輝いている。
「この光景が好きだ」
「僕もです」とネイタイ。「ワームホールに入って、二つの星が混じり合っていく様子が、好きなんです」
「ミナシバとミナルサ?」カーマインは双子衛星の名前を呼んだ。
「ええ、はい」

 ワームホールの内部と外部は、時間の流れが異なる。端的に言えば、ワームホール内では時間が停止している。だからワームホールに入るときは、あらゆる物体が無限の速度で動き、混じり合うように見える。

 管制室から連絡が入った。カーマインはその場で、船員たちに通信する。
「管制からGOサインが出た。各員、準備はどうだ。機関第一」
「GO」
「機関第二」
「GOです」
 十人に順番に尋ねる。全員のGOを確認すると、カーマインは船乗りの慣習である古い言葉で号令した。
「よし、出発だ。よい旅をトリム・テ・タータ

 船が動き始めた。ワームホールの入り口を示す人工の輪をくぐり、その先の歪んだ空間へ、無人貨物船とともに進んでいく。

 見慣れた星空が高速で動き、滲み、やがて見えなくなる。周囲が完全な闇に包まれる。ワームホールに入ったのだ。ここから地球側の出口まで、体感で約二時間。
 その間、外部とは一切の通信ができない。

***

 事件が起こったのは、数十分後だった。
 船長室にいたカーマインに、電気技師のヨグから通信が入った。

「船長、トイレに妙なものがあるのですが」

 そう言ってヨグが映像を見せた。
 黒く、ドロドロした塊だ。何かを光線銃パルサーで焼いたような……。それが、便器の周りに飛び散っている。

「もうちょっと寄ってくれないか?」
「ひどい臭いですよ」

 ヨグは言いながら、映像を近付けてくれた。
「その青いものはなんだ?」
「青いもの? これですか? これは……」

 ヨグがさらに近付く。
 そして、うわっ、と声を上げた。

「ゆ、指だ!」

 人の指! 《《誰かが光線銃で焼かれた》》?
「ヨグ、そこに他に誰かいるか?」
「いえ、誰も……」
「わかった、一度映像を切ってくれ」

 ヨグが映像を消すと、カーマインは全員に通信した。
「急ですまないが、点呼を取る。機関第一」
「はい」
 機関第二、電気、と十人の安否を確認する。全員無事だ。

「トラブルか、船長キャップ
 機関長のニニィが不審そうに聞く。カーマインは躊躇せずに答えた。
「ヨグが、トイレで人の死体らしきものを見つけた」
「は?」
「だから誰かが殺されたのかと思ったが、全員いるなら違うようだ。ヨグ、さっきのものをみんなに見せてくれ。誰か、これが何かわかるか?」

 例の黒い塊が、全員の端末に表示される。
「うげ」「なんだこれ?」
 全員が怪訝な声を出す。
「どうしてこれが死体だと思うんですか?」とネイタイが聞いた。
「青い部分がわかるか? それが指のような形をしているんだ」
 ううむ、とネイタイも唸った。正体はわからないようだ。

船長キャップ。関連するかわかりませんが、ひとつ報告が」
 操縦士のシジナが、無感情な声で言う。
「いま確認したのですが、航路がずれています」

 ワームホール内で航路と言った場合、それは特異点シンギュラとの相対速度を指す。特異点シンギュラはワームホールの中心にあり、そこを通過すると反対側へ抜けられる。

「どのくらいだ」
「80パールほど。つまり逆算すると、船の質量が70 kgほど増えていることになります」

 それはつまり、人の体重ほどだ。
 カーマインが考えたことを、シジナが無感情に言った。

船長キャップ、もしかして例の地球人テロリストが乗り込んでいるのでは? そいつが誰かを殺して、変身装置カシピラですり替わっているとか」

 怖ろしい想像に、船員たちが沈黙した。

「どうします、船長キャップ。このまま進むと、《《いつ》》に着くかわかりませんよ」
「どういうことだ?」と聞いたのはニニィだった。彼は宇宙物理学にはあまり詳しくない。
特異点シンギュラの調整には、船の質量が関わってきます。だからワームホール内で質量が変わると、出口の位置が変わる可能性があるんです」
「その『位置』ってのは、四次元位置のことか?」
「はい。そして出口の三次元位置は人工的に固定されてますから、変わるのは残りの一次元。つまり時間です」

「どのくらいずれる?」とカーマインは尋ねた。
「最悪150年くらいですね。未来か過去かはわかりませんが」
 それは孫か祖父母の代だ。シジナは冷静だったが、他の船員たちは慄いた。

「70㎏分の荷物を、船外に出すしかない。運航に不要なものをかき集めて、捨てるんだ」

 しかし、運航に不要な物体が、そんなにあるだろうか。それに船の設備はほとんどが固定されている。工具でひとつひとつ外していく暇はあるか?

「シジナ、特異点シンギュラまでの残り時間は?」
 ワームホールの出口が決まるのは、特異点を通過する瞬間だ。排出するなら、それまでにやらないといけない。
「航路が変わってるので概算ですが、20分弱です」
「全く足りないな……」

「その死体はどうなんだ」とニニィ。「そいつには悪いが、緊急事態だ。その死体を捨てればいいんじゃないか?」
「いやダメだ」ヨグが答えた。「見た感じ、そんな重量はない。たぶん、大半がトイレに捨てられてる」
「じゃあ汚物を捨てよう」
「この船は完全循環型だ。船渠ドックじゃなきゃ汚水槽は開けられない」

「じゃあ、引き返すことは? たしか、シンギュラに着く前は引き返せるだろ」
「引き返せる燃料は積んでない」カーマインが答えた。「軽い方が通行料が安いから、地球側の港で補給する予定だった」

 カーマインは冷静に指示した。
「話していても仕方ない。とにかく、ワームホールを抜けるのに不要なものを、すべて集めよう。気圧室チャンバー前に持ってきてくれ。シジナは、正確な残り時間の計算を頼む」

 気圧室チャンバー前に様々なものが持ち込まれた。筆記具、工具、本、私服、宇宙服、通信機。水や食料の類も集められた。
 カーマインは体重計でそれらの質量を測った。合計で25kg。
 ヨグが黒い塊を袋に詰めて持ってきた。それも測ってみたが、予想通り30kgほどしかない。

「シジナ、仮に55kg捨てたら、時間のずれはどのくらいになる?」
「20~30年ですね」
「そのくらいならいいんじゃないですか?」
 ネイタイは疲れた顔で言った。通信機を外すのに苦労したようだ。
「ふざけるな」とニニィ。「家族はどうする」
「すみません」
 ネイタイには家族がいなかったが、ニニィの気持ちを推し量ることはできたようだ。

「シジナ、残り時間は?」
「9分32秒」
「時間も質量も足りないな。他に何か、捨てられるものは?」
船長キャップ、全員の体重を測ってみては? 乗船前と大きく違う人がいたら、そいつがテロリストです」
 変身装置カシピラが変えるのは見た目だけ。体重は変わらない。

「テロリストを見つけて、それでどうするんだ」
「決まってます。そいつを船外に捨てるんです。増えたのは、そいつの体重なんですから」
 全員、ぎょっとした。しかしある意味で合理的な提案だった。

 すぐにニニィが声を上げた。
「よし、いいだろう! 船長キャップ、俺から測ってくれ」
 そう言って、体重計のバネに乗る。72kg。テロリストの体重に近いが、乗船前の記録とも一致する。

 それから全員、体重を測った。誰一人、乗船前の記録と大きく変わる者はいない。「テロリストは、自分と背格好の似ている相手を狙ったようだな」
 カーマインはそう考えた。シジナが操舵室に戻りながら、通話を寄越す。
「あとは、70kg前後の人の中からテロリストを見つけるしかないですね」
 当てはまるのは五人だった。
 通信士ネイタイ、電気技師ヨグ、機関長ニニィ、操縦士シジナ、そして船長キャップカーマイン。

「ヨグさんでは?」とネイタイが眠たげに言った。「死体をある程度トイレに捨ててから、ゆっくり通報したんじゃないですか?」
 ヨグが反論する。
「むしろ逆だろ。私なら全部捨てる。通報もしない」
「たしかに中途半端に死体が残っていたのは、処分中に誰かが来たからとも考えられる」
 とカーマインは指摘した。
「テロリストが侵入できるのは、港のロボットが船の重量を測ってから出発するまでの、20分の間だ。その間のアリバイは……」
 あるはずがない。全員、それぞれの持ち場で仕事していた。なんなら船内を見回っていたカーマインが一番怪しい。

「残り5分です。どうしますか、船長キャップ? 適当に誰か捨てますか」
「捨てられた場合、その人はどうなる?」
「運が良ければ入り口から出られます」
「そうなのか?」
「運が良ければ、ですよ。特異点シンギュラに落ちないように運動量を付けてやれば、進入と同時刻に出られるはずです。生きてるか死んでるかはわかりませんが」
「それじゃダメだ。そんな危険を誰かに冒させるわけにはいかない」

 カーマインは力強く言った。
「だから、俺が行く」

「本気ですか、船長」
 ネイタイが慌てる。
「本気だ。俺の体重は69kg。宇宙服を着ても70kgだ。ちょうどいいだろう、シジナ?」
「そうですね、それなら元の航路に戻ります」
「でも船長……」
 ネイタイが何か言いかけたが、カーマインは遮った。
「船員を守るのが、船長キャップである俺の仕事だ」

***

「それほど大きな運動量はいりません。壁を力いっぱい蹴るだけで十分です」
 宇宙服を着て気圧室チャンバーに入ったカーマインに、シジナが話す。

 空気が抜けると、カーマインは外への扉を開けた。相対性理論が描く歪んだ空間が、そこにある。
 カーマインは振り返り、船員たちに手信号を送った。
よい旅をトリム・テ・タータ

 壁を蹴る。
 体が回転を始めた。ヒュイスタム号があっという間に見えなくなる。四方八方から引力を感じる。
 何も見えない。光が全くない完全な闇。
 聞こえるのは自分の呼吸音のみ。

 周囲からあらゆるものが消えると、急に恐怖が襲ってきた。
 死が怖くないわけがない。責任感から取った行動だった。

 だが、堪えた。
 幼い頃から憧れだった宇宙。そこで死ねるなら、本望じゃないか?

 でもどうせなら、故郷の星空を見ながら死にたかった。
 そう、せめて、あの双子の衛星ミナシバとミナルサを見ながら……。

 そう思ったとき、突然視界が歪んだ。
 光が目に飛び込んできた。

 一瞬の出来事だった。目の前に、点光源が散らばっている。
 星だ。
 そして視界の中央に見えるのは、惑星ヘリオトと、双子衛星ミナシバとミナルサ。

 運が良かったのだ。
 まるで、ワームホールの意志に導かれたかのように、カーマインは生きたまま脱出した。

 広がる星空は美しかった。ミナシバとミナルサも、今まで見た中で一番美しい。
 その光景に息を飲んでいる間に……カーマインはあることに気が付いた。

***

 港のロボットに助けられたカーマインは、すぐさま医務室へ運ばれた。その途中、彼は叫んだ。

「私の船、地球側の出口にいま着いたはずの私の船を、止めてくれ! そこに、地球人テロリストがいる! 船員に変装しているんだ! 船員の名は――」

 港の職員はその言葉を信じてくれた。すぐさま連絡が取られ――テロリストは、港にいた保安官に逮捕された。

***

船長キャップ、無事でよかったです」

 翌日、検査入院中のカーマインに、シジナが会いに来た。

「でもよくわかりましたね。テロリストが、ネイタイだったと」

 通信士ネイタイは、殺された。テロリスト・ドクイは、彼に変身していたのだ。

「なぜわかったんです?」
 相変わらずシジナは無感情に尋ねる。人の気も知らず、好奇心に任せているようだ。

「理由はいくつかある。テロリストの目的は、時間をずらすことだったと考えられる。未来か過去に行って、警察の手を逃れようとしたんだろう」
「ああ、たしかにネイタイさんは、20~30年のずれなら構わないと言ってましたね」

「それにもうひとつ。出発前に彼と話したとき、彼はこう言っていた」

『ワームホールに入って、二つの星が混じり合っていく様子が、好きなんです』

「それが? 何もおかしくないと思いますが」
「おかしいよ。混じり合うのは、ミナシバとミナルサ、それとヘリオトの《《三つ》》だ。二つの星じゃない」
「あ、まぁ、たしかに。でも、それでなぜテロリストだと?」
「地球には、衛星がひとつしかないんだ。だから彼が美しいと思うのは、地球と衛星の二つが混じり合う光景だった。それで、うっかり口走ったんだろう」
「……なるほど。しかしテロリストのくせに、星を美しいと思うんですね」
「そりゃ、思うさ」
 カーマインは微笑んだ。
「星は、誰から見ても美しいものだ」

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