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私の好きな梅園説話ー美しい生き方

梅園先生に、夥しい著作があることは、前にも書いた通りです。
中でも、「玄語」「贅語」「敢語」の「梅園三語」は、梅園先生の哲学思想を表す、最も重要な書物であることは、言を俟たないでしょう。
多くの研究者たちが、この三つの書、分けても「玄語」の解明に心を砕いて来ました。

さて、そこから考えて、梅園先生は難しい書物ばかり書いていたのかと言うと、これがそうでもないのです。

梅園先生は、生涯三度の旅を除けば、故郷の豊後ぶんご(現大分県)国東くにさき半島にある杵築藩きつきはん富永村を離れることがなかった、と言われています。
諸国の学者達とは、その著作は手に入れて読んでいたようですが、交流が盛んであったというほどのこともなく、藩侯(玖珠藩、久留米藩、小倉藩等)からの数度の招聘も辞して、生涯、宮仕えすることもなく、自宅で思索と執筆に明け暮れる日々を送っていました。
ここから考えると、梅園先生は、ひとを寄せ付けぬ、孤高の哲学者であったかのように思えます。

しかし、実はそうではありませんでした。
梅園先生は、『梅園塾』と呼ばれる私塾を、自宅近くに開いていました。
塾舎で寝泊まりする、いわゆる寄宿生二十名ほどの他に、近隣から通学してくる生徒も入れると、相当数の門弟がいたと言われています。
梅園先生は、先生の学問を慕って集まってくる、彼らの教育にも力を入れました。
私が思うに、本業が医師であった梅園先生は、教育者としても一流だったのではないでしょうか。

先生の書いたものの中には、学問を志すにあたっての心得や、梅園塾での決まり事を文章にしたもの、高い学問を目指すあまり、陥ってはならない弊害を説いたものなどがあります。

それと同時に、わかりやすい比喩を用いて、人の生き方を教えてくれる説話、随筆文もあり、これが、先生独自の難しい哲学思想にも劣らないほど素晴らしいと、私などは思うのです。
そういう文章は、読んだ人の心を育て、その心に根を下ろして、いつしかその人の一部となって、生き続けるからです。

平易な説話、随筆文のなかにも、梅園先生の教育者としての面目が表れていて、またその人柄がよくわかるものとして、私は、「誠といふの説」を挙げたいと思います。
この文章は、『梅園そう書』におさめられています。

形態としては、冒頭文から、読む者に誠の意味を考えさせ、けしの実を例にとって、人の誠を説き、遽伯玉のエピソードを入れて、人の誠意の表れるさまを読者に見せます。
誰も見る者がいなくとも、美しく花を咲かせる植物を、人もこうありたいと例にとったあとは、普段掃除をしない人が、いつもきれいにしているように見せようとして、急に蜘蛛の巣を取り払ったり、柱を拭いたりしても、それは、「我心を欺くなり」とたたみかけます。
たとえ他人を欺けたとしても、自分を欺くことはできない。
自分が恥ずかしくて、汗が出て来るだろうと言うのです。
この後は、鎌倉殿(源頼朝)の不審をかった畠山重忠の立派な態度、訴訟の裁決をするに当たって、北条泰時が感じ入った地頭の話で幕を閉じます。
「我が心を欺かぬ」ことが何より肝要。
他人に、そして、何より自分自身に誠実であれ。
この命題は、常に自分で自分に恥ずかしくない行動が取れているかを、読む者に省みさせる、梅園先生の教えが込められているようにも思えます。

この説話を書いた時、梅園先生は二十八歳。
『梅園塾』はまだ開いていなかったでしょうが、これより以前の二十五歳の時に、玖珠藩主よりお召しを受けていますので(辞謝しています)、その学識の高さは、すでに近在に知れ渡っていたと思われます。

この説話からは、後の『梅園塾』の、若者たちを教え導く教師としての梅園先生の姿が見えてくるように思うのです。

表を飾り立てても、内に誠意がなければ、何にもならない。
逆に、内に誠があれば、深山に咲く花のように、香り高く、美しい姿になるのです。

梅園先生のこの説話に、なぜ私がこんなにも心を惹かれるかと言えば、そこに梅園先生の「奥ゆかしさ」を感じるからだと思います。
ここには、梅園先生の美しい生き方が表れているのです。

けしの実の挿話から感じ取れるのは、生きることの喜びです。
小さなけしの実、たねの中にも、誠がある。
何とは言えないけれど、善いものがある。
その実が芽を出し、すこやかに成長してゆく。

そして、続く植物の例として挙げられるのが、誰一人見る者とてないのに、深い谷間で芳香を放ち、美しく咲く蘭(フジバカマ)、遙かな山中で照り映える紅葉です。
誰かが見てくれる段になって、さあ、芳香を放ちましょう、花を咲かせましょうといっても、間に合う筈がないのです。
常日頃、自分の中の誠として、花を咲かせ、香りを放っているからこそ、深山幽谷に分け入った人が、そこに現れたとき、蘭(フジバカマ)は美しい姿で、その人を迎えることができるのです。

これを、日常の場に移して、戒めたのが、「にわか掃除」の例話です。
いつも家の中をきれいに掃き清めたためしのない人が、急に掃除をしたからと言って、普段から家を整え、清めている人と同じようにできるか、できはしない、ということです。
日頃から、己を省み、準備を怠らず、備えを忘れない人こそが、誠実な人と言えるのでしょう。
もちろん、谷間の花と同じで、そういう人たちは、決して自分から、自分の常に止むことのない努力をひけらかしたりはしません。

そこで思い出されるのが、遽伯玉のエピソードです。
遽白玉は、衛の霊公に仕えていましたが、公に常に敬意を払い、霊公の門前を通るときには、門の前で車を降り、徒歩で行き、門を通り過ぎると、また車に乗った、ということです。
これは、人が見ているから礼を尽くしている、ということではなく、誰も見る人とてない夜にも、昼間とまったく同じように、霊公の門前で車から降り、門を通り過ぎるまでは、歩いていた、というものです。

この、常に自分を律する態度が、奥ゆかしいのです。
他人を欺かないのは当然として、自分をも欺くことなく、礼を尽くして生きる姿には、何とも言えず美しいものを感じます。
他人に見せて、褒めてもらおうという打算の、まったくない清々しさ。
こういう生き方こそが、香り高く咲く、深山幽谷の花の姿に重なるのです。

そして、それとよく似た例が、梅園先生とその弟子の間にもありました。
梅園先生三十五歳の時に、十五歳で入門してきた、糸永村の矢野雖愚すいぐは、きわめて真面目で努力家の、梅園先生の愛弟子でした。
彼は、梅園先生が、戸を閉じて読書しているとき、その戸の前を通るときには、必ず身をかがめて一礼して、通って行きました。
それが一度や二度ではない、何度通っても同じことで、あたかも先生その人が目の前にいるかのように、恭しく礼をした、というのです。

残念なことに、この愛弟子は、二十二歳でこの世を去ってしまいます。
四書五経にもほぼ通じ、梅園先生の思想をも理解しようという門人だっただけに、先生の落胆はいかばかりだったか。

ともあれ、先の遽白玉、矢野雖愚に通じる奥ゆかしさの底には、
「慎独(ひとりをつつしむ)」という教えがあるのだと思います。

たとえ、自分ひとりの時でも、だらしないことをせず、いつ人に見られても恥ずかしくない生き方をする、ということです。

これは、言うのは簡単ですが、実際にやってみると、非常に難しい。
人間は誰しも自分には甘いものだからです。
だからこそ、梅園先生の持つ奥ゆかしさ、その厳しくも美しい生き方に、私は、惹かれるのだと思うのです。

今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
午後、四回目のワクチン接種に行ってきたのですが、まだ打ったところが何となく痛いような、重いような気がします。
明日には軽くなっているといいのですが。
あなたもどうぞお元気で。


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