自分の傲慢さを知った日~「釈迦の化身エピソード 」
こんにちは、ぱんだごろごろです。
今日は、ららみぃたんさん主催の企画、「釈迦の化身エピソード」に挑戦してみようと思います。
そもそも、ららみぃたんさんのこの企画を知ったのは、ミイコさんのこの記事を読んだからです。
ミイコさんは、ご主人様に対して、「ここは直して欲しい」と思う点がありました。
でも、直らない。
一方、ミイコさんにも、ご主人様から言われても、直したくない部分がある。
さあ、どうする⁉
ミイコさんが導き出した結論は、ぜひ、上記の記事でお確かめ下さいね。
さて、このミイコさんの記事を読んだ私は、さっそく自分の内部を探りにかかりました。
私にとって、「釈迦の化身」と言える人は誰だろう。
長年、反撥していた両親だろうか。
苦労させられた舅、姑だろうか。
育てている間は大変だったけれど、育ち上がってからは、有益な助言をくれるようになった子供たちだろうか。
いずれもピンときません。
こういう時は、ただただ、考え続けるに限ります。
脳みそに汗をかくまで考えないと、凝り固まった頭は、思い出そうとしてくれないんですよね。
職場にも、苦手な人はいますが、色々工夫を重ねた結果、
▼自分の受け止め方を変えたら、どうでもいい人に変わってしまった
▼上手く避ければ、快適に過ごせることがわかった
このようになったので、「釈迦の化身」とまでは言えない気がします。
さあ、もう時間切れかな、「釈迦の化身」と言える人は、見当たらないってことかな、と思い始めた時、ふと、思い出したのです。
以前、職場で私が対処した、クレーマーのお客様。
この方こそ、私にとって、「釈迦の化身」に違いない。
この件は、結果としては、大したことにはならず、上司から、軽く注意されただけで終わったのですが、私にとっては、むしろ、危ないところをこれだけで済んだと、胸をなで下ろした、冷や汗ものの大事件だったのです。
さんざん嫌味と叱責を聞かされて、いつも通りにお客様の言い分をひたすら聞き、お詫びの言葉を繰り返していた私でしたが、どこかに、傲慢な気持ちがあったのでしょうね。
どうして、他人のしたミスのせいで、私がこんな威張り返った、下品なお客の相手をしなければならないのかしら。
私はどこも悪くないのに。
いつもミスばかり繰り返す同僚にも、あんなに根気よく教えているのに、彼女が手順を覚えられないで失敗するのまで、私のせいだって言うの?
冷静に考えれば、理不尽なお客様に耐え、能力に問題のある同僚のフォローをするために、会社は私にお金を払っている、ということは、百も承知の筈なのに。
その時は、自分がこんな目に遭わされるなんておかしい、と思ってしまったのですね。
気の弛みからくる、軽率な発言をしてしまったのでした。
そのお客様は、その後も言いたいだけ言って、気が済んだと見え、引き上げていかれましたが、残された私は自分の失策に呆然としてしまいました。
あれ、私、今まで、こういうミスってしなかったよね、何で?
どうして、あんなこと言っちゃったんだろう。
周囲の人は、口々に慰めてくれましたし、上司も気を遣ったのか、やんわり注意してきただけでしたが、苦い思いはその後、幾日も続きました。
自分は、自分の能力を過信していたのではないか。
どこかに、自分は言い過ぎることはない、何を言っても大丈夫、という思い上がりの気持ちが、あの時、お客様相手にも、出てしまったのではないか。
クレーマーのお客など、私があしらってみせる。
恥ずかしい話ですが、この年齢になって、こんな傲慢さを自分が持っていたなんて、思いも寄らないことでした。
私にとって、このクレーマーのお客様は、「釈迦の化身」です。
私は本当に、運が良かった。
お釈迦様は、ただただ何十分も文句を言い続けるだけのクレーム客という姿形をとって、私の前に現れたのですが、それは、仕事に慣れきって、緊張感を失くし、自分を過信した私を戒めるためでした。
このまま、お釈迦様に会わずにいたら、私はもっと重大な場で、取り返しのつかないミスをすることになったかもしれない。
そう思うと、私は、あの日、出会えたお釈迦様に、ただただ感謝するばかりです。
ららみぃたんさん、
この度は、「釈迦の化身エピソード」に参加する機会を作って下さって、ありがとうございました。
企画の趣旨に合致しているかどうか、心許ないところもありますが、何卒よろしくご査収くださいませ。
ぱんだごろごろより
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
ららみぃたんさんのこの企画は、3月18日(土)23時59分までです。
まだ十分、時間の余裕がありますよ。
あなたもぜひ、どうぞご参加下さいね。
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