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【き・ごと・はな・ごと(第21回)】母たちの想いを伝える―乳母イチョウ

銀杏は古木になると木の幹や枝にコブのような突起を付ける。気根と呼ぶのだそうだが、それが成長して垂れ下がってくると、まるで乳を連想させるようなカタチに変形する。その下に佇むと、乳の出が良くなるとか子育ての御利益があるとかと崇める信仰は全国にあるようだ。

―初対面の乳銀杏は三浦半島の三崎に鎮座する海南神社だった。ここには源頼朝お手植えと言われる大銀杏が夫婦ペアーで並んでいて「その気根のある木の幹に乳の出の足りない女性が祈りを込めて触ると乳が出るようになる」という言い伝えが残っている。ただし、その気根ときたらニョキニョキとまるで鍾乳洞のよう。あまりにも乳離れしていて、そこの伝説が乳房と結び付いてのものだとは、つい最近まで思わなかった。ただし、乳飲み子に縁のない人でも、一度は拝んで損はないみごとな巨木である。ついでながら付記するとー毎年1月15日に境内で上演される民俗舞踊『ちゃっきらこ』は国の重要無形民俗文化財に指定されているもの。見学と併せて出掛けるのもお勧めです。

最近になって、近所に乳銀杏の謂れの伝わる寺があると知った。横浜市鶴見区、駒岡町にある常倫寺である。―江戸時代にこの地に別邸を構えていた旗本、久志本左京亮の妻が待望の嫡男を生んだが、一滴も乳がでない。乳母も探せず、ただただミイラのようにやせ細っていくわが子を抱いて夫婦でこの寺に詣で、ひたすら乳の出ることを祈願した。そして境内で銀杏の木の下に佇んで一休みしていると、なにやらポタポタと白いものが。それまでグッタリしていた赤子の常勝はその液を口にするとみるまに元気になった。それから毎日、妻はその銀杏の木の下へ通い常勝も逞しく成長したーということである。いつしかその乳母銀杏が人の知られることとなり、あちこちから乳不足に泣く母親が引きも切らずにやってきたそうだ。御伽噺でない証拠に境内には久志左京亮の墓が現存している。ちなみにここの乳母銀杏(写真参照)の気根は、ひとめでそれと分かるカタチをしている。

このハナシを聞いたときに、にわかに頭を過ったのが海南神社の銀杏であった。そういえば、あれも垂れ下がっていたなあ?・・・と。そして他にもと調べてみると・・・あるある。川崎の影向寺・東京の六郷の安養寺など近隣も含めて、沼津の浅間神社、さらには新潟五泉市、仙台市にも共に樹齢1000年を越える乳銀杏という具合に全国にまたがって存在しているではないか。それにしても、何故、そのように普遍性をもって同じような信仰が持たれていたのだろう。気根が乳のカタチを思わせる、というだけでは納得できない何かがありそうだと、しきりに気になってくる。

たしか「ギンナンは強壮剤だから食べ過ぎると動悸が激しくなったり鼻血が出るヨ」と、小さいとき母か祖母から聞かされた覚えがある。夫に聞くと「そうだゾ。あれは精力剤なんだ!」とやけに自信に溢れた答えだが、全く根拠がない。そんな折り巷で近ごろ『銀杏葉エキス』が注目されていると教えられた。だが、その効力のスポットは主に「痴呆の緩和」とか「ボケの予防」に集まっている。血液の流れがスムーズになり、細胞が活発化して、つまりは脳の働きが良くなる、とのことだ。肩凝り・冷え性から心臓病・糖尿・高血圧に至るさまざまの症状に効き目があることも臨床済みだという。もともと銀杏は3億年前のジュラ紀から存在している珍しい植物。それだけ逞しい生命力を持つものだから体に悪いワケはない。ためしに単なる自然健康食品として謳っている『100パーセントナチュラルな無添加の凝縮銀杏エキス』とやらを試してみた。ボケはともかく、シャキッと疲れが取れた。元気になれば乳の出が良くなる。こう繋げてしまいたいが、それも強引すぎる。

染織作家のお供で桐生に行き、織りの神様を祀るという諏訪機神社に立ち寄った。そのとき社殿の脇の銀杏の木に垂れる気根を認めた女史が問わず語りにはなしてくれたのだ。 曰く・・・「子供のころ、青森の田舎のふるーい神社の銀杏の木にも、やっぱり、こういうオッパイみたいのがブル下がっていまして。お乳が出ないときに、これを削って飲むといいって伝えられていました。もののない時代でして。お産をした後の2ヶ月は母体に毒が入るのを防ぐとかで、1日2回重湯と梅干しだけ。そんなんじゃあお乳出せませんよね。栄養が付かないじゃあありませんか。それで、その銀杏のあれを、皆、ほんの少し削ってました」

効き目があったのかどうかは分からない。「でも、次々来てましたから。全く効き目がなくてあんなに来るでしょうかね?」と女史もフシギを隠せない。今のように粉ミルクなどない時代のことだ。たんなる逸話としてではなく、生身の彼女の口から語られると、当時の母たちのワラをも縋る痛みが現実のものとしてヒシヒシと響いてくる。

後日、常倫寺へでかけた。伝説の銀杏は今でも健在であった。どれだけ多くの女たちの願いを受けとめてきたのだろうか。いつしか詣でる人もなくなった乳母銀杏は、誇らしげに2つの乳房を露にして、すくっと天に向かって立っていた。

まるで鍾乳洞。海南神社の乳銀杏
地元漁師の信仰を集める
ちゃっきらこ(2009年ユネスコ無形文化遺産に登録)
常倫寺の乳母銀杏(正面から)
脇から見ると乳房くきり(常倫寺)
鬱蒼たる景観(常倫寺)

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞―平成10年(1998年)12月15日(火曜日)号

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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