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啓蟄

今さら啓蟄けいちつの話か、と思われるかもしれない。今年の啓蟄は三月六日であったから、かれこれもう二週間が経つわけだ。
二週間…。二週間なんてあっという間なのに、歳時記にのめり込んでみると、たった十四日の間に世界が目まぐるしく変化していることに驚かされる。

啓蟄のちつは「土の中で冬ごもりしている虫」、啓は「ひらく」という意味で、つまり啓蟄とは土の中で眠っていた虫たちが春の訪れを知って穴から出てくる時分をさす。
私の周りでは三月六日にはまだまだ虫たちは眠りの最中であったが、二週間経った今は冬眠から覚めた虫たちが続々と地べたを行進し始めている。
その中でもやっぱりダンゴムシの登場が私には一番嬉しかった。つい先日知人と一緒に「ダンゴムシを好きな子どもは少しどんくさい子が多い」という仮説について論じ合ったばかりだが、少しどんくさかった私も例にもれずダンゴムシが大好きであった。そんな幼年以来の友達との再会はいつになっても喜ばしいものである。
ダンゴムシはぼちぼちと見かけるようになったがアリはまだ見ない。どこか私の知らないところで活動を始めているのか、それともあかつきも覚えずに春眠をむさぼっているのか。

そもそもどうして私が今さら啓蟄について書こうと思ったかというと、野原で土を掘り返してせっせと虫たちを口に放りこむツグミを見ていて、世の中の無常についてしみじみと考えさせられたからなのだ。私はそんな虫たちを気の毒に思うよりも、むしろ春眠という絶頂でツグミの胃に放り込まれる彼らの幸せを思った。
仏教では輪廻から解脱することを最終目標にすえて修行に励む。輪廻とは地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六つの道のことで、生まれては死に生まれては死にながらこの六道をグルグル経巡へめぐることを輪廻転生りんねてんしょうというのである。六道は大小の差こそあれ全て苦しみの世界である。この六つの道から抜け出して二度と再び迷いの道に落ちないことが解脱げだつ(=悟り)なのだ。
冬眠から覚めて啓蟄を迎える虫たちの新たな一生は輪廻転生とよく似ている。果たしてそれが天のような華やかな一年となるのか、はたまた地獄のような恐ろしい顛末てんまつが待っているのか…。
してみればツグミの胃袋とはすなわちこれ解脱であり、悟りである。春の眠りから覚めることなく臨終を迎える虫たちは悟って仏となったのである。天から容赦なく下されるツグミのクチバシは、涅槃寂静ねはんじゃくじょうへと続く一筋の道なのだ。

しかしあんまりこんなことを言い過ぎると勘違いして「人殺しは善だ」などと思い込む狂人が現れるからやめておこう。土を開いて新たな春を迎えるのも、ツグミの胃袋に放り込まれて悟りを開くのも、全ては運命のなすところなのである。



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