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飲まなくなって変わったこと

今日は「の」の日。

写真は登りロープウェイの車窓@金華山
です。

毎日あいうえお順に記事と写真を投稿しています。
記事と写真は関係ありません。

さて、今日の本文は

飲まなくなって変わったこと

についてです。

お酒の話です。
毎日晩酌にビール大瓶2本と、芋焼酎お湯割り濃いめを3杯飲む父と、お酒は付き合い程度、でも父に運転手にされがちなので、基本的に飲まない母のもとですくすくと育った私は、二十歳を過ぎる頃には、立派な大酒飲みになっていました。

乾杯の生ビール中ジョッキは、秒で飲み干し、立て続けに杯を重ねては、記憶がなくなるまで飲んだり、帰りのタクシーで熟睡してしまい、困り果てた運転手さんに交番に連れていかれたり、キャンプで飲めば、飲んでいる途中寝てしまい、リヤカーで運ばれたりと、関わってくれた人が良い人ばかりだったので、なんとかなっていたものの、今にして思えばずいぶんと危険を伴うお酒の飲み方をしていました。

飲み始めると、楽しくなって短時間で沢山の量を飲んでしまうため、酔うスピードも早く、すぐに眠くなってしまうのです。電車で寝過ごして、終点からタクシーで帰ることなど日常茶飯事でした。
そのため最後は、はじめからタクシーで帰るようになりました。

そんな私が禁酒をしたのはこれまでに三回。結婚式前の半年はダイエットのために。妊娠中から産後一年半までは子供の成育を妨げないために。そして、2016年から現在に至るまでは自分の健康と家族の信頼を保つために。

夫は付き合い程度にしかお酒を飲むことがなく、私がお酒を飲みすぎることに好意的ではありません。
記憶をしょっちゅう失くすような飲み方をしているパートナーに好意的な考えを持つ人の方が少数派だと思うので、彼の感覚は全うなものだと思っています。

また、娘も私が泥酔する姿を小さいときに見て以来、娘の前でお酒を飲むたびに悲しそうな顔をしていました。

もし、ずっと以前のように飲み続けていたら、またどこかで記憶を失くすだけでなく、健康な心身や、家族からの信用、最悪の場合は命も失くしてしまっていたかも知れないと思います。

世の中にはお酒とうまく付き合える人と、そうでない人がいます。
私の場合は完全に後者です。
少しのお酒で、楽しく過ごせるなら良いのですが、どういうわけか、一度飲み始めると止められなくなる感じです。

自分の意思で止められなくなるということは、完全にお酒に飲まれているのですが、その時は、自分が飲みたいから飲んでいるつもりでいるのです。

途中で寝てしまったり、最後までちゃんとしているように見えても、どんな話をしたかも覚えておらず、翌朝目覚めた時に、どうやって家に帰ってきたのかも全く記憶にないような酔い方は、今にして思えば人生を棄てていたようなものだという気がします。

お酒を止めてからの変化を上げていくと、
やりたいことをやる時間が出来た。
人との会話をより楽しめるようになった
体重が減った
体を動かすのが苦ではなくなった
肌荒れしなくなった
家事を楽しめるようになった
お金が減らなくなった
主体的に生きていることを実感できる
などがあります。

お酒を飲むと、全てが面倒くさく、どうでも良くなってしまうので、自主的に生きることを放棄してしまうようなところがあったかなと思います。

また、飲まなくなっても、宴席を避けているわけではないので、そこでのおしゃべりは酔っていない分より楽しいのです。何より忘れませんし。

美容に関しても、お酒をやめたら10キロ近く体重が減り、ちょっと痩せすぎてしまったので、今は貧相に見えない程度の体重をキープするように気をつけています。

今まで浴びるように飲んでいた姿しか知らない人たちは驚きましたが、お酒をやめたからといって私が別人になったわけでもないので、飲まない私を普通に受け入れてくれています。

どうでもよい飲み会に参加する機会は確実に減りましたが、好きな人たちとの会は積極的にセッティングします。

お酒を止めて困ったことが何一つないので、これからもたぶん私は、お酒を飲まない人として生きて行くと思います。

でもこれは、飲んでいた時期があったからこそ思えること。
また、そんなめちゃくちゃな飲み方をしていても、事故や事件に巻き込まれず、誰も巻き込まず無事だから言えること。

それだけは忘れずにいたいです。


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