急須と祖母 【うつわ紀行|#1】
祖母は、コロナ禍の夏、この世を去った。
私は、母方の祖母に、少し憧れがある。
川越の米屋の生まれで、当時には珍しく女学校をちゃんと出た人だった。
狭山の地主でお茶屋を営む祖父のもとに嫁いで、私が幼い頃まで茶畑を育て、お茶屋を切り盛りしていた。
創作が好きで、和紙や折り紙を買って、ちぎり絵を作っていた。お味噌汁を食べた時に出たあさりの貝殻を丁寧に洗って、鈴を挟んで、ちりめんで根付けをよく作ってくれた。
最後まで、頭がしゃんとしてる人だった。
もう長くないと言われてお見舞いに行ったはずなのに、ケロッとしていて「暇だから百人一首を読みたいの」と言われて、私のやつをあげた。
いつも身なりを綺麗にしている人だった。かならず玄関に花を飾る人だった。
祖母の葬式が終わってから、喪主である伯父が香典返しを贈ってくれた。
狭山茶だった。
「きれいなお茶を淹れよう」と、そのとき思ったのを覚えている。
一人暮らしの住まいに、急須なんてなくても、使い捨てのティーバッグで十分なんだけど。
急須でお茶を淹れよう、祖母ならそうするから。
その時買ったのが、この東屋の急須。
急須は、私の中で、祖母の在り方をピン留めするためのものだったように思うのだ。
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