結婚後、過食嘔吐がいよいよ…③
前回↓の続きになります。
結婚から3年後、ついにわたしは妊娠します。
こんなわたしが母親になれるのか、不安で心配でたまらなかったですが、お腹の中に赤ちゃんがいると思うとそれはそれは嬉しくてたまらない気持ちでいました。
彼も心から喜んでいて、生まれてくるその日をふたりで待ちわび、幸せな日々でした。
食べ悪阻で、お腹が空くと気持ち悪くなるので、ずっと何かを食べている状態で、最初の1ヶ月で7キロ、トータルで18キロ増えて、産まれた娘は3,500g近くある大きな赤ちゃんでしたが、とても安産でした。
安産なら、悪いことではないと思っていましたが、これだけ体重が増えるということは、母体が高血糖になっているということなので、お腹の赤ちゃんにとってもあまり良い状況ではないと、最近になって知りました。
分子栄養学を学び始めると、
"もっと早く知りたかった〜!"ということだらけです。
生まれてからは、おっぱいをうまく吸えなくて、本当に苦労し、焦りました。
お腹が空いているのにうまく吸えないのがとてもかわいそうで、ついミルクを与えがちになってしまいます。
楽に吸える哺乳瓶の乳首に慣れてしまったこともあり、ホンモノのおっぱいを上手に吸えるようになるまで、お腹が空いて泣く娘と、根気よく練習できずにいました。
搾乳などもしましたが、器具などの消毒がとても気になったり、やはり直接吸ってもらわないとだんだんと母乳の出も悪くなっていくのと、おっぱいの時間の度にわたしが緊張してしまっていたのも重なって、2ヶ月ほどで、母乳が出なくなってしまいました。
悲しかったですが、あまりの緊張と力みに疲弊していたので、少しホッとしたのも事実でした。
母乳をあげなくてよくなったとたん、わたしのダイエットが再開します。
最初は、夕食を一切抜くことから始めます。
翌朝に、前日の夕食、たとえばハンバーグなどを食べるのですが、これは全く体重が減らずに断念します。
次は、朝と昼は少なめの食事を一応きちんと摂るのですが、夜は食事を抜き、その代わり毎日、夕方にチョコレートをたくさん食べます。
真夏生まれの娘は、生後2、3ヶ月を過ぎて、少し涼しくなってきた頃にお散歩デビューをします。
夕方、ベビーカーに乗せて近所をぐるりと回り、近くのコンビニに寄ります。
そこで、普通だったら一度にひとりでは食べきれないようなチョコレートを買って帰るのが、お決まりのコースでした。
可愛いなんてもんじゃない娘の世話をして、すごく幸せなのに、自分の見た目が気になって仕方がなく、かわいいママでいたいと強く望んでいました。
そしてこのチョコレート作戦は功を奏して、みるみると体重が減っていったのです。
会う人会う人に、『痩せた!小さくなった!』と言われる度に嬉しくて、洋服を選ぶのも、娘とお出かけするのもとても楽しかったのを覚えています。
でももちろん、それもずっとは続かず…
ある日、久々の夕食を食べたら最後。
止まらずに食べ続けてしまい、このチョコレートダイエットは終了します。
あっという間ににリバウンドし、その後は置き換えダイエットなど、あらゆるダイエット商品に手を出して、一時的には痩せますが、またリバウンドの繰り返しをずーーっと続けていきます。
しかし専業主婦だったこともあり、ずっと娘のそばにいれて、実家からは良くしてもらい、初孫を溺愛している両親の姿を見るのはとても幸せでした。
ダイエットは繰り返しても、過食嘔吐の影はどこへやら?
の珍しい時期だったと思います。
でもやはり…今思えば、になりますが、夫婦の大切な課題は放ったらかしのままなので、必ず“止まれ"と言わんばかりの問題は起こってきます。
生活は立ち行かなくなり、その頃のわたしは、『娘がいるのになぜ?理解ができない。両親にもこんなに良くしてもらってるのにどういうつもりなのか。』しかなくて、
彼の奥に隠れている何かを一緒に見つけて、ふたりで越えていくことなどは到底思いついてもいません。
ただただ責める言葉が口から出てきて、でもこんな可愛い娘を絶対に不幸にはできないので、離婚は避けて、思い直したというだけで、とにかくこの子を育てるために、お金を稼がなくてはならない。これ以上、両親に頼ることはできない。
それだけに突き動かされていました。
サラリーマンのお給料では到底やっていけず、また彼は元々料理人だったこともあり、わたし達は、縁あった方から、飲食店をリースする形でお店を経営することになります。
そのオーナーのリースの条件が、"わたしも一緒に"だったので、仕方なく、他に方法もないので、承諾します。
まさか自分が、こんな可愛い盛りの娘と離れて、夜に飲食店で働くことになるとは思ってみませんでした。
今まで3年間ずっと、わたしとベッタリ過ごしていたので、毎日夕方になると身支度をして、ひとりで出かけるわたしを追いかけて、3歳の娘は玄関を飛び出し、
『ママ〜!ママ〜!』と大声で泣き叫びます。毎日です。
面倒を見てくれていた母が泣き続ける娘をなんとかなだめようと
『ばあばとフルーチェ作ろ?!』の言葉で、やっと家に入っていきます。
当時娘はフルーチェが大好きだったので笑。かわいい笑。
わたしはそこから、人目もはばからずというか、ガマンできずに泣きながら、駅へ向かうという毎日でした。
どうしてこんな悲しいことが起こるのかな。
こんなはずじゃなかったのに。
辛いのは精神的にだけではありませんでした。
不安とストレスと絶大な睡眠不足から、どんどん体調は悪化していきます。
しかし、いつもの如く、わたしはまだまだ元気なはずの26.7歳と若く、両親に多大な迷惑をかけていることもあり、そんな不定愁訴は"根性の問題"と決めつけていたので、ここでも何も対処しないまま過ぎています。
そしてわたしの身体は風船のように膨らんでいきました。
この続きは、また次の機会に。
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