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摂食障害のわたしが母親になって③

前回の続きです。



前回にも書いた通り、わたしのようにならないように、"勉強"という媒体を通して、娘を鍛え上げ、強く強くしてから、社会に出さなければという思いから、わたしは中学生になった娘と一緒に勉強することを提案しました。


前回、教育ママゴンに変身と書いたのですが、少しニュアンスが違ったかもしれません。


"とにかく良い高校に行って、良い大学に行け!"
"勉強さえできれば、あとは何でもいい!"

教育ママってそんな感じ?なのでしょうか。笑
だったら、わたしは違いますね。



娘は中学生になっても、あまり女の子女の子していなくて、本当にさっぱりあっさりしていて、
『将来、結婚して誰かのお世話するとかムリやわ…こっちがお世話してほしいしな。』
という感じで、確かに母性には欠けているなと感じることが多々あって、キャリアウーマンになりたい!と言っていました。


誰かに頼らないと生きていけない人生より、自立し、自分の面倒は自分で見れる人生の方が、ずーっと豊かだと思っていたわたしの刷り込みもあったかもしれません。



彼女は、女の子ならではの、
"休み時間は友だちと一緒にトイレに行く"などの、
群れる感じは本当は好きではなくて、でも、それをすると人間関係が色々ややこしくなるので、無理をしていたと思います。


わたしもまた、仲間外れにされたり、いじめられたりしてはいけないと、そうして合わせている方が良いと思っていました。


振り返ればあの頃は、彼女に災難が降りかからないようにと、そちらばかりに気がいっていて、もっと彼女の胸の内を聞いてあげればよかったなと後悔しています。



キャリアウーマンになりたいのなら、どんな荒波も越えていけるように、行きたい道を選べるように、勉強することは必要だということ。


わたしが中学生で大反乱期に入り、勉強することを一切やめて、結局自信のないまま社会に出たことを後悔していること。


教養は、あなたを助けることはあっても、邪魔することはないこと。



当時わたしが感じていたこと全てを包み隠さず話しました。



彼女は赤ちゃんの頃から、本が大好きで、知識欲が
強かったのもあり、勉強は決して嫌いではなかったので、努力することで、精神が鍛えられる上に、教養も身につけられるよい機会になると思っていました。



なので学校はもちろん、運動の部活もどれだけしんどくても、休ませませんでした。

『とりあえず行っておいで。あかんかったら帰っておいで。』



そういう日々が、大人になった時に必ずこの子を楽にするんだと信じていました。
今のうちにそれが当たり前になれば、大人になった時に、苦しいことがひとつ減ると。


『強くなれ』


そう願っていました。



朝勉の開始

夜ではなくて、朝に勉強したいと言い出したのは娘でした。
学校から帰ったら、ゆっくりしたいと言う彼女に大賛成して、ふたりの早起き生活が始まります。


早寝早起きは、ふたりともすでに板に付いていたので、わたしの5時起き、娘の6時起きはここから定番になります。


1歳の頃から、大好きな"しまじろう"の進研ゼミをしていたので、そのまま進研ゼミの教材で勉強を始めます。


それに彼女の記憶力は素晴らしくて、よく、すごいすごい!となったものです。
努力は報われるということを体感できる良い機会になったと思います。


でも、時々イライラするんですよね。
『なんでこんなんわからんねん!』
『これわかってるのに、なんでこれわかれへんねん!』


より多くのものを求めてしまう、親の性なのでしょうか。

何度も、『怒ることちゃうよな…ごめん…』と言うと、
娘は必ず、『ええよ。大丈夫。』と言ってくれていました。


これはきっと、ひとりで勉強をさせずに、一緒に勉強していた意味を彼女がわかってくれていたからかもしれませんが、辛い時も多々あったと思います。



その頃はもう過食嘔吐はなくなっていましたが、毎晩お酒を飲むから、お米を食べないで、アーモンドいっぱい食べる。みたいなことをして、とても太っていました。



キツイ運動にトライするのですが、疲弊し、少々引き締まっても、運動自体にストレスを感じ、夜にお酒を飲むという感じだったと思います。


今思えば、ですが、結局吐いてはいないだけで、摂食障害は続いている状態でした。



またその頃、30代半ばくらいから、大量の汗に悩まされます。夏、外に出ただけて、結んでいる髪から、汗が滴り落ちるのです。

冬でも、全身から汗が噴き出るようになり、緊張も強くなって、動悸や不整脈も出始めていました。



今思えば、子どもの頃からずっと体調は良くなくて、でもそれは当たり前だったし、それよりも何よりも、痩せられれば良いとしか思っていなかった期間が長過ぎて、その頃は何も対処はせず、こんなものとやり過ごしていました。


それよりも、娘との朝勉と、部活の応援、娘の食事、お弁当作りに心血を注いでいて、今振り返れば、充実していた毎日でした。



ただ、慣れていない人に、自分のことを話す時など、どうしてこんなに汗が出るのかなと不思議ではありました。



自分って、こんなだったかな?
人と話す時にこんなに緊張していたかな?


若い頃の自分とはあまりにもかけ離れていて、素行が悪かった時代(笑)など、なかったかのようになっていました。


それもこれも"症状"だったとは、その頃は知る由もありませんでした。



ダイエット成功!なのに…

娘が高校生になった頃、また一念発起をし、お酒は週末だけにして、昼と夜はお米とおかずをしっかり食べて、毎朝30分運動をして、痩せます。 


食後に豆乳入りのコーヒーと、どら焼きを一日一回は食べていたのに不思議でしたが。




しかし時々襲われる飢餓感には逆らえず、ドカ喰いはしますが、吐きたくはならずに済んでいました。


徐々に痩せて、またハッピーな期間がやってきました。
洋服を買うのも楽しかったです。


さほど人目も気にならなくなり、そしてここで、運動は必須だということが強固に植え付けられて、今に至ります。



しかし…娘が大学に進学した頃に、またしても、理由もなく体重が増え始めます…



それもこれも全部、からだのサインでした。


また長くなってしまいました。
つづきはまたの機会に。

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